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Fantasy

第9話 休息―Date―





 アークスシティの早朝は、この街で唯一の静かな時間。
 多くの住民がまだこの時間は寝床で安らかに朝陽を待ち、一部の人間は太陽が登り始めたこの時間にも関わらず動き回る。

 それは例えば新聞配達、たとえば運送会社、そして例えば……。

「ふっふっふっふ……っ! タルタロス、無理せずついてこいよっ!」

 早朝、車も少なく人ごみも無いこの時間帯はこうやってジョギング、あるいはランニングをする者も多い。
 その一人がこのトモエであり、そして一緒に走るアルセウスとイーブイであった。

「どうもー、おはようございまーす!」

 何度かすれ違い様、彼らと同じくランニングをするジャージ姿のスポーツマンたちに挨拶するときのトモエは爽やかだった。
 常日頃、彼らは常に危機の中にいる。それは戦う度に脅威性を増すドクターマルスの存在に俄に危惧を始めたトモエとアルセウスだった。

 今だ彼らはダークプリズンの主要人物はドクターマルスの他は、ダークプリズンの御大将マスタープリズン以外に知りえない。
 マスタープリズンの破格の強さはその身に感じ、圧倒的な絶望感にさえ感じた。
 もし、ドクターマルスもこのまま際限なく強くなっていったら……?

 最初は笑えた強さもこうまで強くなると馬鹿にはできない。
 そして、数多くいるはずのダークプリズンの構成員、マスタープリズン程の強さは無いにしてもドクターマルスを凌ぐ強豪たちとているはずだ。
 トモエたちには負けは許されない。
 負ければそれは死を意味するだろう、ダークプリズンには人の倫理観など通用しない。死など……奴らからすればただの娯楽だ。
 だからこそ、アルセウスは許せない、トモエは憤りを感じる。

 彼らは強くなることを怠ったつもりはない、常日頃精進し、アルセウスとの特訓も欠かしたつもりはない。
 だがトモエにもそれは楽な事では無かった。

 アルセウスが要求する特訓の内容はどれも人間の観念からすれば常軌を逸した馬鹿げた特訓であり、辛いと感じることはあっても楽しいと感じることはない。

 そのせいだろうか? イーブイと一緒に訓練するということもあってか、イーブイに出来る範囲の訓練しか彼らは今していない。
 この時間、しずかにアルセウスらと一緒にランニングをするこの時間は、彼の訓練の中では楽しいと思える時間だった。

「おし、じゃあ教会についたらいつものように休憩いれるか」

 アルセウスとイーブイはコクリと頷いた。
 ミレリア地方では7月に入り、すでに春服では暑く、夏服に変え始めたトモエはそれでも暑さのためか、汗を流してアークスの街を走る。




 『がんせきプレート』の入手からすでに二週間、ドクターマルスたちにも動きはなく、また彼らにも動きがない静寂の期間。
 アルセウスもここ最近は不機嫌に空ばかりを眺めていた。

 アルセウスは焦っているのだ。
 終始見くびっていたドクターマルスの強さ……その驚くべき成長に。
 もし今のドクターマルスの強さですら、ダークプリズンにとっては末席だとしたら?
 だとすると、彼女が持つダークプリズンへの見積もりは大幅に変えなければならない。
 そして、彼女の力の源たるプレートはすでに3枚を手に入れるに至ったかが残り13枚は音沙汰が無い。

「――おい、アル……アル!」

 ふと、突然だった。
 ボーッとこれからのことを考えているとトモエが大声でアルセウスを呼んでいた。

「一体どうしたんだ、契約者よ」

「どうしたじゃないだろ、教会についたぞ?」

 そう言われて慌てて周りを見渡すと、そこはいつもの見窄らしい教会の前だった。
 白い塀は塗装が剥がれ、屋根はボロボロ、でも庭の花壇だけはいつも元気いっぱいに咲き乱れる花々に迎えられた教会。
 トモエは教会の扉を開くといつものように中に入り、慌ててアルセウスもその後を追った。
 3.2メートルある巨体には小さなドアをいつものように体を屈めて入る姿は誰から見ても窮屈そうだった。





