黒の閃光
四:崩壊
鉱石の地面をフォルスの血が濡らす。まるで風船のように、フォルスの身体は破裂し、打ち上げ花火のように血が飛び散った。
ジードの顔、コートニーの服、ファルクの腕、それぞれに飛沫がかかる。地面は、既に血の海と化していた。
「きゃああああああっ!!」
コートニーがヒステリーを起こし、それが引き金になってファルクは気を失い、その場に崩れた。
ジードが受けた衝撃も強かった。崩れるファルクを支えることもできなかった。
あの、自分が師と仰いだフォルスが、こうも簡単に死んだのだ。それも、木端微塵に四散して……。
鋼のような筋肉。山のような体格。無敵を誇る近衛騎士団長…。
ジードの脳裏に、彼の豪快な笑い声が響く。口を大きく開いた笑い顔が見える。
豪快で強く、優しかったフォルスが……。
「あああああああっ!!」
コートニーの続く悲鳴で、ジードは我に返る。コートニーは、服についた血と脳しょうに怯えて、震えているのだ。
ドスッ!
と、ジードはコートニーの鳩尾を殴り、失神させた。
『しかたがない…。盗賊とはいえ子供が、人の爆死を見たのだ…。ただの死体ではない。彼女がフォルスさんのことを知っているわけはないが、血や脳しょうが飛び散り、濃い血の臭い、死の臭いを嗅ぐことになったのだ。ヒステリーだって起こす……』
「うおおおおっ!!」
ジードが咆えた。フォルスが死んだと、改めて認識した気分だった。
「きっさまぁああっ!!!」
剣を抜いたジードは、任務のひとつであるフォルスを片付け、いい気持ちになっているジャミルに襲い掛かった。
「ふん…」
しかし逆上したジードの剣の軌跡は読みやすく、ジャミルには掠りもしない。ジャミルは振りかかる剣の攻撃を難なく避け、だんだんとジェトロ国司の方へと近づいて行った。
ジェトロは腕を組み、余裕の表情でその戦闘を見ていた。
フォルスが死んだ。それだけで、彼の目的は達成されたのである。フォルスを陥れることが、ジェトロの目的、願いだった。自分の方が実力がある、とジェトロは自信を持っている。それなのに、国王は自分ではなく、わざわざ騎士団長などという力技しか知らん人間を守衛の任務に就かせた。
それが許せない! ジェトロは、フォルスがいかに無能であるかを国王に示すため、山賊を雇って遺跡を襲撃させたのであった。
フォルスに戦術は使えない。ジェトロはそれを無能と考えている。ただ馬車馬のように戦果を得るため戦うような野蛮なだけの人間に、国宝を護るという重大な任務はこなせない。自分のような、いくつかの街を統治する組織力と権力を持つ優れた人種でないと……。
ジェトロは、嫉妬に燃えたのだ。それは、国宝を狙う野心からでもあった。それを、わざとフォルスを失脚させることでカモフラージュしようとしていた。しかし、それにジェトロは自分で気付いていなかった。
フォルスを倒した! これで、もうこの遺跡はおしまいだ。財宝は、自分が管理することになるだろう。
「ジャミル。僕は帰る。国王に報告しておかないといけないしね」
と、戦闘中のジャミルに、まるで子供のような口調で言った。
この社会は、基本的に、親の仕事を子が継ぐという慣わし、習慣である。だから、ジェトロは父のおかげで、この職に就けたのである。こんな子供に街が治められるものかと思うかもしれないが、一応国司になるための試験はパスしている。それに、国司の仕事は統括の仕事で、実際に政治を行うことはないのである。実務は、部下が全部やっていて、それですべて事足りているのだ。
「だからこの子供たちを片付けて、早く官邸に戻ってきておくれよ」
ジェトロから見れば、ジードも子供なのである。精神的にはジェトロが子供なのだが、見た目と年齢で言えばどうしてもジードは子供扱いされてしまうのであった。
ジェトロは、部屋の奥の天井へ、光が差し込む中に、登って行った。…垂れ下がったロープを必死に掴み、もみくちゃになりながらもゆっくりと…。
