黒の閃光
    九:攻勢

 「ペス姉ちゃんはあっちをっ」
 と、劇場の中で、ファルクが指示を出し、自分は彼女とは違う、別の部屋に飛び込んで行った。
 ペスは間取りがわからず、ごちゃごちゃした狭い廊下を奥へと適当に向かう。そして、目の前に現れた扉を開けると、ステージの袖に出た。そこには、まだランプの照明が灯されていた。客席に炎の光は及んでいないが、ステージ上は、明るく照らされている。ランプの表面をステンドグラスにした技術を採用している。
 炎は赤だが、ステンドグラスの入れ物は、黄色や青や緑と、様々である。それら幻想的な光が、ステージを虹色に照らし出していた。
 ランプの炎は、魔法によって起こした炎であるから、消えることはないし、燃え移る心配もないのだった。
 恐らく照明係は、逃げ出すのに精一杯で、消して行く余裕がなかったのだろう。その照明係とは、炎を起こした魔術師である可能性が高いが、劇場のスタッフに魔術師が大勢いるとは考えられない。おそらく、ひとりは魔術師がいたのであろうが、スタッフのほとんどはただの劇団員に違いないと、ペスは思った。
 「わあ……」
 ペスは驚嘆の声を出し、おずおずとステージの真ん中まで進み出て、そこから客席を見渡した。松明は手に持ったままである。
 『こんなところで芝居ができたら、どれほど気持ちいいだろうか!』
 ペスは目を閉じて祈る。瞼の裏では、きれいな衣装を纏った自分が、ステージ上を駆け巡り、笑顔を振り撒いている姿が映っていた。素敵な男優とラブロマンスを演じるのだ。そして、物語はクライマックスになり、ふたりは結ばれる。男優が悪者と剣を交える姿。傷ついた姿。その手当てをしている自分。
 観客の拍手が自分に送られ、涙の中で幕が降りる……。
 ペスはサーカス団にいたが、芝居もしたいと思っていた。それは、ショーを続けてきた自分だが、サーカスには台詞などない。ただ、輝くような笑顔と、演技だけで気持ちを伝えなければならないのであった。サーカス団で華と呼ばれたペスが、一度でもいいから、台詞を交えて演技をしてみたいと思うようになったのも、当然のことかもしれなかった。
 この敵討ちが終わったら、役者を目指そう。ペスはそう考え、まずはこの戦いを終わらせようと、我に返った。
 ペスは松明を、奥の舞台袖の幕、カーテンに近づけ、そのまま火をつけた。
 「お姉ちゃんまだっ!?」
 ファルクが忙しない様子で顔で飛び込んできた。
 「急いで出よう!」
 ファルクも手伝い、板張りのステージにも火を放つ。
 「よし、もういいよっ」
 ふたりは急いでホールから出る。奥から煙が滲み出ていた。ファルクがつけたのだろう。しかし、逃げる時間を稼ぐため、ファルクはちゃんと部屋のドアを閉めてきていた。
 玄関に向かいながら、ふたりは手当たり次第に火をつけて周る。玄関に近づく頃には、奥の方は燃え盛る炎が天井までも燃やしていた。
 劇場の中は、思いの外複雑な構造をしている。大道具や小道具の類が、廊下にも無造作に置かれている。今は、興行していないらしいのだが、ただでさえ狭い廊下を、大道具などの備品で通行を妨げられるというのは、ふたりをささくれ立たせるだけだった。
 気分が焦り、角に足をぶつけたり、頭をぶつけたりしながら劇場内を駆け回る。二階もあるそうだが、そこまで回っている余裕はない。一階だけでも、隅々まで火をつけられたら、時間が経てば二階にも火が回るのだった。
 外に出る直前、ふたりは松明を捨てた。なるべく遠く、火の起こっていないところを目指し、投げつけたのである。
 「おかえりっ」
 ふたりが外に駆け出たとき、コートニーはふたりを迎えた。まだ、警備兵は見えない。
 「今のうちに、どこか安全な場所に逃げてっ」
 コートニーはふたりに言い、自分は、ジードが去ったジェトロの官邸に向かい、走り出す。警備兵がまだ来ていない。それが、コートニーには不安なのであった。
