黒の閃光
    三:黒幕

 誰かが階段を上ってくる音が聞こえる。それは段々と大きくなる。それは、着実に近づいてきていた。
 コートニーは、壁際でその嫌な音を聞いていた。懐から、ナイフを取り出し、右手の指で掴んだ。肩の痺れはない。そんなことを言っている場合ではないが、まだ少しだけ痛みはあった。
 相手はひとりか……コートニーは考えた。相手がひとりなら、何とか勝てるかもしれない。しかし、ふたり以上なら、どうなるかわからない。逃げるだけなら何とかなるが、勝負となると、スタミナの関係で負ける可能性が高くなる。
 足音から判断すると、敵はひとりである。しかし、コートニーは汗をかいていた。何か、ただならぬ異様な雰囲気を、感じ取っている。
 『何者だろう?』
 コートニーのこめかみを汗が流れる。頬を伝い、顎に落ち、地面に滴る。
 『守衛の騎士団かな?』
 村の入り口ではなく、ここにいるというのは、どういう理由なのか。
 『宝物庫をひとりで護っているのか、それとも……裏で闇に流しているのか…?』
 階段から、そいつの頭が見えた。一歩一歩上がる度、その姿が露になる。まるで地面から生えてきているようで滑稽だが、これから戦闘をするかもしれないのだから笑う余裕もない。男の髪は、青。痩せぎすの、年齢は二十代半ばだろうか、頬がこけた目つきの悪い、コートニーの嫌いなタイプの顔つきだった。
 しかし、こいつにはそんなに強そうなイメージはない。どちらかというと、見えないところでせっせと悪事に勤しむ、悪知恵の働く政治家という感じだった。戦闘には素人の、コートニーが戦慄するほどの異様な雰囲気は、この男からは感じられないのだった。
 『なんだろ……間違いかな…? あたしの勘違いか…?』
 しかし、その男の後ろから、頭を含めた全身を黒のマントで覆った、男とも女ともつかない人物が姿を現したとき、コートニーの全身からサーッと血の気が引く音がした。フードが影になり、その人物の顔が見えないのである。体つきは、小柄で、これも痩せぎすである。
 前を行く男よりも、線が細い。あるいは、女なのかもしれなかった。
 『こいつだっ…!』
 コートニーは全身を引き締めた。しかし、その全身黒ずくめの、まるで影のような人物から発せられるすべての存在を否定するような、奇妙で圧倒するオーラを感じ取ったとき、コートニーの体は怖気づくように震え出した。
 ふたりの人物は、コートニーに気付いていない。しかし、マントの人物の顔は、コートニーからは見えない。もしかしたら、気付いているのかもしれない。
 それでも、彼女を無視しているのかもしれなかった。
 コートニーは、マントの人物をまともに目で追えなかった。ふたりは、彼女に気付く様子も見せずに、太陽の明かりが降り注ぐ、広間の奥の方へゆっくりした足取りで歩いていく。コートニーの視線は、前を行く男の手を捉えていた。
 「あーっ!あたしのお宝ちゃんっ!!」
 コートニーは、目つきの悪い男の手元を指差しながら怒鳴る。体が震えるほど戦慄していた割に、欲が深い……。
 ふたりの人物はコートニーを振り返る。
 「あ。しまった…」
 と、ここで墓穴を掘ったことに気付き口を押さえたが、もう遅い。
 「へえ…。女盗賊かい? 珍しいな、こんな子供が」
 と、男は余裕の笑みを浮かべている。男にしてはきれいで、透き通るような、しかしコートニーには気持ち悪いだけの声だった。
 「これが欲しいのかい? でもね、これは僕が先に盗って来たんだからね。あげられないよ」
