黒の閃光
    七:覚醒

 「あちぃ……」
 車椅子に座るジードは、袖で汗を拭きながら呟いた。ファルクに置いて行かれ、たったひとりぽつんと往来にいる。道往く人は多いが、誰もジードに手を貸そうとはしない。見ても、誰か付き添いがいるはずだと思い、気にせず先を急ぐのであった。
 「意気地なし……か…」
 ファルクのその言葉が、棘のようにジードの胸に突き刺さって抜けない。
 『確かに、俺はフォルスさんの元で剣の修行、そして徒手空拳の格闘技を習った。強くなりたい一心だった……。…しかし、どうやら精神面では、俺は変わらなかったようだ……』
 負け戦でも、率先して突っ込んで行ける心の強さを持っていない。山賊どもとの戦争では、ジードは負けるとは思っていなかった。いや、ピンチに陥ることもなく、蹴散らせた作戦が続いたせいか、そう思うようになった。
 『でも、俺は死にたくないと思い、必死に戦ったんだ。ただ、死ぬ覚悟などはしていなかった。無敵を誇るフォルスさんがいれば、絶対に負けることはないと確信していたから、死は自分とは関係のないものだと考えていた。
 騎士団員からは毎回犠牲者が出るが、俺もフォルスさんも、怪我ひとつしない戦いが幾度も続いたせいもあったろう。
 それが、俺に新たな増長を招き、俺は、フォルスさんに近づいた、追い着いたとさえ自惚れた。精神面でも年齢もまだガキなのに、村の作戦会議にも参加し、他のおとなたちにも自分の意見を主張した。
 必死だったんだ。部外者の俺が、フォルスさんにも村の皆にも認められて、その期待に応えようと必死に頭を使い、死に物狂いで戦ったんだ。でも、本当に死ぬという覚悟はしていなかった。
 それが、増長なのだ。自惚れなのだ。本当の強さでは、ないのかもしれない。
 フォルスさんは、任務であの村を創ったらしい。でも、あそこで死ぬ可能性だって少なからずあった。山賊や盗賊の類は大勢いるし、町からも離れているため半自給自足の生活を強いられた。どうして、任務というだけで、こんな地まで来れたのだろうか。国王のためか?
 遺跡を護ることが国民のためになるとは思えない。治安を維持することの方がよっぽど国民のためになるような気がする。それなのに、フォルスさんはここにきた。どうしてだろう。
 そう言えば、前にフォルスさんに、そのことを訊いてみたことがあったが、彼がどう答えたのかは忘れてしまった。
 なるべくならファルクの期待に応えてやりたい。
 けど、これで死ぬかもしれない、いや、間違いなく死ぬだろうと思うと、どうしても踏ん切りがつかない。たったひとり、ジェトロの官邸に特攻しても、ジェトロに辿りつく前に、百人からいる警備兵にたちどころに斬り捨てられる。
 ジャミルとの戦いの時に手を貸してくれたコートニーは、今ごろどうしているのだろうか。あれから二週間、一度も見舞いには来てくれなかった。もしかしたらあの戦いのこと、俺のことを忘れ、もうこの町を離れているのかもしれない。
 二度と会えないのだろうか。
 それが、いいのかもしれない。彼女をこの戦いに巻き込むわけにはいかない。巻き込みたくもない。
 ……踏ん切りがつかない。
 ファルクの期待に応えるため死ぬか、本来の目的を達成するため旅に出、その途中に、またあの少女ともう一度会うか、……むざむざと生き延びるか』
 ジードはファルクを放って旅に出るということもできない。ファルクを捨てることも、ファルクの期待に応えることもできない、どっちつかずの心理状態なのだった。
 『どっちにも踏ん切りがつかない。確かにファルクの言う通り、俺は意気地なしだな。肉体的な強さがあっても、フォルスさんがいないと戦うことすらできないとは……』
 ジードは天を仰ぎ、今にも泣き出しそうな顔を太陽に向けた。

 「お姉さん!」
 前を走る少女に、ファルクは呼び掛ける。しかし、必死に何かから逃げ回る少女は、耳を貸さなかった。『お姉さん』が自分のことだと気付かないのか、もしくは聞こえていないのか。
 ファルクは必死に追い駆ける。その少女は、華奢な身体のくせに意外と走るのが速かった。死に物狂いだからかもしれない。それだけ、捕まりたくないのだろう。
 余計にファルクは、野次馬根性、もとい、好奇心を刺激された。
 「うおおおおおっ」
 ジードへの怒りを忘れたファルクは、ひたすら走った。なかなか差が縮まらないため、先回りをしようと考えた。
 前に、フォルスから、人は本能的に左に曲がる性癖があると教えてもらったことがある。目的があって歩く場合は別だが、がむしゃらに、ひたすら逃げ回る人などは左に曲がりたがるというのだ。だから、町中での追いかけっこは、先回りしやすいということだった。これは、盗賊を追い駆けるときの知恵ということで、フォルスから教えてもらったのだった。