 任務を終えたふたりは、肩で息をしながら見詰め合った。
 「警備兵が来てないのにコー姉ちゃんは……」
 ファルクが、呟くように言った。
 「もしかすると、ジードさんがひとりで……」
 ペスも何か危険を覚ったらしく、ふたりは頷き合った。コートニーの様子と、警備兵が来ていないという事実は、ふたりにとっても重要だった。
 逃げるのではなく、自分たちも戦おうと、頷き合ったのであった。
 「火事だぁああっ!!」
 ファルクが叫んだ。
 「火事だぞぉおおっ!!」
 ペスも、負けじと大声を張り上げる。一般人を巻き込まないと、ジードは言っていた。もちろん、火事で余所の家に火が及ぶことも、避けなくてはならない。
 すぐに、反応があった。まずは、ファルクとペスの立っているすぐ前の家から、中年の男が必死の形相で出てきた。
 劇場の玄関から、煙がもくもくと溢れ出ているのを見ると、
 「火事だああっっ!! みんな出て来ぉおおいっっ!!」
 その男が叫んだ。見ず知らずの、それもファルクやペスのような子どもが叫んでも信じられないと言うことなのか、そのおじさんが叫ぶと、一斉に家のドアがばたばたと開き、おとなたちがどたどたと出て来たのだった。
 すぐに、消火活動は始められた。本当なら、駆け付けてきた警備兵に消火活動を任せるつもりであったのだが……。
 ファルクとペスは、一般人に迷惑をかけることを心で詫び、その場から姿を消した。

 ジードは、塀の陰から官邸を眺めていた。警備兵が、四十人ほど、さきほど出て行ったところだった。まだ六十人も残っている。しかし、中に入らないわけにはいかない。あの四十人を引き連れて、コートニーは逃げ回ることになるのだ。悩んでいる時間だけ、コートニーが危機になる。それに、中に入るだけが目的ではない。ジェトロのところまで行き、且つ奴を殺さなくてはならないのである。時間が惜しい。
 ジードが意を決したように立ち上がったとき、塀の中で、土に何かが刺さるザクッという音がした。
 何の音か、もう一度座り直し、ジードは様子を窺う。近くにいた警備兵が集まる。ある警備兵の足もとの土に、ナイフが刺さっていた。
 「あ、失敗しちゃった」
 声がした方を見ると、塀の上に、コートニーが笑顔で突っ立っていた。夜だが、この官邸の周りにはランプの常夜灯が燈され、思いの外明るい。コートニーの姿も、まるでヒロイン登場の場面よろしく夜の闇に浮かび上がる。が、かっこつけているのではない。奇襲のために不意をついたのに、狙いが外れたのだ。カッコ悪いのであるが、コートニーは、始めから警備兵に当てるつもりはなかったのであった。ジェトロ以外は殺さないという、ジードの言い付けを守ったのであった。
 しかし、狙われた警備兵たちはコートニーに群がる。飛び道具なので、また狙われる可能性が高い。その前に捕まえるつもりなのだ。と言っても、警備兵は塀の上にいるコートニーを捕まえることはできない。高さは三メートルあるのだ。塀を高く造ったのが、仇になったようだ。誰もコートニーに追い着けない。下から槍や武器を投げつけることしかできないのである。そして、コートニーは、その場でじっとしているほど愚かではない。充分彼らを引きつけたところで、塀の向こう側へ飛び降りた。ここまで来たら、警備兵も追い駆けてくるだろうという計算の上での行動だ。
 その隙に、ジードは敷地に入り、陰に身を隠しながら建物の入り口に取り付く。コートニーとは言葉を交わしていない。それでも、まるで意思の疎通ができているかのように、見事なフォローなのであった。
 もちろん、六十名すべてがコートニーを追い駆けるわけではなかった。しかし、残ったのはわずか十名足らず。この広い敷地内に、たったそれだけしか警備兵がいなかうなったのである。隙は、いくらでもあった。
 ドアを少しだけ開き、中の様子を窺う。ここは、昨日コートニーが忍び込んだ裏口ではない。表の、正規の入り口である。