 と、連れとはまた違った意味で背筋を悪寒が駆け抜ける台詞を吐く。
 「まだ下にいっぱいあるから、自分で盗ってきなよ」
 「だったらそれちょうだい! あんたがもっかい下に降りたらいいじゃないっ」
 「…無茶言うなよ」
 「あたしそれだけで我慢したげるから、あんたが下からお宝ザックザク、盗って来なよっ」
 コートニーは、男の後ろに立っている人物には目も向けず、いや、視界にも入らないように、少しずらして男に話し掛けている。自然、話し掛けている男の姿も見ていないのだった。だから、ふたりの目には、コートニーは盲目な盗賊なのかもしれないと映ったかもしれない。
 コートニーがこれほど無茶を言うのにも、ちゃんと理由があった。今、下に誰がいるかわからない。もし、この男の姿を見てしまったことで、自分が消されることになったなら、下の宝物庫とは、言わば袋小路なのだ。自分から死地に赴くことになる。だから、自分から下に降りたくない。そしてできることなら、降りずにお宝もゲットしたい。それには、今男が持っているお宝が三つばかりだけだったが、それで我慢してもいいと思えるのだ。
 それに、男の後ろにいる異様なオーラを漂わせる影が、気になってしょうがないのだ。こいつと、もし戦闘になった場合、自分は決して生きて地上に戻れないだろうと、コートニーは冷静に判断している。できることならすぐにでも逃げたいが、せっかくここまで来て手ぶらで帰るのも癪である、と、そういう理屈なのだった。
 「お願いだからそれちょうだいっ!」
 と、コートニーは手を合わせ、拝むようにして頼んでいる。よっぽどこの場から離れたいのだ。男が持っているお宝自体に興味があるわけではなかった。
 男は呆れているようだった。盗賊なら、忍び込むのが当然だ。そして、罠を切り抜けて成長するものである。男は、そう考えている。だから、他人が盗んだものを横からちょうだいと言うのは、礼儀作法に反する上に、盗賊としてのプライドを疑ってしまうのであった。
 「…しょうがないなぁ…」
 と、男が小さく呟いたのを聞き、コートニーは
 「えっ、くれんの!?」
 と期待する満面の笑みで男を見た。
 か、かわいい、と、男は頬を赤らめる。
 「ひとつだけあげよう。でも、これだけだよ?」
 と言って、男は手にした宝石のひとつをコートニーに放り投げた。それは群青色に輝く、きれいなこぶし大の宝石だった。かなりの価値がありそうな石を、惜しげも無く男は放り投げたのだった。
 「ありがとうっ」
 コートニーは両手を広げて、その宝石が飛んでくるのを待っている。だから、パシッ! と手に受け止めた時は、至福の瞬間だった。
 『やった、これで地上に戻れる!』
 「あり……」
 と、もう一度言おうとした時だった。
 ブァンッと、今までふたりのやり取りを静観していた黒ずくめの人物が、その周りに風を起こした。戦闘態勢に入ったということだと、すぐにコートニーは気付いた。ずっと、さっきからプレッシャーのような圧迫感は感じていたが、お宝を見るために、そして大声を出すことで、恐怖を紛らわせていたのである。
 しかし、それもお終いだ。一番敵にしたくないマントの人物が、戦闘態勢を調えたのだから。
 「お、おいっ、何をするつもりだ!?」
 男が連れに呼びかけた。
 「………」
 当のマントの人物は、それを無視した。
 「ま、待て、その女の子はいいっ。ただの素人だ!」
 何の話しかはコートニーにはわからない。が、危険が迫っていることは確かだった!