 角を左に曲がり、ファルクは先回りをする。ちょうど裏通りを突っ切ったところで、再び少女とぶつかった。お互い痛い思いをしたが、とにかく追い着いたことは確かだった。ファルクは、さっきと同じように後ろに倒れている少女の身体を手を貸して起こす。少女は、痛みか疲れか、なかなか身体を起こさなかった。
 「お姉さん、こっちだよ」
 「え?」
 ファルクは少女の手を取り、引っ張り上げる。十歳の少年の力でさえ、それは可能だった。
 「おじさんたちから逃げてんでしょ? 僕が逃がしてあげるよ」
 ファルクは言い、不思議がっている少女の手を引っ張り駆け出した。向かう場所は、ジードのところ。
 『今思えば、ジードは車椅子だ。僕がいなければ、ジードは移動もできないじゃないか』
 「ちょ、ちょっと……君…!」
 か細い声で少女は止めるが、その声はファルクの耳に届いていない。振りほどこうにも、そんな力はない。ファルクの手の力の方が、圧倒的に強かった。
 そのまま近くの建物の陰に入る。往来ではあるが、ちらと見るくらいじゃわからない。他にも町人がいるので、彼らと紛れるのだ。
 そこでファルクは少女の手を離し、
 「おじさんたちなら、全然別のところを探してるよ」
 と白い歯を見せて笑う。
 「僕が嘘教えたからね」
 少女は、頭に『?』を浮かべていたが、ファルクのような少年が敵のはずはないかと思い直したようで、
 「ありがとう」
 と、頭を下げた。
 ファルクは面食らい、慌てて
 「こ、こちらこそ何度もぶつかってごめんなさい」
 と頭を下げ返した。
 「…何度も?」
 「あ、うん。実はさっきも向こうでぶつかったんだよ」
 「ああ……。君だったんだ」
 と、思い出したようで、
 「ごめんなさい」
 とまた頭を下げた。いやに馬鹿丁寧な人だと、ファルクは思った。
 「でも、私、急いでるから……」
 「うん、わかってる。でも、その、事情を聞かせてもらえないかなと思って……」
 初対面でこんなことを言うのは、少女の心に入り過ぎて怒られるかな、とは思いながらも、ファルクは言う。
 「何か、手伝えることがあるかもしれないし……」
 すると、少女は顔色を曇らせ、
 「……なんとも、できないよ」
 と悲しそうに言った。
 「え……」
 「だから、逃げるしかないの」
 『僕が子供だから、事情を話しても何もできないと言ってるのか!?』
 ファルクは心の中で叫び、悲しくなった。
 「ごめんね……。気持ちは嬉しいよ」
 少女はそう言うと、また走り出そうと、横へ移動した。
 「来てっ!」
 ファルクは反射的に少女の手を掴み、引っ張った。
 「ちょっとっ…!」
 迷惑だ、と言わんばかりに、少し語尾を強く言ったが、ファルクは気にしない。
 『なぜ僕は子供なんだ! 無力なんだっ! 父さんの仇も自分では討てないし、このお姉さんの悩みすら聞くこともできないなんてっ!』
 やはりジードのところに行くしかない。
 ジードが手を貸してくれるかどうかはわからないが、いや、怪我で戦うことはできないだろうが、せめてお姉さんの悩みを話させることはできるかもしれない。それが少女の問題解決に結びつくかどうかはわからないが、ファルクはどうしてもこの少女を助けたいと思ったのだった。
 子供の自分でも人を助けることができるということを、自分に示したい。自己満足でしかないかもしれないが、何をしてでも、ジードを説得してみせる! それくらいしか、今の自分にはできないと、ファルクは考えていた。
 ファルクは、ジードの待つ通りに向けて、走る。
 しかし、二週間経つとは言え、まだ慣れない町である。村に住んでいたときは、森のこっち側には来たことがなかった。初めての町であった。ジードのいる場所から少し理性を失って走ったため、どこをどう走ったのかも、ファルクには見当がつかなかった。それでもファルクは、道に迷っているということを見せずに、ただ走りつづける。それがばれたら、少女は間違いなく怒り、ひとりで逃げることにするだろう。
 なるべく早く、ジードのところに戻れますように……。

 『さて。いつになったら帰れるんだろうか』
 ジードはいい加減うんざりした気分になっていた。あれから三、四時間はとうに過ぎている。ファルクは戻ってこない。病院にいるはずの仲間も、ひとりとして探しに来ない。
 もう日が傾き、西日が目に痛い時刻も過ぎた薄暗い時分である。
 『こうなったら、誰か道行く人に声をかけ、病院まで押して行ってもらおうかな。…恥ずかしいけど』
 そう思い、ジードは自分の方に向かって走ってくる人に声をかけようとした。
 「あ……」
 口から言葉は出なかった。近づいてきていた人影は、何といなくなったはずのコートニーだった。
 「コートニーっ?」
 何でこんなところに? 町を出たんじゃないのか?