 ジードは素早く中に入り、扉を閉める。かたとも音を立てない。この辺は盗賊のように用心深い。目の前にある階段を素早く上る。見取り図は、頭の中に叩き込んでいる。一直線にジェトロの部屋へ向かうつもりなのだった。
 三階に着き、壁に身を隠し、角の向こうを覗く。すると、ジェトロの部屋の前にはふたりの衛兵がいた。これも、コートニーの情報通り。
 身構え、ジードは閃光のようにふたりの衛兵に斬りかかり、ふたりを叩き伏せる。しかし、ジードは抜刀していない。剣を鞘に収めたまま、鞘で斬りかかったのだ。衛兵は、死んではいない。気を失っているだけだった。
 ここまで来たら隠れていても仕方がない、とジードは、バンッとその扉を蹴り開けた。
 「誰だっ!」
 きっちり服を着た青年が言った。秘書である。その向こうの椅子に踏ん反り返っている、ジェトロの姿も見えた。
 「お前はっ……」
 ジェトロは腰を浮かす。
 「……フォルスさんの仇…」
 ジードは身構える。
 「ば、ばかなっ…お前はジャミルがっ……ジャミルが……まさかっ」
 ジェトロはひどく狼狽している。もしかしたら、ジャミルが死んだということも知らないらしい。あれからどれほどの時間が過ぎているのか。
 「おやおや国司ともあろうお方が、まだジャミルの死を報らされていないのですか? ずいぶんのんびりした国司でいらっしゃること」
 ジードは、わざと肩を竦めて言った。ジェトロの癪に障るような言い方を、わざととったのであった。
 「覚悟しろ」
 ジードはジェトロを睨みつける。秘書の姿は、目に映っていなかった。この青年が、戦には素人であるということを、ジードは見破っていた。
 「誰だお前っ」
 秘書の青年が再び叫んだ。この侵入者のことを国司は知っておられるようだが、侵入者に違いはない。それが、沈着冷静であるべき秘書の態度を一変させた。
 「国司の官邸に侵入してくるとは、革命でも起こすつもりかっ!」
 と、秘書はジードを避けるため迂回しながらドアに近づこうと移動をし始める。逃げるのではない。警備兵を呼ぶつもりなのだ。
 「動くなっ!!」
 ジードの鋭い眼光を浴びた秘書は、ビクッと体を震わせた後、後ろに尻餅をついた。ジードの気合だけで、秘書は崩れたのだ。秘書としても、もしかしたら度胸が足りないのではないだろうかと、ジードは余計な心配をした。しかし、そんなことに構っている暇はない。
 「お前には用はない。動くなよ」
 とジードは秘書に言い、ひと睨みする。これだけで、秘書は動けなくなった。ジードの気迫に押され、まるで金縛りにあったように、指一本動かせない。
 「ジャミルはっ…ジャミルはどうしたんだっ!」
 ジェトロはまだそんなことを言っている。奴は死んだと、ジードが教えたにも関わらず、信じようとしないのだった。
 「奴は死んだ。遺跡の、下敷きになってな」
 「嘘だ〜っ!!」
 何を血迷ったのか、ジェトロは丸腰で、剣を持つジードに殴りかかった。しかし、そんなやわな拳が当たるほどジードはのんびりしていない。目を瞑ってでも避けられるそののろまな攻撃を、難なくかわす。
 バギィッと、ジードはジェトロの顔を殴りつけた。一瞬の隙をついて、とよく言われるが、この場合は隙がありすぎて、一瞬どころではなかったのだが、隙をついてジードは拳を振りかぶり、殴りつけたのであった。
 ジェトロは後ろに飛び、デスクに、派手に頭から突っ込んだ。デスクはバラバラに壊れ、上に乗っていた書類が、まるで舞い散る花びらのように、そこかしろに散らばり、ジェトロの上にも降り注いだ。
 「お前は他人の痛みが、自分とは関係ないものと考えてるだろう……」
 と、ジードが静かに言った。
 ジェトロは起き上がろうと必死にもがいている。ジードの声は届いていない。
 「……血が流れすぎた…とは、思わないのか?」
 ジードが問い掛ける。しかし、ジェトロは起き上がるため必死にもがいている。体の上に乗ったデスクの破片や木の屑をどけるのに精一杯で、聞いちゃいなかった。