外には、ふたりの武装兵が待ち構えていた。ジェトロが出てきたのを見ると、辺りをさっと見まわし、敵がいないのを確認すると、
「あちらに」
と言って、ジェトロを先導するように先に行く。乗って来た馬車を待機させてあるのだが、遺跡付近に置くわけにはいかなかった。偵察が来れば、バレてしまうのである。だから敵地に潜入したときには、少し離れたところに乗り捨てるように置いて行くことが戦術の基本とされている。
ここは、遺跡の入り口があるところ、つまり警備隊である近衛騎士団の村の、ちょうど正反対に位置する山の中腹で、辺りには樹木や草など、身を隠すのに充分な障害物が多くあった。この山の森と、村を囲む森とは、ひとつである。途中で森が切れていることはなく、つまりこの森は、横に広い面積を持っているということになる。
「…暑いねえ……」
山道を歩きながら、ジェトロは空を見上げて呟いた。
「はっ…もうすぐ夏でありますから……」
と、先を歩く兵士がわかりきっていることを大真面目に答える。しかし、暑いということも、わかりきっていることなのだった。
いくつか草を掻き分け地面を盛り上げる木の根を乗り越えて歩いて行くと、なかなか質素な、しかし頑丈そうな馬車が見えた。馬は二頭。後ろの車は、せいぜい縦に二人、横に三人乗れるかどうかの、それほど大きくはない代物だった。というのは、ここは山の中だからである。枝を張った木や、凸凹した走りにくい道を行くのだ。なるべく質素な方が、壊れた時の修理代のためにもいいし、小さな馬車の方が狭い道も行ける。何より、国司がわざわざグローバー遺跡にやってきたという噂が流れては困るのである。あくまで、私怨なのだ。計画が崩れるようなことはしたくなかった。
「さ、帰ろうか。出してくれ」
ジェトロは、馬車の後ろの座席の真ん中に腰を降ろすと、御者を兼ねている先ほどの兵士に声を掛けた。
「は…しかし、ジャミルを待たなくてよろしいのですか?」
兵士は、ジャミルのことを呼び捨てにしている。それは、ジャミルが正規兵ではない、ただのボディーガード、傭兵みたいなものだからだ。
階級もない。いくら強くたって、階級もないただの傭兵におべっかなど遣えないというのが、この兵士のプライドである。それは、ボスへの、ジェトロ国司へ対する不満の表れでもあった。
「ああ、奴はいい。連中を片付けたら、自分で帰ってくるよ」
自分がもっとも信頼しているはずのジャミルにさえ、こういう扱いをするのだ。何のために雇ったのかさえ疑いたくなる。だいたい、ジャミルの素性を誰も知らない。得体の知れない人物を、国司は雇っているのである。もしかしたら国司は、裏で何か悪巧みをしているのではないか…? と、官邸で陰で囁かれている。
ジェトロは、自分で思っているほど権力や統率力などを持ち合わせてはいないのであった。
兵士は、待ちましょうとも言えないので、パシッと手綱を叩き、馬を出発させた。ふたりの兵士の内、手綱を握っていない方は、同僚の隣りに座っていたが、ジェトロの様子が気になったのか、後ろを、気付かれないようにそっと目だけで覗いていた。
ジェトロは低く笑い声を洩らしていた。クククと、大きくならないように我慢しているような、忍び笑いを繰り返している。
ジェトロは、フォルスを殺したことで悦に入っていたのである。まるで怯えるように、兵士はジェトロの様子を垣間見ている。御者である兵士は、それでも手綱だけはしっかりと握っていた。
官邸に着くと、ふたりは殺されることになるだろう。しかし、そんなこととは露とも考えない、憐れな兵士たちであった……。
「たあっ」
ボシュウッ
ジャミルが投げつけてくる炎を、ジードは剣で叩き切る。先ほどまでは、ジードも頭に血が昇り、がむしゃらに斬りつけていたのだが、さすがにそれが当たらないとなれば、冷静になるしかなかった。焦ることがないのは、フォルスとの訓練の賜物である。