「おーい! いくぞータルタロス!」

 トモエたちが教会で一息入れて、いつものように朝食を頂くと食後、ここ最近日課になっていることが始まる。
 コリンがテニスボール大のゴムボールを持ってタルタロスを呼ぶと、タルタロスは「ブイッ!」と鳴き声を上げて、構える。

「そーれ!」

 コリンが勢いよくボールを投げると、タルタロスは冷静にボールを見て空中キャッチ。
 まるで犬のように上手に口に咥えると尻尾を大きく振ってコリンの元に帰る。
 無事キャッチするとコリンはタルタロスの頭を毛並みがクシャクシャになるほど撫でて褒めてあげた。
 するとタルタロスも嬉しいのか目を細めて喜んだ。

「……うまいこと考えた訓練法だな」

 その様子を見て感心したようにしゃべったのは休憩中のアルだった。
 内容は単なる動物とじゃれるような遊びだ。
 だが、どうして中々これがタルタロスには良い訓練になる。

「片目しかないから高速で動くボールを正確に捉えるのは極めて難しい。だがこの方法ならば子供たちもタルタロスも楽しみながら知らず知らずに訓練になる、まさに一石二鳥だな」

「だな、コリンたちも楽しんでいるしな」

 恐らくタルタロスには訓練だと思ってこんなボール遊びはやっていないだろう。
 文字通り、これは誰の目から見ても遊びなんだ。

 だが、優秀なドッグブリーダーの育てた犬だって元はこんな遊びみたいなもので鍛えられて、誰もが一目するようになるのだし案外馬鹿にはできない。

「おーし! じゃあ今度はもっと遠くに投げるぞー! いっくぞーっ!?」

 コリンはそう言うと大きく振りかぶる。
 ここは河川敷、十分な広さがあり野球やサッカーだってできる。
 だが、トモエには少し不安があった。
 コリンが思いっきり投げると、それはトモエの予感的中。
 コリンのボールは勢い余って川の方へと投げられたのだ。
 タルタロスはというと周りがみえていないのかボールを捉えて一気に走る。
 だが、突如足は水の中へと突入するのだった。
 慌てるタルタロスにトモエは真っ先に駆けた。

「まずい! 大丈夫かタルタロス!」

「ブーイーッ!?」

 川はそんなに大した深さではないが、子供のイーブイのタルタロスには十分溺れられる深さだった。
 ましてまだタルタロスは泳ぐことができず、水に入ることを苦手としている。
 バシャバシャと水をその前足で叩くも、虚しく体は沈み込む。
 幸い寸前のところでトモエに助けられたが、これはタルタロスには忘れられない思いになっただろう。

「ごめーん! タルタロス大丈夫?」

 コリンは慌ててタルタロスの元へと駆けた。
 タルタロスはというと、トモエの胸の中で大泣きしていた。

「やれやれ、茶チビの奴その泣き癖は何時まで経っても治らんな……」

 呆れたように川に入ったボールを拾うと、トモエたちに元に歩み寄りアルはそう言った。

「そう言うなよアル、タルタロスは子供なんだから」

 トモエはというとそう言って大事にタルタロスをあやしていた。
 それを見てアルはムスッとする。
 大体が、アルはトモエがタルタロスに構っていると機嫌が悪い顔をするが今回もそのようだった。

「濡れた体を拭いて……あと、包帯を変えないとな」

 トモエはそう言うと、予め持っていたタオルでタルタロスの体を拭いた。
 事前に包帯を取り、風邪をひかないように多少過保護気味に拭き終わると包帯を懐から取り出そうとする。
 夏場になり、暑くなってきたのでタルタロスの包帯の交換も頻繁になり常備しているのだ。

「? あれ?」

 しかし、そこでトモエが頭に?を浮かべる。
 懐から包帯が出てこないのだ。

「包帯が無いぞ……おかしいな?」

「持ってき忘れたのか?」

 アルがそう聞くとトモエは首を振る。
 トモエはランニングをしていた時点では包帯は懐にあったという。
 いつから無くなったかは分からないがどこかで落としたようだった。