 「……あんたは忘れている…。このガキは近衛騎士団が護る遺跡に入ってこられたんですぞ…」
 「む……」
 と、男の顔つきが険しいものに変わった。
 「そうか…ここはグローバー遺跡……」
 おや? とコートニーは思った。
 こいつらは、ここがグローバー遺跡ということを知らなかった? いや、知っているが忘れていたのか? ということは、こいつらは、別にこの村の人間ではなく、まして財宝を護るよう言い付かっているわけでもないということか。
 「…僕はかわいい女の子が死ぬ姿は見たくないな」
 と、財宝のいくつかを手に持った男が言った。もうひとりは、何も持っていないのだろうか。全身をマントで覆っているのでわからない。もしかしたら、この連れは、男のボディーガードのためにいるのかもしれない、とコートニーは思った。
 『そんなに、偉い人なのかな? あたしはこんなやつ見たことないケド…』
 「でも、口封じのために、殺すしかないでしょう」
 「げっ! マジ!」
 のんびり思い出している場合ではなかった。コートニーは驚き、逃げ出そうと振り返り、走り出した。が、振り向いた瞬間、目の前にマントの人物がいて、つんのめる。
 『ふたりいたのか!?』
 バッと振り返ってみても、元の場所にそいつはいない。男がひとりニヤニヤしながら立っているだけだ。
 「クックック…無駄だよ。そいつ、瞬間移動できるんだから」
 男が、わざわざコートニーに教えるように呟いた。
 「さて、可哀相だけど、覚悟してもらおうかな」

 「おりゃあっ!」
 ギィンッ!!
 ズバッ
 「ぐあっ」
 「たあっ」
 「うっ…」
 戦場と化した村の入り口では、男たちの怒号と、金属の交わる音、そして血飛沫の地面を濡らす音、断末魔の叫び声、息絶える間際のうめき声と、様々な音に支配されていた。ジードも返り血を浴びて、服が血で汚れている。元々黒い装備だからわかりにくいが、顔に飛び散った敵の血飛沫は、その白い肌には浮き出るように鮮やかに映えた。
 村の仲間も、大勢死んだようだった。敵の骸も、転がっている。しかし、まだ敵の頭は獲っていない。元々強い相手である上に、山賊共を裏で操っている黒幕を聞き出すため、頭は殺さずに生け捕りにするのである。加減しないといけない分、こちらは不利である。その隙を、敵は空かさず攻勢に出る。
 そうして、数人が頭を真っ二つにされ、即死した。こちらの、敵の頭の相手は、リーダーのフォルスではない。フォルスの脳みそには手加減という文字は無い。生きるか死ぬかの戦いしか経験していないのであった。そこで、ジードが相手をすることになった。ジードなら、武器も斧ではなく剣だし、叩き壊す戦術ではないから、何とか敵の息の根を止めずに捕獲することができるかもしれないと考えたのであった。
 ジードは、相手よりも年齢も体格も半分程度だが、この村ではフォルスの次に強い実力者である。フォルスが使えないのであれば、彼を出すしかなかった。だからフォルスは、せいぜい下っ端を惨殺するのに必死だった。フォルスの強さは圧倒的である。見る見るうちに敵を真っ二つに切り裂く。まるで怒涛の如く、鬼人のような形相で……。
 しかし、人数には勝てない。こちらも、ほとんどの兵士がやられた。フォルスは圧倒的な強さを見せ付けるが、その他の者たちは普通の兵隊なのだ。筋肉隆々とした、武骨な集団だが、それは敵も同じなのである。
 やはり、最後には数が物を言ったのだろう。フォルスは圧され気味だった。それでも、フォルスは堪える。遺跡を護れという勅命を受けているのだ。その使命がフォルスに力を与える。体力的にはギリギリでも、気力は充実していた。
 ジードは焦っていた。敵の頭をねじ伏せることができたら、おそらく残りの雑兵共は降参するだろう。大将を失っては統率が取れず、戦争にはならないのだ。
 だから、早く倒してしまわねば、と焦るのであった。フォルスの体力も限界とわかっていた。しかし、焦って不用意に相手の懐に飛び込んだりはしない。相手から攻撃してくるのを待つのだ。攻撃に移る瞬間、必ず一瞬の隙ができる。そこを逃さず突く。
 ジードは、剣を下段で構える。両腕でしっかると柄を握っている。焦ってはいけない、焦ってはいけないと心で呟きながら……。
 ジードは狙っていた。
 「うおりゃああっ!!」
 敵の頭は、相手を萎縮させるほど大きな声を上げ、斧を大きく振りかぶったままジードに突進してきた。
 ドドドドドドドドドッ!!