焦った方が負け。それがフォルスの教えであり、自分もそうやって生きてきたのだが、さっきは逆上し、自分を見失ってしまったことをジードは反省した。
しかし、ジャミルを許せない気持ちに変わりはない。フォルスを殺す命令を下したのはジェトロだが、直接手を血に染めたのはジャミルである。冷静になれば、迂闊にジャミルに近づけないことに気付く。フォルスは突然爆発した。その理由がわからなければ、または方法がわからなければ、自分も同じ運命を辿ることになるのだった。
ジードは、ジャミルから発射される炎の球を両断しながら考えた。
『ちぃ…あの少女を失神させるんじゃなかった…。手を組んでかかれば、もしかしたら何とかなったかもしれないのに……』
と、この部屋の入り口付近にうずくまる様に寝転んでいるコートニーを振り返る。まだ起きる気配はなかった。ファルクも同様である。
『仕方ない……』
「おぉりゃあっ!」
ジードは剣を振りかぶり、勝負に出た。少し離れたところにいるジャミルへ、一気に跳躍したのだった。
「………」
しかし、それはあまりにも無謀だった。確かに間合いを詰めなければ戦うことすらできないのだが、苦し紛れに自棄になったと思われても仕方がない戦法だった。空を飛べないジードは、当然、空中では攻撃を避けることはできないのである。
ジャミルは、その空中のジードに向かって炎を投げ飛ばす。
ボウッボウッボウッボウッ
『四つも!?』
ジードは腕を前で交差させ、その上をマントでガードする。
ボウッ!
炎のすべてがジードの腕に直撃し、庇っていたマントは燃え上がる。炎が直撃した勢いで、ジードはその場に落下した。
「ちいっ!」
背中から落ちたジードは素早く立ち上がり、炎が身を焼く前にマントを取り外す。
「ゼエ、ゼエ、ゼエ、ゼエ…」
ジードはジャミルを睨みつけ、肩で息をする。その右半身を、マントを焼く炎の赤がゆらゆらと照らしている。ジードの白い顔が、黒い髪が、赤く染まって映る。きれいな赤だった。
ジャミルは、相変わらず腕を下に垂れて、構えも見せない。こちらが攻撃するというときに、ジャミルは魔法で攻撃してくるのであった。それ以外は、様子を見ているだけなのか余裕を見せているのかはわからないが、戦闘意思を見せない。
「お前、やる気ないのか?」
と、思わずジードが問い掛けたほどだった。それにジャミルはこう答える。
「…わたしが本気を出したら、お前など一瞬で死ぬ」
どうやら余裕の方だったようだ。
『ちぃっ…こいつは若いのかおっさんなのか…声からじゃどっちともとれない……』
と、ジードは逸る気持ちを抑えるためジャミルの年齢を気にしたが、とりあえず
「余裕だなじいさん。それとも、負けた時の言い訳かい?」
ジードがそう言い終わった直後、
「調子に乗るなよ、青二才が」
と、彼の背後、耳のそばで声が聞こえた。振り向き様ジードは剣を薙ぐ。しかし、ジャミルの姿はどこにもなく、むなしく空を切るだけに終わった。
『何だこいつは…。人間じゃないのか!?』
ジードは戦慄した。何時の間にか背後に来て、その数瞬後にはまたどこかに移動している。魔法でも、炎や霧、風や氷を発生させることはできるが、瞬間移動などの時や空間を操る魔法などがあるとは、ジードは今までに聞いたことがなかった。
急いでジャミルの姿を探す。キョロキョロし、その後奴が立っていた場所に視線を戻した。それは、そこにいるかもしれないと考えたのではなく、どこにも見つけられなかったから、その場所に戻るしかなかったのに過ぎない。
そこに、ジャミルはいた。まるで、何事もなかったかのように、ただ突っ立っていた。相変わらず表情は見えない。手も、マントに隠れていた。
「…遊んでやがるのかよ……」
腹を立てても、それが現実だった。自分には勝てない。ジードはそう思った。
『ひとりでは、どうしようもない。誰か、誰かに手を借りないと……』
「!!」
入り口を見て、ジードは驚いた。これは、喜びのためだった。
「いっつぅ〜……」