「……しょうがない、アパートの方にストックがあるからそれを取ってくるか。アルはコリンとタルタロスを頼むな」

「うむ、わかった」

 トモエはタルタロスをアルに預けると急いでアパートに向かうことにした。
 これも訓練かとトモエはアルセウスから頂いた力を僅かに使いながらアパートへと向かった。




 ……その帰りだった。
 行きは何事も無くアパートに付き、家の鍵も問題なく持っており、包帯の入手も容易だった。
 後は教会で待っているであろうアルたちの元へと帰るだけ……それだけだった。

「……? なんであの辺りだけ人だかりが無いんだ?」

 普段は人混みで満足に歩くこともできないほど、ごった煮のショッピングモールに人だかりがぽっかり開いた場所があった。
 一体何事かと思い、近寄るとショーウインドウをぼんやりと眺める一人の少女を見つける。

 ……訂正、少女じゃなくてロボットだ。

「あの娘……たしかアリサって言ったけか? 何やっているんだ?」

 ショーウインドウの先をボーっと眺めている一人の少女……的なロボットは何をしているのだろうか?
 気がつくとトモエはその場が妙にガラ空きなのを忘れて少女の後ろからショーウインドウの中を覗いていた。

「服?」

「……あ」

 突然トモエが後ろに立つといくらなんでもアリサはトモエに気付いた。

「あ……よ、よう」

 トモエは前回の戦いの戦慄を思い出す。
 以前、この少女にどんだけ苦労させられたことか。
 そう考えると油断の出来ない相手だった。
 何せあのドクターが作ったロボットだから……そう付け加えるべきだろう。

「古戸無朋恵、ドクターマルス攻撃目標優先ランクSSS、発見次第即攻撃……」

「ッ!?」

 少女がなにか思い出したように呟くその言葉は一言でいうと危険しかなかった。
 思わず身構えるトモエだったが、しかしアリサは特に動きを見せない。

「……しかし、今は勤務時間外なので優先順位から外れるロボ」

 そう言ってアリサは再びクルリとショーウインドウの方向くのだった。
 はぁ? と気の抜けたような声を上げるトモエは不思議そうにアリサを眺めた。
 やっぱりというかなんというか……あのドクターが造っただけに一癖も二癖もあるロボットだった。
 だけど……。

(こうやって後ろ姿を眺めていると……やっぱり普通の女の子にしか見えないよなぁ)

 普通に可愛いと思う。
 やっぱり未だにロボットだとは思えない。

「? アリサに何か用があるロボか?」

 ふと、視線に気づいたのかアリサが振り向く。
 ロボットでも視線は気になるのか、トモエも少し戸惑う。

「あ……えと、アリサは服に興味があるのか?」

 戸惑ながら出てきた言葉はそれだった。
 われながら陳腐ともトモエは思ったが、それ以上の言葉が出てこなかったのも事実だ。
 幸いにもアリサは特に気にしてはいないようだったのが幸いだろう。

「別に」

 いや、むしろアリサは特にトモエには興味がないのだろうか?
 ただ簡単に一言で片付けてまたショーウインドウに目を向ける。

「ただ……」

「え?」

 ふと、おしまいかと思った言葉に続きが出てくる。
 突然の言葉に呆然とするトモエ、アリサは淡々と喋った。

「アリサにとってこの世界は情報では知っていても、実際には見るのも聞くのも初めての物ばかりロボ……だから気になったんだロボ」

「……そういうの、興味があるって言わないか?」

「興味があるんじゃないロボ、気になっただけロボ」

 ……意外と意地っ張りなのか、意見は変えようとはしないアリサ。
 しかし、その言葉を聞いているとトモエは少しアリサの見方が変わった気がした。

「結構可愛いところあるんだな」

「え?」

 アリサが驚いたように振り返る。
 ロボットでも褒め言葉を言われたら照れるのか?
 俺はアリサが見ている服の値札を見てみる。
 もし買える値段ならプレゼントしてあげようかと思ったからだ。