 しかし、それはジードが勝手にそう思い込んでいただけのことであった。
 名前を呼ばれたコートニーは、それで初めてジードの姿に気づき、
 「ジード!」
 と驚いたようだったが満面の笑顔を見せ、ジードに走り寄って来た。
 「………」
 辺りは薄暗いのだが、なぜかコートニーの周りだけは昼間のように明るい感じがした。コートニーの笑顔は太陽のようだ、と、ジードは不覚にもみとれてしまった。
 「久しぶりだねっ!」
 言って、コートニーはジードの胸に飛び込んできた。コートニーは、二週間ずっとこれがしたくて堪らなかったのを、やっと実現できたと笑い、ジードの胸に頬をグリグリ押しつける。
 ジードは、
 「いててててっ!」
 と右の肋が痛むのを訴えた。
 「あっ! ご、ごめんっ!」
 と、コートニーはパッと離れる。
 「まだ治ってないんだね」
 「治ってたら車椅子なんかには乗ってない……」
 と、顔をしかめながら至極もっともなことをジードは言った。
 「大丈夫?」
 コートニーは心配そうにジードに顔を近づける。焦ったジードは、
 「だ、大丈夫っ!」
 と顔を仰け反らせて椅子の背に頭をぶつける。
 「…なんか、あたしのこと避けてる?」
 「ん? なぜだ?」
 「なんとなくだけど……」
 「そんなことはない。…会えて嬉しい」
 これはジードの本音である。もう二度と会えないとばかり思っていたが、まさか同じ町で会えるとは……。
 ジードは、心が踊る気がした。
 「ほんと?」
 「そ、それで、お前、この二週間、何してたんだ?」
 ジードはごまかすように質問した。
 「あ、あたしね、ジェトロの屋敷に偵察に行ってたんだよ」
 と、コートニーはまるで近所のスーパーに買い物に行っていたんだ、というような調子で言ってのけた。
 「………」
 ジードは一瞬コートニーが何を言ったのか理解できないような顔をする。
 …何かの冗談か?
 しかし、コートニーは至って平然とし、笑顔をジードに向けている。見詰め合う時間がしばし続き、
 「どうしてそんなことをしたんだっ!」
 とジードは怒鳴った。胸の鼓動は治まるどころか余計に昂ぶる。
 「そんな危険なことをひとりでっ……」
 「だって、あたしにしかできないことじゃん」
 コートニーは、笑顔で、はっきりと言った。
 「ジードは怪我で入院してるし、ファルクには幼過ぎてできないし、それなら、盗賊のあたしがやるしかないじゃない」
 「………」
 ジードは呆気に取られたような顔をし、コートニーは、少しはにかみながら
 「慣れてるしね」
 と頬を掻いた。自分が盗賊であることを、恥じているような様子だった。
 「自分にしかできないこと……」
 と、ジードは繰り返した。
 目は開いているが、その目にコートニーは映っていなかった。
 『そう言えば、フォルスさんが、何のためにこの任務についたのかと訊いたとき、これが答えじゃなかっただろうか……?