なんと、コートニーが目を覚まし、殴られた腹を押さえて顔をしかめていたのである。
『こいつに手を貸してもらえたら、ふたり掛かりなら何とかなるかもしれない……』
それがコートニーのような少女でも構わなかった。溺れる者は藁をも掴むという、例の心境であろう。
「おい君っ、気が付いたのなら俺に手を貸せ!」
ジードは声を張り上げた。
「…あぁ…あんたは……」
と、少女は初めてジードに気が付いたかのように呟いた。
「あんたのおかげで正気に戻れたよ。……ありがとう」
「そんなことはどうでもいいっ。戦えるか?」
少女の方を見て、ジードが訊いた。コートニーは、まだジャミルの存在に気が付いていない。最初の時のように、異様な雰囲気はあるのだろうが、今はそれを感じ取れるほど、彼女は気力が充実してはいなかった。
「戦う…?」
そう呟いて、初めてジャミルの存在に気が付いた。コートニーはジードの顔を見ていたが、視界の端に捉えているはずのジャミルの姿には気付いていなかったのだった。
「あんたはっ…!!」
と、コートニーは慌てて立ち上がり、
「いてて…」
と腹の痛みに身を屈める。
「あんたねえ…、もうちょっと優しく殴ってよねえ…」
「無茶言うなよ。だったらお前もヒステリーなんか起こすな」
コートニーは、ゆっくりジードの方に歩いてくる。そのふたりのやり取りを、ジャミルはじっと静観していた。これも、余裕なのかもしれない。ふたり掛かりでもいいと、態度で示しているのだろう。
「あ。あたし、コートニー。よろしく」
と、ジードの前まで来た少女は、そう言ってジードに手を差し出す。
「ん? なんだこれは」
と、差し出された手をジードはじっと見る。
「何も持ってないじゃないか」
「握手よ。…あんた握手も知らないの?」
「違う。何で俺が君と握手をせにゃならんのだと遠まわしに訊いてるんだ」
「ストレートに訊きゃいいじゃない。
だって、あんた、あたしに手を貸してほしいんでしょ? だったら、協力するっていう印に、握手」
「………」
決して俺は下心があって握手をするのではない、と、ジードは顔を赤らめながらコートニーの手を握り、小さく上下に振った。
「で、あんたの名前は?」
「ん。ああ、ジードだ。ジードって呼んでくれ」
女の子の手を初めて握ったジードは、胸がドキドキしていて、思うように喋れなかった。剣の腕はいいようだが、ジードもまだまだ初心な少年のようだった。
「やはりお前は青二才だな」
と、遠くからジャミルの声が聞こえたが、それがどういう意味なのか、ジードとコートニーには理解できなかった。
「もういいか? わたしもそろそろジェトロを追いたいんでな。片付けさせてもらうぞ……」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
コートニーがタイムをかけた。
「………」
ジャミルはうんざりしたようだったが、顔はフードに隠れているためわからない。
「爆発はなしってことでどう?」
「は?」
「だって、あんな魔法卑怯でしょ。遠く離れてても一瞬でボンッなんだから。ハンデちょうだいよ」
試合か何かと勘違いしているのではないだろうか。命を賭けた戦争にハンデなんかあるものか。
「お前、バカだろ」
ジードはそのことを、『バカ』という一言に込めて言った。
「バ、バカとは何よバカとはっ! じゃああんたはあの爆発に勝てるって言うのっ!?」
「むっ……」
と、ジードは一瞬言葉に詰まったが、
「そんときはそんときだっ」
と半ば自棄の口調で言った。
「ね、どう? その代わり、こっちにも何かハンデつけるから……」
「だったらお前は引っ込んでろ! 俺がひとりでやるっ!」
決闘は、本気対本気、真剣勝負でないといけない。ハンデがあれば、それは本気ではないということになる。それに、ハンデをつけるということは、相手に対し無礼である。