 まるで地鳴りのように頭は走る。砂煙を上げる。
 ジードはじっとしたまま動かない。剣先も動かない。目だけが、しっかりと相手を見据えていた。
 「あああっ!!」
 ズドッ!!
 と、渾身の力を込めた斧が振り下ろされ、土に突き刺さる。ジードがその軌跡にいたら、真っ二つに両断されていただろう。しかし、ジードの姿は、既にそこにはなかった。紙一重で避け、斧が地面を抉る前にジャンプしていたのだ。
 ドンッ
 ジャンプした瞬間、背中を反り曲げ、剣を振りかぶったジードは、最高到達点に達する前に、両腕で振り上げた剣を叩き降ろし、それが頭の両腕の肘から先を落としていた。ドンとは、肘から先の部分が地面に落ちた音なのだった。
 「ぐわあああああっ!!!」
 気合いではなく、今度は悲鳴が上がった。どちらにしろ喧しいことこの上ない男である。しかし、命に別状はない。武器が使えないから、もう戦闘もできないし、山賊稼業も二度とできないだろう。
 ジードは、始めから頭の肘を両断するつもりでいたのだ。それには、自分から攻撃していたのではなかなかできなかった。奴の斧が地面に叩き付けられたからできたのだ。ジードの作戦勝ちである。
 頭の悲鳴を嫌が上でも聞いたその他の山賊共は、信じられないような顔つきで大将とジードの顔を見、ある者は武器を捨て逃げ出し、ある者はそれでも戦った。
 しかし、大将を失った兵は焦るためか脆く、無駄に命を散らすだけで終わる。半刻もしない内に、決着はついた。ジードたちの大勝利だった。
 しかし、代償は大きかった。四十人いた兵も、ほとんどが殺され、今では半分以下という有様だった。このままでは、次に襲われたときには敗北を喫するかもしれない。それはつまり、近衛騎士団の敗北であり、国王の威厳の崩壊でもある。
 「…増援を頼まないとな……」
 戦いの後、荒れ果てた戦場の惨劇を見て、フォルスは誰に言うともなく言った。
 『護るために、あと何人殺すのだろうか……』
 「団長」
 若い村の男が、フォルスを呼んだ。フォルスは、ここではまだ騎士団の団長だった頃の肩書きで呼ばれている。
 「ん…なんだ?」
 「拷問の準備が整いました」
 若者はニヤリと笑った。
 「そうか…」
 なぜかそれとは対照的な表情でフォルスは頷き、
 「…行こう」
 囁くような声で言い、のそのそと歩き出す……。

 剣の血糊を拭きながら、ジードは思い出していた。
 あのときの女。いや、まだ少女か。なぜ、こんなところにいたのか。今はもう、どこにも姿は見えないが、ここは、外見的には村とは言え、近衛騎士団の住処なのだ。ジードがここに来てまだ半年経つが、それでもあの少女を見たことがなかった。
 『会ったことはあるが、それを忘れてしまったのだろうか? それとも、本当に知らない、この村の人間じゃない娘だとしたら……』
 「フォルスさんっ!」
 ジードは慌てたように、自分の家に入ろうと、小屋の階段をのっそり上がっている途中のリーダーを呼び止めた。
 もしかしたら、あの少女は盗賊かもしれない。ファルクの命の恩人ではあるが、盗賊なら見過ごすわけにはいかない。しかも今姿が見えないということは、戦闘のどさくさに、遺跡の中に入って行ったのかもしれなかった。
 「なんだとっ!」
 ジードの報告を、いや、個人的見解を聞き、フォルスはうろたえた。
 「見に行こう!」
 フォルスは走り出した。ジードは、しっかりついていく。自分もついて行くべきであると考えたからだったが、フォルスを呼びに来た若者は、ひとり取り残されたように、ポカーンと口を開け、離れて行くふたりを目で追っていた。
 そして、ハッと我に返ったときには、既にふたりの姿は影も見えなかった。はあ、と溜め息をつき、若者は小屋のドアを開け、中に入った。中には、生き残った数人の兵隊と、ファルク、そして両腕を失った山賊の頭が椅子に縛り付けられていた。
 「うぎゃあああっ!」