 フォルスさんは、国王から遺跡守護の任務を依頼されたとき、お前にしかできないと言われた、と言っていたような気がする。
 フォルス以外に、こんな危険な任務を遂行できる人材が、国王の忠臣には見当たらなかった。それだけ期待されているし、信頼されている。それは軍人として、名誉なことなのだ。だから、その期待を裏切らないようにわしはここへ来たのだと。
 この任務は自分にしかできない。そう思うと、力が沸いてくる。それに、それは『自分ならできる』ということの裏返しでもあると思わんか?
 自信に溢れた目で言われて、俺はその通りだと思いたくなった。
 そうか……。フォルスさんはそのために戦ったのか…。
 だから戦えた…。
 でも…それなら、死ぬ覚悟はしていたんだろうか…?』
 「あっ!」
 とジードが急に叫んだものだから、コートニーはビクッと震えた。
 「な、何よ…? どうしたの?」
 が、その声はジードには聞こえていない。記憶の中を彷徨っているのだった。
 「わしは死ぬ覚悟はできている。これは騎士団長になる以前、小さい頃から、自分は騎士になると決まっていたから、その頃からずっと決めていたんだ。この任務に就くずっと以前だな。だから、この任務だから死ぬ覚悟を決めるというのはおかしい。兵隊である以上、死ぬ覚悟は当然しているものなんだ。だからこそ、相手を殺すことができる。お互い兵士である以上、死は避けて通れない結末なのだ」
 『なら、俺はどうだったんだ…?
 傭兵を繰り返しながら旅をしてきた。幾度となく人を殺してきた。それは死にたくないからだ。死なないために、やられる前に相手の息の根を止めるのだ。
 傭兵仲間からは『黒い閃光』と渾名され畏れられたが、それは俺が死にたくないから、生への執着が強かった分、動きが速かっただけのことだ。
 相手の命を尊重しなければならない。フォルスさんはそう言っていた。戦争中そんなことを考える余裕はないと思い、そんなことは俺にはできないと考えていたが、精神が違いすぎた。
 相手を殺すことができるのであって、殺していいのではない。
 そうか……。俺は間違っていたんだ。そんな根本的なことも、俺はわからなかったんだ。
 フォルスさんに師事していたくせに、俺はフォルスさんの何を見ていたんだっ…!』
 ジードは、不覚にも戦いには素人なはずのコートニーから教えられた気分だった。
 『コートニーは、動けない俺の代わりに動いてくれたのだ。それなら、今度は彼女のために俺が動くべきじゃないのか?
 フォルスさんが俺に言い続けたことは、そういうことだったんじゃないのか? 敵討ちはできないが、自分のために動いてくれたコートニーのためなら、もしかしたら戦えるかもしれない。
 いや、これがフォルスさんの言う騎士道精神ではないのかもしれない。だが、俺はコートニーのために何かしてやりたい。俺のために、命を失う危険を顧みず、国司の館に潜入し、偵察してきてくれたのだ。恩返しをしないとことには、気が済まない』
 「……コートニー」
 と、ジードは連れを探して視線を横に向ける。するとコートニーは、いくら呼び掛けてもジードが返事をしないから、地面の隅で『の』の字を書いていじけていた。
 「…何してんだ?」
 「だって、ジードってばいくら話し掛けても返事してくれないんだもん」
 ジードの方を向いて鼻をぐすっと鳴らした。
 「…すまない。考え事してたんだ」
 「あたしのこと?」
 と、コートニーは上目遣いで訊く。ジードは苦笑いを浮かべたが、
 「ちょっと違うが、お前のことも考えた」
 「どんなこと?」
 「お前と知り合えてよかったって、考えてたんだ」
 「…それはどういう意味で?」
 「色んな意味でだ。感謝してるんだぞ」
 「そ、そう? …あたしも感謝してるんだよ、ジードに」
 ジードは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、
 「なぜだ?」
 と訊いた。自分は何もしてあげていないと思っているのだった。
 「いっぱいありすぎて、うまく言葉じゃ言えないよ」
 『そんなに俺、コートニーに何かしたかな…?』
 ジードは首を傾げて考えた。
 「お〜い、ジード〜っ!!」