もちろん、二対一は卑怯になるのだが。それに気付いたジードは、やはり自分ひとりで戦うと宣言したのであった。フォルスの仇をとるのは、一番弟子を自認している自分の役目である。負けるかもしれないが、その時はその時で、潔く死んでやろうと考えた。卑怯な手を使い生き延びても、いつか死んだときにフォルスに叱られるような気がするジードなのであった。
「いくぞっ」
剣を横に構え駆け出す。その速さは今までにない速度で、ジャミルは少々焦った。が、予想以上のスピードだった、というだけのことだった。
ヒュンッと、ジードの剣が横に薙がれたが、ジャミルは何とか避ける。
ビュンッ、ビュンッ
ジードは剣を振りまわす。しかし一向にジャミルには掠ろうともしない。一歩一歩退きながら、ジャミルは完璧に避ける。逆にジードは、一歩一歩踏み出しながら剣を振るう。
「うおっ」
不意に、ガクッとジャミルは後ろによろけた。宝物庫への階段だ。地面に穴が空いているようなもので、気が付かずにその上を行くと、落とし穴の原理で下に落ちてしまう。
ズダンッ、ダンッと、結構派手な音を立て、ジャミルは落ちて行った。ジードは、
「ふんっ俺の作戦勝ちね。ここの違いよ」
と、コートニーを振り返り、嬉しそうに自分の頭を指差す。
「あっはっは」
コートニーは、そんな風に笑うジードに意表を突かれたようにきょとんとしていたが、すぐに苦笑いを浮かべ、
「ただの偶然でしょ」
精一杯悪態をついたのだった……。
「…信じないなら別にいいけどな」
と、ジードが不貞腐れたような言い方をした刹那、
ボウッ!
階段の下から炎の球が飛び出てきた。しかし、それは誰かを狙ったものではなく、天井にぶつかり、粉々に散った。
魔法は、炎の場合で言うと、燃えるものに当たってこそ威力を発揮する。石は燃えるものではないので、炎をぶつけても、その衝撃はあるが、虚しく四散するだけなのである。
では、どうしてぶつけたのだろうか。
「階段から落ちたのが恥ずかしかったんじゃないの?」
とコートニーなら茶化すだろうが、そうではない。階段は、幅が狭い。上がってきた瞬間を待ち構えられたら、どうにも対処できないのである。だから、ジャミルは、威嚇牽制のために炎を飛ばしたのだ。
その証拠に、炎が天井にぶつかったと同時にジャミルは出てきた。炎が飛び出ると、外で待ち構えている者は、必ずそちらに注意を奪われる。その隙に敵は出てくるしかないのである。それがもっとも効果的な方法だった。
「不覚をとった……」
ジャミルは言う。
「青二才にしてはやるな、貴様…」
階段から転げ落ちた男に言われても、滑稽にしか見えない。
「ぷあははははは」
思わずコートニーは吹き出していた。ジャミルがまるで喜劇役者のように見えたのだ。
「不覚をとった…。青二才にしてはやるな」
と、ジャミルの声真似をして、
「だってさぁ〜。階段から落ちてて、かっこわる〜」
「む」
ジャミルは唸り、
「ぷっ」
ジードは吹き出していた……。
「ガキだと思って容赦したが……」
ジャミルはコートニーに向き直った。
「貴様から片付けてくれるっ」
ボウッ、ボボウッ
ジャミルの手から三つの炎の塊がコートニー目掛けて発射された。
「バカ野郎っ…!」
ジードはその軌道上にはいない。コートニーを守るためには移動する必要がある。それで、ジードは炎の前に位置を移動させた。
ボシュウッ
ひとつは、ジードの振り下ろした剣で斬る事ができた。返す刀でふたつ目も叩き落した。しかし、みっつ目は間に合わず、がら空きになった右胸に直撃をくらった。
「うぐっ…」
衝撃で後ろへ六歩分ほど吹っ飛び、ダンッと地面に叩き付けられる。アーマーを着ていなければ、そしてそれが左胸だったなら、あるいは即死だったかもしれない。
「ジードっ」
コートニーが駆け寄る。ジードは、今自分を庇ってくれたのだと、わかっている。ただ、なぜ自分が傷ついてまで庇ってくれたのかはわからなかった。
「ぐ……」
コートニーがジードの上半身を起こす。顔は苦痛に歪み、口の端から血が垂れていた。