 頭は泣き叫んでいた。失った両腕の止血もしないまま、拷問にかけられているのだ。
 それも、拷問をしているのは、十歳のファルクである。戦闘が始まる前は、この大男の小脇に抱えられ、ぬいぐるみのように扱われていたのだが、今は形勢が逆転している。
 ファルクは、その恨みを晴らすためか、拷問というよりただのイジメをしていた。ファルクは、なぜ敵の頭が生きているのかさえ聞かされていないのだった。
 「おい、やめろよファルク。これから事情聴取するんだから」
 と、近くに立っていた男がなだめる様に言った。拷問ではなく、事情聴取と言った。惨いやり方を、子供には見せたくないからだった。
 ちぇっ、と口を尖らせ、ファルクは不貞腐れたように部屋の隅で膝を抱えて座り込んだ。
 「あれ。おい、団長はどうしたんだ? 呼んでこなかったのか?」
 と、今入ってきたばかりの若者に、その男は訊いた。
 「いや。…呼んだんだが、そこでジードと何か話して、ふたりで遺跡の方に走って行ったんだ」
 「ふーん…。何かあったのかな?」
 そのとき、山賊の頭の顔色が少し曇ったのだが、誰も気付かなかった。
 「じゃあ僕も父さんたちに付いて行ってくるよ」
 ファルクが元気よく立ち上がり、スキップしながら小屋を出て行く。背中から、
 「仕事の邪魔だけはするなよ」
 と声が飛んできたが、ファルクには聞こえていなかった。ファルクは、遊びたいと思っているのだ。しかし、この村にファルクと同年代の子供はいない。いや、子供自体いない。だからファルクは、ひとりで遊ぶか、おとなたちに遊んでもらうしかないのであるが、それもなかなか言い出せない。
 結局、ひとりで遊びまわるしかなかった。ファルクは、無邪気な十歳の子供なのである。

 「暗いですねえ……」
 遺跡を、あの入り口の扉を描いた布を捲り覗いたふたりだったが、ジードはその暗さに少々驚いた。確かに守衛が任務だから、中に入り財宝を点検することもない。灯かりをつけておく必要もないのである。
 「ああ。お前は初めて入るんだったな……」
 フォルスは、持ってきたランプに火をつけながら言った。
 「わしが案内してやろう。罠もあるからな」
 罠……。やはりあるんだなと、ジードは思った。
 「でも、古代王朝の古墳に、罠なんか仕掛けられてたんですか?」
 「ふっふっふ。わしらが仕掛けたんじゃ」
 ジードの素朴な疑問に、フォルスはニカッと口の端を歪めて言った。まるで悪戯をして喜ぶ子供のような表情だった。
 コートニーは罠に嵌まらなかったが、それはうまく勘と運だけで罠を潜り抜けたに過ぎない。明るいくせに慎重な性格が、彼女を救ったと言える。しかし、そのおかげで今戦闘するはめになったのだが……。
 「よし、行こうか」
 ランプの準備が整ったフォルスは、先に立ち、力強く、早く歩いた。ジードは、罠があると聞いたため、少し緊張している。フォルスのことは信じているが、一歩間違ったらふたり共死ぬことになるのだ。
 『だからもうちょっとゆっくり歩きましょうよ……』
 ジードの本心だった。
 「急ぐから、しっかりついてこいよ」
 ふたりが並んで歩けるだけのスペースがないため、どうしても縦一列になって歩くしかない廊下を、フォルスはまるで自分の家のそれを歩くように、さっさと進む。
 『罠を仕掛けたってことは、やっぱり財宝はあるってことなんだよな……』
 フォルスの大きな背中を睨みながら、ジードは考えた。それが目の前、ジードの視界いっぱいに広がっているため、それ以外のものが見えないのである。目隠しされているのと同じで、前がどうなっているのか、そしてどこをどう歩いているのかもわからなかった。
 もしかしたら、フォルスは一番弟子のジードにすら、部外者であるからという理由で財宝を盗むかもしれないと無意識に懸念しているのかもしれない。ジードに道を覚えさせないために、このように道を隠すように歩いているのかもしれない。しかし、単に道幅が狭いんだからしょうがないじゃないかという、ジードの考え過ぎである可能性もなくはないのであった。