 通りの向こうから、ファルクの声が飛んできた。走り去ったときとは、逆方向だった。
 車椅子をコートニーに手伝ってもらい、方向転換をした。
 ファルクは右手に、何か不思議なものを連れていた。
 「…おい、ファルク。誰だそれは?」
 膝に手をつきゼエゼエと喘ぐファルクに、ジードは話し掛けた。後ろの人物も、ゼエゼエとは言わないが、肩で息をしているのがわかった。
 トラブルを連れてきたのかもしれない、とジードは直感した。
 「お姉ちゃんもいたんだ」
 と、しばらく経ってからファルクはようやく言った。
 「まあね」
 コートニーは少年が連れてきた少女を見た。
 「ずいぶんと疲れてるようだが、何かあったのか?」
 本当は訊きたくないとジードは思いながらも、しょうがないので訊いて見る。そうするしかないじゃないか。まさか初対面の女性に忙しいから向こうへ行けなどとは言えない…。
 「いや、それは、これから聞くんだ」
 とまだ肩を上下に揺らしているファルクは答えた。
 「なに? それはどういうことだ? まさか俺に話を聞けっていうんじゃないだろうな?」
 「あ、その通り。さっすがジード、よくわかったね」
 ジードは溜め息をついた。どうしてこうファルクはトラブルばかり持ちこむかな。
 昼間は敵討ちがどうのって言ってたくせに、今はもうそのことを忘れたようにしている。でも代わりに次のトラブルを持ってきたのか。
 「ごめんジード、ちょっとこっち来てくれる?」
 ファルクは手招きする。
 「俺は動けないんだぞ。来て欲しいならお前が押してってくれ」
 「それもそうだね…」
 ファルクは、ジードの車椅子を押し、コートニーたちから少し離れた。
 「で、どうした?」
 ファルクが言いにくそうにしているので、ジードが自分から訊く。
 「あの、ジード、やっぱり父さんの仇はとってくれないんだよね…?」
 ファルクはおずおずと切り出した。それが話と関係あるのかはわからないが、
 「いや、やるよ」
 とジードは当たり前のように答えた。
 「え?」
 「やるよ。フォルスさんの仇とらないとな。あんないい人を殺したんだ。ジェトロにはゲップが出るほどお礼をしてやるさ」
 ファルクの顔を見て、ジードはニヤリと笑った。ファルクは、一瞬後、喜びに顔を歪ませた。
 「ありがとう、ジードっ…!」
 「そんなことはいい。あの女の子の話をさっさと片付けよう」
 「あ、そ、そうだね…」
 「あれは誰なんだ? そして何の事情があってお前が連れてるんだ?」
 「…それが、全部知らないんだ」
 「何だとっ? どういうことだ?」
 「あのお姉ちゃん、僕が子供だと思って、事情を何も話してくれないんだ。で、ジードにならもしかしたら話してくれるかもって思って……」
 ジードは、大きく口を開いたまま、それに見合うくらい大きな溜め息をついた。
 「何の事情だ? どうして知りたいと思ったんだ?」
 「あの人、おっさんたちに追われてたんだ。必死に逃げようとしてたから、どんな事情があるのかなと思って……」
 「…バカかお前は。もし盗人だったらどうするんだ? お前は共犯者にされるんだぞ」
 「うっ……」
 「ま、終わったことだから今更だが……」
 お前は、トラブルを持ちこみすぎる、と喉から出かかったのをジードは必死に止めた。
 「じゃあ、俺が聞いてやるよ」
 「ほんと?」
 「何から逃げてたのかを訊けばいいんだな?」
 「うんっ」
 かくして、ジードはファルクの願い通り、少女の事情聴取を始めることになった。
 ファルクが、ジードの車椅子を押してふたりが待つ場所へ戻ったとき、
 「あんた、名前は?」
 と、コートニーが少女に質問しているのに気付いた。なぜか、コートニーは険しい表情だった。
 「え…? あ、私は、ペルトーシュといいます……」
 と、少女は消え入りそうな声で答えた。
 「ふーん…歳は?」
 「え。…十五です……」
 「むっ、あたしと同じ……」
 コートニーはそれが気に入らない様子だったが、なぜ気に入らないのか、ジードとファルクにはわからなかった。
 「あの…あなたは?」
 ペルトーシュという少女がコートニーに訊いた。
 「あたしはコートニー。十五歳よ」
 コートニーは素っ気無く答え、
 「あんた、なんでファルクについてきたの?」
 ふぁるく?