「貴様……」
ジードは、ジャミルを睨む。脂汗が痛々しい。
「俺との勝負の最中に……女を襲うとは……」
手を地面につき、ジードは自力で立ち上がろうとする。
「ジード……?」
「ん…ぐ……」
うめきながら、ジードはゆっくりと立ち上がる。身体を前に向け、膝をつき、足を踏ん張り、身体を持ち上げ…。
「ゴホッ! ゴホッゴホ…」
ジードは血を吐いた。肺を傷めたらしかった。
コートニーは、手を貸していいものかどうか迷っている。手を貸したいが、ジードはそれを拒んでいる。せっかく駆け付けたコートニーが身体を起こしてくれたのに、それに身を委ねず自力で起き上がるつもりなのだ。
しっかり立ち上がったジードは、身体全体で息をしているかのように波らせ、剣を横に構える。
「…まず俺を殺してからにしろよ……じいさん」
「むんっ!」
『じいさん』と呼ばれることに過剰反応を示すジャミルは、案の定ジードに魔法を投げつけた。
それは、今まで見せていない初めての魔法で、燃え盛る炎が竜巻を起こし、それがジードに向かって突き進んでくるのだった。
「ちっ……」
これが本気かよ…と、ジードは心の中で呟き、これはまともに受けられないと考えた。しかし、肺の痛みで足がもつれ、思うように動けないのであった。
竜巻の威力は凄まじく、天井を擦る部分はバキバキと音を立て、石の破片を飛び散らせる。その風圧で、ジャミルのフードが取れた。
じいさんだった。顔中皺だらけの、年齢を推定することもできないほどの、年老いた老人だった。
小石がこつこつとジードの顔に当たる頃、ジードは覚悟を決めた。
ドンッと、不意に何かがジードの体を突き飛ばしたと思ったら、コートニーが体当たり、竜巻から逃がしてくれたのだとわかった。
ドサッと、地面に倒れこむふたり。衝撃で、ジードは剣を放していた。ガランガランと、音をたてジードの剣が転がった。自分の身を護る武器を、手放してしまったのだ。
「うぐっ」
コートニーの左手が、ジードの右胸に当たり、激痛が全身を駆け巡る。
「あっ、ご、ごめん」
と謝るが、これは不可抗力であるからどうしようもない。それにコートニーが突き飛ばしてくれなかったら、あの竜巻に巻き込まれ、こんな痛み以上のものを受けるところだったのだ。いや、もしかしたら痛みを感じる間もなく死んでいたかもしれない。痛いことには変わりないが、死ぬよりはましだと考える余裕は、恐らくジードにはなかっただろう。
ジャミルが近づいてきた。地面から何かを拾い上げた。
「…これで、止めを刺してやろう……」
ジャミルが手に持ったのは、ジードが落とした剣だった。敵の武器で止めを刺すとは、厭味にも程があるだろう、とジードは思った。
「なかなか楽しめたぞ…。せめて、お前の武器で楽にしてやろう……」
ジードにはもう立ち上がる元気も、気力もなかった。
ジャミルは、その皺だらけの顔に、ニヤリと笑みを浮かべていた。すごく気味の悪い笑みである。
ジードは、ドンッ、と、上に被さったコートニーの身体をジャミルからできるだけ遠くへ行くよう突き飛ばした。転がったコートニーは、訳がわからなかった。自分は、ジードを身体を張ってでも護ろうとしたのだ。その自分の気持ちもわからないが、それを拒んだジードの気持ちもわからなかった。
『なんで…そんなに……』
「ジード!」
ジードは、コートニーを見、ニヤリと微かに笑った。
それが、自分が殺される隙に逃げろと言ってるのだと、なぜかコートニーには直感できた。言ったわけではない。しかし、ジードの目が、ファルクを連れてさっさと逃げろと言っているように聞こえたのだった。
「ふん……その力を自分が逃げることに使えばいいものを」
ジャミルは剣を逆手に持ち、恍惚の表情を浮かべたまま、
「バカな奴だ」
そして、剣を一気に振り下ろす…。
ジードは、目を瞑り、祈った。
『フォルスさん、仇とれなくて、すみません……』
ドスッ……!