 しかし、その値段を見たとき驚愕する。

「ッ!? おま……アリサ、お前すごい値段の服見ているな……」

 それは一見すると普通の洋服だった。
 ところが値段は明らかに0の数がおかしい。
 ぼったくっているような値段だった。

「アリサ……お前この服欲しいのか?」

「欲しい? アリサは……」

 プレゼント出来る値段ではないが、聞いてみるとアリサの答えは……。
 しかし、その時。

「いたぞ! ここだっ! 貴様等動くなっ!?」

「……はい?」

 突然だった。
 一斉に俺達を包囲する警察。
 突きつけられる無数のピストル。
 その数50名近く、防弾装備も完璧のご様子。
 アノ、ボクイッタイナニヲシマシタ?

「あの、アリサさん? あなた一体なにをしたんですか?」

 思わず敬語になるトモエ、今それ位テンパッていた。
 警察は何やら緊張した面持ちでこちらに銃を突きつけている。

「特に覚えがないロボ」

「覚えがなくてなんで警察に取り囲まれないといけないんだよ……」

 アリサは思い出そうとはしているようだが覚えがないという。
 だが、この様子どう考えてもおかしい。
 まぁ、司法の敵たるダークプリズンのアリサが街にいる時点で警察はくるのかもしれないが、いくらなんでも異常じゃないか?
 ドクターマルスの時はこんなに騒がれなかったぞ?

「あ、あの……これは一体どういう――」

 俺はとりあえず警察に銃を突きつけられる理由が無いので事情を説明してもらおうとするがそんな事するより先にアリサは。

「銃火器多数を確認、危険度上昇、迎撃に移りますです」

「ちょっ!? まっ――!?」

 突然アリサは腰に装備している50口径マグナム二丁を抜くと、有無言わさず乱射し始めた。

「うわぁぁっ!? 撃ってきたぞ!?」
「怯むなぁ! 撃ち返せっ!」

 世の中はどれだけの理不尽が詰まっていると言うのか?
 少なくとも今トモエは、この上ない理不尽さを存分に噛み締めていた。
 ……訂正、このような理不尽は噛み締めるものではない。

「だぁぁぁぁぁっ! なんてことをしてくれるんだよっ!?」

 これは一体どういうことだろうか?
 トモエには今、あのアルセウスと出会った時並の理不尽さを感じていた。
 俺は社会にしっかりと貢献している善良な一市民……なのにどうして警察に撃たれなければならないのか!? トモエは嘆くしかなかった。

 警察は今、間違いなくこの古戸無トモエをアリサの仲間と見なし、ためらいなく撃ってきている。
 警察の手に持たれた、血の通わない鉄の塊から放たれる火のような熱さを持った鉛玉は容赦のない弾幕を張り、トモエとアリサを襲うのだ。
 冗談じゃない、その一言に尽きるだろう今の現状は。

 ここから先は一つでも選択肢を間違えたら即死亡に繋がる!
 そう容易に感じさせてくれる現状は、幸か不幸かトモエに精神を冷静にさせた。

 こんなくだらないことに使うのはアルに申し訳ないか?
 否、今は命の危機なのだ! 四の五の言える状態ではない!
 銃弾が一発目の前を通り過ぎる、彼はそれを僅かに動いて回避した。
 そう、その瞬間彼の『世界の見え方が変わった』。

「白昼堂々撃ちあうんじゃねぇ! この馬鹿っ!」

「にゃっ!?」

 トモエはアリサの首根っこを掴むと引っ張り上げ、抱き上げるとそのまま一目散にその場から逃げるのだった。

「あっ! 待て! テロリスト2名、北へと逃走! テロリストは強力な火器を所持している! 慎重に当たれ!」

 テ・ロ・リ・ス・ト・二・名?
 トモエは泣くしかなかった。
 こちとら毎日をちょっと一般人より低い生活水準で生きているだけのまっとうな市民だというのに、テロリスト扱い。
 もうトモエには一体何を恨んで、何を嘆けばいいかさえさっぱりわからない。





「――はぁ……はぁ……ここまでくれば大丈夫だろ?」

 トモエは常人では考えられないほどの速度で走りぬけ、気がつけば街の北の端の辺りまでやってきていた。
 そこには警察の目は見られず、ようやく一息を着いたトモエはその時、アリサの様子に気がついた。