 ジードは、右に左に伸びる道を通りすぎる度に、その向こう側を見ようと首を伸ばした。
 「おや」
 と、言って、フォルスは立ち止まった。急だったため、ジードは止まれず、ゴン、とフォルスの背中に額を打った。
 「いてててて」
 戦士の背中は硬い。まるで鋼か硬い岩にでもぶつけたように痛む。音も、ドンではなく、ゴンだった。
 「どうしたんですか?」
 額をさすりながらジードは訊く。
 「……なんだ…?」
 フォルスは、何かを必死に考える。彼の野生の勘は、異様な雰囲気をひしひしと感じ取っていた。フォルスという巨大な壁に阻まれているジードは、ただ頭に『はてな』を浮かべ、彼の顔を覗くように窺うことしかできなかった。
 「………」
 フォルスは、何も言わず、再び歩き出した。こめかみを見ると、冷や汗が垂れていた。どうやら尋常じゃない事態になったらしいと、ジードは察した。しかし、だからと言って、ジードにできることは何もない。せめて何が起こったのかを教えてもらわないと、意見も言えないのである。と言っても、立ち止まったままいたら置いて行かれるだけだ。とりあえずくっついて行くしかない。
 すると、奥の方から、人の声らしきものが聞こえてきた。何と言っているのかはわからないが、怒鳴るような声らしい。フォルスは無言で、段々と足早になっていく。声の主を知りたいというのと、財宝は無事かということが気になるのである。
 そして、声がするということは、数人も人が入りこんでいるということである。それは守衛の任務に就いている自分の怠りである。戦闘中だったというのは言い訳にならない。
 その内、フォルスは駆け出した。ちょっとちょっと、罠は大丈夫なのかよ、とジードは怪しみながらも、置いて行かれたくないので走り出した。
 フォルスは、その空間への入り口のところで立ち止まった。続いて、ジードも止まる。少し距離があったので、今度はぶつからずに済んだ。
 中では、戦闘が行われていた。いや、戦闘と呼ぶのはおこがましいかもしれない。一方が逃げ回り、一方が追い掛け回す、まるで鬼ごっこのような図が展開されていた。
 「ちょっ…危ないじゃないのよっ」
 コートニーは、マントの人物の手から生じられる炎の攻撃を間一髪で避けながら、部屋をぐるぐると逃げ回っている。相手の異様な雰囲気はかわらないが、コートニーは、怖いと思ったときは逆に明るく振舞う性格の持ち主のようだった。
 「止めなさい! ね? 話せば分かるからっ」
 と、訳のわからない説得を試みている。もちろんマントの人物は耳を貸さない。まるで聞こえていないかのように、炎を少女に投げつけていた。
 「………」
 ジードは、口を開けて、この緊張感があるのかないのかわからない構図を見ていた。
 ファルクを助けてくれた少女がいる。それはわかった。しかし、それを追い掛け回すマントの男と(ジードは男と断定している)、部屋の奥でそのやり取りを静観している男がひとりいたが、それらが誰なのか、ジードは知らなかった。
 「…どっちに加勢すべきかな……」
 どっちも敵なのだが、このままだと少女がやられてしまいそうだったので、ジードは少女を助けようと考えていた。どちらかというと、少女の方が弱そうだからである。弱い敵を助け、ふたりで協力し強敵を倒せば、残りは弱い少女を倒せばいいことになる。それが、瞬時に考えたジードの作戦であった。
 いくら盗賊でも、ジードは少女を殺したくなかった。かわいいから、という個人的な好みによる理由ではない。子供だからである。それも、自分の命の危険を冒してまで、敵の子供を助けるような、甘い、盗賊らしからぬ人格の持ち主だったからだ。
 いや、やはり好みなのかもしれない。ジードは、そういう当たり前な優しさを、勇気を持った女性が好きなのであった。
 ドンッ!