 と、少女は首を傾げたが、それが自分を連れてきた少年のことだと気付くと、
 「わかりません……。無理矢理引っ張ってこられたんです……」
 確かにその通りである。
 「いいよコートニー。後は俺が訊くから」
 ジードが後ろから声をかけた。
 「え? そう? …でも……」
 と、何か不安そうな顔でちらと少女を見る。ペルトーシュと名乗った少女は、ジードを見ていた。
 「でも、なんだ?」
 ジードが訊くと、
 「いや、なんでもない」
 コートニーはただ首を左右に振るだけだった。
 「じゃ、お前はファルクと向こうへ行ってろ。俺がやるから」
 こうしてコートニーとファルクは傍から追い払われた。ファルクは、ジードの車椅子をペルトーシュの傍まで押して行き、辿りつくと、そこから離れ、コートニーの横に並んだ。
 「俺の名はジードだ。まあファルクが呼んでたし察しがついてるとは思うが」
 ジードが言うと、少女はひとつ小さく頷いた。
 「よし、君、ペルトーシュと言ったね。今から君に質問をする。と言っても全部に答えろというわけではない。答えられないと思うのならそう言ってくれていい。とはいえなるべく答えてくれな」
 「む」
 コートニーはむっとする。自分の場合は『お前』なのに、この初対面の少女には『君』と呼んだのが、気に入らないようだった。
 横に立っているファルクは、
 「そんなこと気にすることないよ」
 と言った。それが気に入らないと、顔に出ていたのだろう。子供に気付かれるとは、コートニーは単純なのかもしれない。
 「え?」
 「だって、ジードは初対面の人に対しては丁寧に話するもん。逆に、慣れてくると『お前』とか、命令形とか使うんだ」
 「…てーことは、あたしのこと親しい友人くらいには思ってくれてるわけなんだね」
 「たぶんね」
 「それなら許す」
 とコートニーはやっと笑顔を見せる。しかし、すぐに消えた。まだ不安は残っているからだ。その不安が、何より一番大きく重要であった。
 コートニーは、心配そうにジードの後頭部を見つめる。
 「君は、なぜ逃げてきたんだ? 何があったんだ?」
 しかしペルトーシュは俯くだけで何も答えなかった。ジードは怪我をして、まともに歩くことすらできないのだ。子供のファルクの方がまだ頼りになる。そういう計算があってかどうかは知らないが、ペルトーシュはただ黙っているだけで、何も答えようとはしなかった。
 「…確かに、俺は見ての通り怪我人だ。だが、君の話を聞いてやることくらいはできる。もしかしたら手を貸すことだってできるかもしれない。仲間もいないことはないしな。ファルクはそのつもりらしい。だから俺のところに君を連れてきた。しかし俺は事情を聞いてからでないと踏ん切りがつかない性分でね」
 「………」
 「話してくれないか。少なくとも君を悪いようにはしないと、ファルクのためにも誓おう」
 すると、
 「わ、わたし……」
 と、おずおずと切り出した。
 「逃げてるんです……」
 「うん、何から?」
 「あ、ある劇団に、攫われるところだったんです…。わたしは、元はサーカス団に所属していたんですが……その…潰れちゃって……」
 と、ペルトーシュは何か曖昧な言い方だったが、事情を説明してくれた。
 それによると、彼女が所属していたサーカス団は、隣りの街に巡業にきていた。客の入りもまずまずで、成功したと言えるだろう。だが、たまたま観賞にきていたその街の劇団員がペルトーシュに目をつけ、引き抜きにかかった。しかし、サーカス団の団長やメンバーは承諾しなかった。団長は、ペルトーシュはうちのサーカス団の看板であるから、余所に移させるわけにはいかないと言った。
 劇団員は多額の謝礼を払うと引き下がったが、団長は突っぱね、金銭の問題じゃないんです。家族を売るような真似はできませんと、答えたらしい。
 サーカス団というところは、本当の家族ではない人間が集まってできる団体だが、本当の家族以上に絆が深まる場所でもある。しかしそれを聞いた劇団員は、懐からナイフと言えば少し刃の長い刃物を取り出し、団長に襲いかかった。団長夫人も、そこで喉を切られ絶命した。