「…………」

 目を見開き、口をポカンと開けて固まるアリサ。
 一体どうしたのかとトモエは良くわからなかったが、突然アリサを目を輝かせるのだった。

「銃撃戦のさなかアリサを抱きかかえて逃亡……これって愛ロボッ!?」

「……はぁ?」

 今度はトモエがポカンと口を開く番だった。
 トモエの体から降りたアリサはまるで恋する乙女のように目を輝かせて、とんでもない言葉を発したのだ。
 トモエには理解不能、理解不能。
 というか至極正常な判断が出来る人間ならば誰が理解できようか?

「愛って……あのなぁ? あのまま撃ち合っていたら危ないだろうが」

「それは大丈夫ロボ、アリサは銃弾ごときではビクともしないロボ」

「オメーの心配じゃねぇ、警察のみなさんが怪我したら俺の社会生命は完全に絶たれるの! ていうか今の状態ですらやばいわ!」

 恐らく警察は今も血眼になってトモエとアリサを探していることだろう。
 いつもいつも飽きもせず運命っていうのはトモエに不幸をもたらし続けるが今回は特別に不幸ではないだろうか?
 だが、肝心の当事者であるアリサはむしろ幸せそうな顔だった。
 どんよりと不幸顔のトモエとは真逆に幸せ全開のアリサはまさに対照的であり、なんでこうなったとトモエは今更ながら疑問に思った。

「そうか、トモエはアリサが好きなんだロボね……でも、哀しいロボ。アリサとトモエは所詮敵同士……互いが愛を語ろうともそれは叶わぬ愛なんだロボ……」

 全力全開妄想マックス……アリサの口から語られる聞く人が聞く人ならばとんでもない誤解を招きそうな言動の数々に、トモエは冷静な判断が取れなかった。
 どうしてこうなった? もう何度目かさえわからない同じ言葉が彼の頭の中で何度も繰り返される。

「トモエ……ううんダーリンごめんなさいロボ! アリサは敵だからダーリンの愛に応えられないんだロボ」

「ロボットの癖にお前の頭の中は桃色か? どこをどう捻ったらそういう答えに行き着くんだ?」

 トモエは呆れていた。はっきりと呆れていた。
 そのやる気のない口調からもわかるほどに呆れているのだ。
 いつのまにやら自分の立場は彼女の中ではトモエという一人の人物からダーリンにまでランクアップしてしまったらしい。
 あまりの展開の速さについていけず、またどうでもいい状態にもはやどうすればいいのかさえ分かるわけがない。

「でも……それでもダーリンがアリサを好きだって言ってくれるのなら……アリサは……ポッ」

 何故か赤面するアリサ。ロボなのに……と思わず突っ込みたくなるがそこはかとなくスルーしてしまうトモエだった。
 そもそもあのドクターマルスは一体どういう思考を持ってこんな破天荒なロボットを造ったのであろうか?
 今目の前にいるロボットは、正しく恋する少女そのもの。

 そりゃ確かに、アリサは可愛いと思ったし、むしろロボットである方が不思議とさえ思った。
 そう思ったが……やっぱりこれはないな、そうトモエは実感していた。

「あのさアリサ?」

 だんだんと思考が回復してきたトモエは、いい加減弁解をしようとするがすでに時は遅しというか……。彼女の暴走はもはや誰にも止められない。

「駄目ロボ! それ以上言わないで! アリサは罪深いロボットなんだロボ! あなたを愛に仇で報いてしまうロボ!」

「……突っ込むべきなのか?」

 昔漫画で見た光景では恋する乙女は無敵だった。
 今のアリサはまさにそれ、この恋するロボットはもう誰にも止められないこと請け合いなのだろう。
 つまり、弁解の猶予はないということだろう。
 ……どこまで行っても不幸なのだな……トモエは溜息を漏らすしか無かった。