「なっ……」
ジャミルの眉間に、ナイフが深深と突き刺さっていた。
「あたしをバカにしないで……」
コートニーが投げたのである。ジャミルは、ジードを殺すことに気を取られていて、コートニーの存在を敵視していなかった。ただの盗賊、子どもだと思っていたのだ。
ジャミルは、剣を振り上げたままの姿勢で、静かに後ろへ倒れた。
ジードは、いつまで経っても剣が身体を突き貫けないから、気になって片目を開けた。
「……ん?」
すると、見上げた天井には、コートニーの顔があった。それは、怒っているようだった。
「バカッ!!」
と、涙を浮かべた少女は、下に寝転んでいる傷だらけの少年に言った。
「なっ……」
「…あんたみたいな奴、初めて見たよ」
コートニーは、涙を指先でちょっと拭う仕草を見せ、微笑った。
その時、部屋の入り口の方がドヤドヤと騒がしくなった。誰かが、団体で近づいてきているようだった。
「あれ? ファルクが寝てるぞ」
先頭を歩く男の声が聞こえた。ほんとだほんとだ、という声が後から続いた。どうやら、村の、近衛騎士団の連中のようだ。
「あ、ジード! お前何寝てんだよっ」
「ってお前ケガしてるじゃないか! どうしたんだ!」
「横にいるお嬢ちゃんは誰だ?」
「なんだジード、お前このお嬢ちゃんにやられたのかあ?」
「きっと押し倒そうとしたんだよ。こいつ若いから溜まってんだろ」
「おい、ひとり誰か死んでるぞ。眉間にナイフが刺さってる」
と、ひとしきり騒いだ後、
「…団長はどこだ?」
と、ようやくひとりが気付いた。
「……入り口付近に、血溜まりがあったでしょ…」
と、ジードが苦しそうに言う。
「いや、なかったぞ?」
どうやらジャミルの炎の熱で蒸発してしまったのかもしれない。そう言えばあの近くを竜巻の炎が通った。
「それが、どうしたんだよ…? まさか……」
「…ええ……フォルスさんの血溜まりです……」
震えながら、ジードは言った。
「フォルスさんは、死にました…」
静寂が、時を支配する。寝転んでいるジードの閉じた目から、一筋の涙が横に流れた。
「………」
皆が、皆、拳を握り締めていた。自分たちが小屋でふたりを待っていた頃、ジードとフォルスは戦っていたのである。あの、山賊との戦闘が終わってすぐ、またここで死闘を繰り広げたのだ。自分たちのせいだ、と残された騎士団の皆が思った。それぞれが、自分自身を責めた一瞬だった。
ひとりが、
「こいつがやったのか?」
と、倒れているジャミルを指差すまでは。
ジードの代わりに、コートニーが頷いた。
「八つ裂きにしてやるっ」
そう憎しみの声を吐き捨てた。斧を持ってきている男もいた。その男の斧をひったくるようにして、そいつはジャミルが倒れている場に近づいた。
そんなことをしても、フォルスは帰って来ない。それは皆が知っていることだった。しかし、誰もそいつを止めようとしなかった。あるいは、自分がやってやろうと、それぞれが考えていたのかもしれなかった。
「大丈夫か、ジード」
ふたりが、ジードの腕を肩に回し、左右から抱え起こした。
「うっ…」
ジードは痛みに顔をしかめるが、これくらい我慢しなければいけないと思った。フォルスは、こんな痛みすら感じることのできない世界へ行ってしまったのである。
「俺より、ファルクを連れて行ってやってください…」
「わかってるよ。一緒に連れて行く」
コートニーは、誰よりも傷ついている自分より、失神している子供を気遣うジードに目を細めた。これで、やっと終わったのだ。
後は、ジードの怪我が治れば、村も元の生活に戻る…。
「…団長の仇……」
男は斧を振りかぶった。
瞬間、
ドンッ!