 なるべくなら手荒な真似はしたくなかったが、と言いつつ、他の団員にも斬りかかる。邪魔者はすべて排除する。力ずくでペルトーシュを攫おうと考えたのであった。
 他の者は、皆ペルトーシュを護るため戦ってくれた。自分が盾になり、彼女を逃がそうとしてくれた。
 彼女は逃げ出したので、そして逃げるのに必死で後ろを振り返る余裕もなかったが、恐らく、皆殺しになったはずである。
 「ちょ、ちょっと、待て」
 ジードは言葉を挟んだ。
 「隣の街と言ったな。そんな暴力が蔓延ってるのか? 治安は何をしている?」
 治安とは、治安維持部隊。警察のようなものだが、軍隊なので取り締まりも厳しい。…はずなのだ。
 「………」
 ペルトーシュは答えない。俯いたまま、必死に堪えているようだった。何に? ジードはその顔を観察する。
 「あの、これから言うことは、たとえあなたが私に手を貸せないとしても、誰にも話さないでくれますか? 私のこと、逃がしてくれますか?」
 決心したように、ペルトーシュはジードの目を見て訊いた。その決意を無にするほど、ジードはわからずやではない。
 「わかった。約束しよう」
 ペルトーシュは安心したように笑顔を見せたが、それも一瞬のことで、すぐに真顔に戻り話を続けた。
 「その劇団を所有しているのが、実は、ジェトロ国司なんです……」
 「何っ!? ジェトロだとっ」
 やはりこの反応か…。ペルトーシュは思った。ここまで来る間にも、何人かの人に救助を求めた。しかし、誰に言っても、ジェトロ国司の名前が出た瞬間踵を返し、どこかへ消えて行った。例えそれまでは同情するような顔を浮かべて話を聞いていても、ジェトロの名前が出るとさっと踵を返し、何事もなかったかのように家に入っていくのだった。
 国司に逆らうわけにはいかない。それはペルトーシュにだってわかっている。何も国司を倒すのを手伝えと言っているのではない。匿ってくれというわけでもない。食事や水くらい、与えてくれてもいいだろう。
 「なるほど……ジェトロの配下だからそんな横暴が許されてるのか……」
 ジードは考えた。
 『フォルスさんなら許さないだろうな。あの人のことだから、ジェトロに怒鳴り込むくらいのことはしそうだ』
 ペルトーシュは、まだ逃げようともしないジードの顔を見ていた。
 あ、そうか。車椅子だから自分で動けないのだと、彼女がそう穿った見方をしたのも、仕方がないことかもしれなかった。
 「おいファルクっ」
 ジードが後ろにいる子供に呼び掛けた。
 やはり……。逃げるのだろう、と、ペルトーシュは考えた。それだけならいい。向こうに引き渡そうと考えているかもしれない。それは困る。警備隊が呼ばれる前に逃げるしかない。
 「なんだい」
 ファルクが駆け寄ってくる。
 ペルトーシュは、まともにそっちを見ることができず、俯いていた。
 「病院へやってくれ」
 『やはり……』
 逃げるつもりなのだと、ペルトーシュは絶望に打ちひしがれる思いだった。しかし、またか、という思いもある。
 「君も来るんだ。ペルトーシュ」
 え? と、ペルトーシュは顔を上げた。まさか国司に引き渡すつもりじゃ……。
 「ファルク、俺は彼女に手を貸そうと思う。敵は誰だと思う? 驚くなよ。なんとあのジェトロだぜ」
 と、ジードはむしろ楽しそうに話している。ファルクも、
 「へえっ。じゃあついでだねえ」
 と笑っている。
 『一体何を考えているんだ? 私を嵌めるつもりなのかな……』
 「あ、あの……」
 ペルトーシュはジードに声を掛ける。ジードはこちらを向けないが、ファルクが顔を向けた。
 「あなた方は、いったい……?」
 「ジードは女性に優しくて、僕は特に誰に対しても優しいんだ」
 ファルクは嬉しそうに答え、ペルトーシュは首を傾げ、コートニーはファルクの頭をゴツっと小突いた……。
 「病院でもう少し詳しい話を聞かせてくれ。コートニーの報告も、まだ聞いてなかったよな」
 「あ、そうか。まだ報告してなかったね」
 『不思議な人たち…』
 ペルトーシュは、三人に何か暖かいものを感じ、そう思った。彼らになら、裏切られてもいいかもしれない。
 彼女は、最悪のケースも冷静に考えていた……。


    to be continued
inserted by FC2 system