「たく……もういいよ、盛大に誤解してくれ、俺はいく」

 いい加減帰らないとアルたちが心配する、そう思ったトモエはアリサの説得を諦めて教会に帰ろうとした。
 だが体を前に進めようとしても前に進まない、というかトモエの腕がギュッといつの間にかつかまれていた。

「……ダーリン」

 頬を赤らめて、涙目の少女。
 ここまでならばまさに絵に書いたような乙女だろう。
 だが、忘れてはならないが彼女は敵でありロボット。
 そもそもロボットに恋愛感情なんてあるのか? そんなどうでもい疑問さえ今のトモエには浮かぶ始末であった。

「えと……この手は何かな?」

 何かもの言いたげにトモエを見て、何も語らないアリサはギュッとトモエの手を握っていた。
 これは……誘っているのか? 彼女は自分を誘っているのか?
 トモエは帰るに帰られず、また動くに動けなかった。

 数分の沈黙、互いにどうすればいいのか分からない状態が続くと、気がつくと不穏な空気に気がついた。

「……!? 警察か?」

 現在トモエ達がいるのはまさに路地裏。警察は表通りを忙しく走り回っていた。

「ッ! アリサとダーリンの甘いロマンスを邪魔する敵役ロボッ!?」

「激しく突っ込みたいけど、どうせ聞かないだろうから突っ込まないよ……ていうか、どうするものか?」

 周囲を歩く警察の数は次第に増えていっているような気がした。
 このままでは発見されてあらぬ容疑で捕まるのは明々白々。なんとしてもこの場は切り抜けなければならない。
 トモエはどうすればその場を切り抜けられるか周囲を見回し必死に探した。
 ふと、その時ひとつ目に映ったものがある。

「映画館か……よし、アリサ一旦あそこに隠れるぞ」

「デートロボかっ!? 初めてロボ……ああ、アリサまだおめかししてないロボ……どうしようロボ〜……」

 恋は盲目とはよく言ったものだ。
 トモエはアリサの腕を引っ張ると警察の目をかいくぐって映画館の中へと入っていく。
 アリサはというと、本当にロボットとは思えない満面の笑顔を浮かべて、嬉しそうに手を引かれて映画館に入るのだった。
 その様は事情を知らない人間からは誰から見ても幸せそうなカップルにみえただろう、アリサだけを見れば。





「……かなぁり適当に選んで入ってしまったが、よりにもよってB級ロマンスとは。まぁいいか……終わるまで隠れていたら警察も諦めるだろ」

 トモエは後悔していた。
 われながらかなり適当に選んだ結果が、チープな内容のB級ロマンスの映画だったのだ。
 余程人気がないのか、座っている観客の数もまばらでむしろ空席の方が目立つ始末。
 内容もありきたりであり、目新しさも無ければちっとも面白くもない内容。
 だが、トモエにはある意味冗談ではないように感じた。

(その気もないのにアリサとB級ロマンスじみたことしているんだから洒落にならないよなぁ……)

 しかし、見ていてつまらない。薄暗い環境につまらない映画はたまらなく眠気を誘う。
 実際のところぐーすか眠っている観客も見受けられる。
 お世辞にいい映画館じゃないなとトモエは感じつつも、隠れるだけなら丁度いいかと思い、横に座るアリサを見る。

「…………」

 アリサはというと、まるでショーウインドウを覗いていた時のように無表情で、だけど映画を熱心に見ている。
 いや、彼女の場合は観察なのかもしれない。
 彼女にとってはまだまだ世界は新しい事だらけ、だからこそ色々な物を知りたいのだろう。
 そういう意味ではどんな映画でも、映画館に入るということはアリサにはいい経験なのかもしれない。

「……? どうしたロボ、ダーリン」

 ふと、トモエの視線に気がついたアリサはトモエに振り向いた。
 「ああ、いいよ前を向いといて」と言うと、アリサは直ぐ様映画を見ることにする。
 トモエはそのままアリサに話始めた。

「面白いか? 映画は」

 面白いか……それは何も知らない機械人形には愚直なことなのかもしれない。
 アリサは表情を変えず、視線も変えず冷たい言葉で言ったのは、否定する言葉だった。
 ただ簡単に「別に」と、それだけだ。