死んだと思われていたジャミルの目が開き、赤く光った思った刹那、騎士団の男の上半身は、内部から破裂していた。
フォルスと同じように、爆発。血と肉が、辺りを赤く、汚く染めた。
「なっ…」
「ふわはははははは」
皆がそちらを見る。やっと終わったという安堵の気持ちは、ジャミルの狂喜の笑い声にかき消された。
「生きてるのかっ!?」
騎士団員たちが驚く。コートニーも驚いた。自分が投げたナイフは、確かにジャミルの眉間に吸い込まれるようにして突き刺さったのだ。生きてるはずがない。
なぜか、ジャミルの両目は、潰れていた。涙のように血が溢れだし、眼球がなくなっていた。
「みんな死ねっ! 道連れにしてやるっ」
ジャミルは、部屋の入り口付近に炎の竜巻を起こした。そこには、部屋から出ようと、皆が集まっていたのだった。
ゴゴゴゴゴッ…!
竜巻は天井にひびを創りながらこちらへと向かってくる。当たり所が悪かったとは言え、小さな炎の球で、ジードはこれほどのダメージを受けたのだ。こんな竜巻が直撃したら、あるいは跡形もなく消えてしまうのかもしれない。
「逃げろっ」
騎士団員たちは、一斉に走り出す。
「…あの奥に……」
ジードが囁いた。
「あの奥に…太陽の光が……外に出れる……」
「はっはっはっはっはっはっ!!」
ジャミルは、色んな所に、色んな方向に、がむしゃらに竜巻を放っていた。遺跡を崩壊させるつもりなのだ。自分を含め、財宝も闇の彼方へ……。
「コートニーは……」
「あたしいるよっ、ここに…」
コートニーはジードの手を握る。ジードは、微かに笑い、生きててよかった、巻き込んですまない、と、その唇が動いた。
「急げっ!」
ジードを横から支える男が、もうひとりの男を先に上に上げる。
「あたしも手伝うよ」
コートニーと先に上がった男でジードを引っ張り上げ、最後に自分が上がった。上に皆が無事上がると、ジードはホッとしたように気を失った。
「できるだけ遠くへっ…」
ジードを抱えるふたりとコートニーは、出た場所がどこかなど考える余裕もなく、ただがむしゃらに森の中に入って行った。
その後、ジャミルの狂ったような笑い声を聞いたと思った瞬間、遺跡の真上にあたる山が崩れた。崩れたのは、真上にあたる部分だけだった。周りは、少し地割れが入っただけで、影響は少ない。どうやら、ジャミルの力も山を全部崩すほどは残されていなかったようだ。
「………」
気を失ったジード以外の三人は、その崩れた山を無言で眺める。
「…終わったね……」
コートニーが静かに口を開いた。
「ああ……いや、まだだよ…」
「え?」
騎士団の男は、コートニーの問い掛けに気付かない様子で、
「さ。村に戻ろう。みんな無事だといいんだが…」
と言った。
この遺跡の中で、フォルスとその部下一名、敵のジャミルに殺された。しかし、そのジャミルも、ここで死んだのであった。皆の屍は、この山の瓦礫の下にある……。
to be continued