 と、後ろからジードの腰に巻き付いてきたものがあった。突然で、ジードはそれを振り解こうともがいた。
 「わっ、待ってよジード、僕だよっ」
 落ち着いて見ると、腰に巻き付いていたのはファルクだった。てっきり蛇か何かだと思い、死ぬほどの恐怖を味わったのだった。
 「お前、こんなとこまで来たのか。村で遊んでろよ」
 ジードはファルクを睨んだ。フォルスは、じっと戦闘を見つめていた。いや、戦闘ではなく、対面する位置に立っている男を見ているのだった。
 『どこかで見たような……』
 フォルスは記憶の回路をフル回転させる。
 ファルクの登場により、中にいた三人が、ジードたちに気づいた。
 「ちょうどよかったっ、ね、助けてよ。この人しつこくてさっ」
 と、コートニーはジードの腕にすがり付いた。
 後ろから、マントの男が、ゆっくりと近づいてくる。
 どうやら、ジードの最初からの作戦通り、まずは少女と組み、強敵を倒すことになりそうだ。そのとき、奥にいた男が、フォルスの顔に気が付いたとき、驚いた様子で言った。
 「フォルスっ…!」
 「ん…?」
 やはり、わしはあいつを知っている、とフォルスは思った。向こうが自分を知っているのだから、自分も知っているはずだ。
 『誰だったか……』
 「貴様っ…」
 と、その男は悔しそうに歯軋りし、
 「その男を殺せ! ジャミル!」
 と、マントの人物――名前から察してどうやら男のようだ――に命令した。
 「…了解、ジェトロ国司……」
 「ジェトロ国司!!?」
 フォルスは思い出した。ジェトロ国司か!
 国司とは、主要な都市に置かれる地方官のことである。基本的に、国王が任命する、国の役人である。簡単に言えば、市議会議員とか、県知事といった役職のことである。
 その役人が、なぜ遺跡の中に……。
 「国司が国宝を奪うのかっ!」
 フォルスは叫んだ。
 「わしは国王から直々に命令を受けているんだぞ! 貴様はっ……」
 近衛騎士団というのは、国王の元にいる武官であり、国司や文官である。武官と文官では、どちらが上というものはない。しかし、地方とは言え、一国を預かっている国司の方が、国王の身辺警護の近衛騎士団よりも、一般的には上と解釈されていた。
 「あれ、お姉ちゃん僕を助けてくれた人でしょ」
 話のわからないファルクは、コートニーに話し掛けた。彼女も政治のことや役人の話などに興味はなかったから、
 「そうだよー。助かってよかったね」
 と笑顔で応えた。さっきまでの大ピンチが嘘のような落ち着きようだった。
 「もしかしてっ…」
 ジードは何かを思い付き、フォルスに耳打ちする。
 「まさかっ……」
 それを聞いているフォルスは、ジードの話が進むにつれ顔が蒼ざめて行った。
 「ジェトロ…まさか、貴様が、山賊や盗賊を雇って…この遺跡を襲わせた黒幕だったんじゃ……」
 「んっ……」
 ジェトロは言葉に詰まった。そこまではバレているはずはないと高をくくっていたのだった。
 「なぜだっ? 貴様には国宝を護る義務があるだろう! それをっ…!」
 「ジャミルっ!」
 ドンッ!
 「ぶぐっ」
 それが合図だったかのように、ジェトロはジャミルの名を呼んだ。声に反応したフォルスは、ジャミルの顔を反射的に見た。ジャミルとフォルスの目があった刹那、フォルスの体が内部から破裂し、肉片と血液が辺りに飛び散った。
 フードで顔ははっきりと見えないが、そのときだけは、ジャミルの双眸が赤く光ったように見えた……。
 「父さんっ…!」


    to be continued
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