「――から」

 ふと、アリサの表情が変わった気がした。
 口元が動き、小さな声で何かがつぶやかれた。

「なんって……?」

 トモエが聞き直す。
 直後、映画から大音量が館内に響く、クライマックスシーンか何かだろうか?
 しかしトモエには大して興味もなく、むしろアリサの方が興味があったため、それは大して意味のない雑音に過ぎない。
 映画の大音量とかぶるように放たれるアリサの小さな言葉。

「…………から」




 …………。




「……アリサ、か」

 映画が終わった後、アリサは突然トモエに別れを告げてどこかへと走り去っていった。
 彼女には彼女の事情があり、トモエにはトモエの事情がある。
 出逢いがあれば、別れもある。

 ただトモエの心境は最初は早く離れたいと思っていたものが、もう少し位付き合ってあげてもよかったか……と、知らぬ間に変わっていた。
 映画館であった出来事、あんまりにも陳腐すぎて映画の内容なんぞ欠片も覚えていない。
 ただ、神経を研ぎ澄まして聞いたアリサの言葉。


 ――アリサは、面白いと感じる方法を知らないから。

 産まれたばかりのロボットは赤子と同じ、何も知らないんだ。
 だからこそアリサは何が面白くて、何が哀しくて、何が楽しくて、何に怒ればいいのかがわからないんだ。
 本来ならば子供がその成長の中で覚えていく当たり前の感情、でも彼女は産まれた時から大人であり、子供だった。
 でも大丈夫、時は必ず彼女を恋する乙女から立派な大人へと成長させるだろう。

「……世の中ってそりゃ辛いことが9割だよ、でもなぁ残り1割の幸せを感じられないなんて……9割の不幸を否定するより不幸だぞ?」

 トモエは日々が理不尽の連続だ。
 仕事が入らなければご飯は食べられないし、電気も使えない、お風呂にも入られない。
 アルセウスと付き合っていれば面倒なことなんていくらでも起きる。
 アリサと出逢えば今日のような有様。
 頭をさげることなんてしょっちゅうだし、理不尽なことなんてとにかく多い。
 もしかしたら大人になるっていうことがそもそも理不尽であり、理不尽であり続けることなのかもしれない。

 それでもトモエは思う、理不尽の中にある幸せが自分の幸せなんだと。
 幸せを知るのは辛いことも知ることになる。
 それでもトモエはアリサに思う。

「次会ったら、面白いってことくらいは教えてやりたいな」

 トモエはすでに平穏を取り戻したアークスシティで夕日挿し込む時間、静かに教会へと帰った。
 今日もまたドタバタしたが、これはこれで楽しかったのかもしれない。
 そう思うと笑いも浮かべられる。



「――で、一体どんな事情があれば汝はこんな時間に帰ってくるのだ、契約者よ?」

 ……そして教会、トモエを迎えたのはカンカン顔のアル達であった。
 聞けば、いつまでたってもトモエが帰ってこないから心配になったノーマは一人飛び出し、そのノーマが帰ってこずにいるためコリンたち子供たちが泣き出し、挙句の果てに相乗効果でタルタロスまで癇癪を引き起こす始末。
 そして御免被るのは当然の如く子守りをするアルセウスなわけだ。
 いくらあやしてもあやしても、子供たちは泣き止まず次第にアルセウスにもストレスが溜まっていく。
 しかしストレスのはけ口はおらず、どんどん怒りはやがて理不尽へと変わっていったのだろう。
 当然、トモエが帰ってこようものならその怒りに似た理不尽の矛先はトモエに向く。

 属に言うこれが理不尽というものだ。
 自分がどうにかしようとしても、周りがそれ以上のことをやってのけてしまう。

「ああああああああっ! やっぱり理不尽なのかよぉっ!?」

「あ! 逃げるなトモエー!!」

 幸せな余韻などどこ吹く風。
 教会に戻ればまた、問題に問題、大問題!
 世の中なんて9割が不幸で出来ている。
 トモエも結局は盛大に理不尽を噛み締めるのだろう。
 だが、アークスシティは今日もいつもどおり、平穏だった。



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