 「お前の妬みのせいで、フォルスさんを始め、その部下三十数名が死んだ……。お前の部下のジャミルも死んだっ。お前が欲を出したからっ……! この街だけでよかっただろう!」
 ジードは、何時の間にか涙を流していた。ジェトロのもがく姿を見て、情けなくなった。
 「こんなやつのためにっ……!」
 と、ジードは吐き捨てるように言う。
 「部下がいくら優秀でも、上に立つ者が無能ならっ……」
 チャッ、とジードは剣を構えた。
 「お前には何を言ってもわからない。聞こえてもいない……。これで、終わりにしてやる」

 「待てぇ〜っ!!」
 五十人近い警備兵に追われ、口々に待てと言われても、コートニーは待つわけにはいかなかった。
 最初に劇場に向かった警備兵は鎮火、そして付近の住民を避難させる指示に励んでいる。一般人を誰も巻き込むつもりはない。できれば全員無事に避難してもらいたいものだと、ジードは言っていた。これは、あくまでジェトロひとりを敵とした作戦である。警備兵のひとりも、ジードは殺すつもりはなかった。コートニーも、そのつもりである。
 ファルクとペスはちゃんと逃げたかなぁ、とコートニーは心配する。
 『ペスは、まあ仇とれたし、もういいやって感じで無事に逃げてるだろうけど、ファルクがねえ……。おとなしく待ってたらいいけど。
 それにしても、すごいなあ。これだけの人数を引き連れて……』
 そっと、コートニーは後ろを振り向いた。
 「待て〜っ!」
 「子供でも許さんぞーっ」
 と、警備兵が喚き立て追い駆けてくる。コートニーは、こんな人数に追い駆けられた経験はただの一度もない。
 「……盗賊冥利に尽きるってね」
 コートニーは恐怖を紛らわせるため、強がりを言った。こちらから攻撃できないということが、これほどの恐怖を感じさせるとは。コートニーは、実際こうして作戦を実行する前は、囮など簡単だと考えていた。自分の足は速い。追い着かれるわけがないと確信していたが、それはどうやら自惚れだったと気付いた。  コートニーが気付いたことはもうひとつある。それは、ジードがジェトロを倒し、作戦が成功したとしても、今自分を追い駆けてきているこの仕事熱心な警備兵たちを、どう説得するか、ということに。
 作戦が成功したのに、死ぬつもりはない。おとなしく捕まってから説得してもいいが、その場で処刑されたら犬死と同じである。もとより警備兵はこの場でコートニーを殺す気で追い駆けているのである。
 どっちにしろ死ぬなら、コートニーは戦って死にたいと考えた。自分は盗賊で、戦闘には素人だ。しかし、ジェトロが生きていたら、これからもこの悲劇が繰り返される。無能な指導者のおかげで、兵は死に、その家族はただ泣くばかり。これが任務だ、仕事だと、泣き寝入りするしかない。
 『そんなことはまっぴらだっ。ファルクやペスのような子を増やさないためにも、今あいつを倒さなきゃいけないんだっ』
 市民は、それほど苦渋を強いられているわけではないようだが、これは直接ジェトロの影響がないからである。政治家は別にいる。軍の最高幹部、司法の最高幹部、そして政治の最高幹部を統治するのが、ジェトロの仕事であるから、市民に対する影響は、ほとんどないと言っていい。もとより、ジェトロは政治に興味がないからだが。ジェトロが動かすのは、いや、動かしたいのは軍だけなのである。
 だからこそ、犬死だろうが、ジェトロに一矢を報いるために戦うのだ。
 「…生きてジードに会えたら、ステーキ奢ってもらおう……」
 体力的にそろそろ限界を迎えようとするコートニーはぼやいた。
 『…しょうがない。ちょっとあの家の屋根にでも上がって、しばし休憩しようかな』
 と、ちらっと、普通の家屋の屋根を見上げたときだった。
 「コートニーさんっ」
 小さな声で呼ばれる声がした。横を向くと、なんと、どこかに隠れ待っているはずのペスがいた。しかも、コートニーの横を一緒に走っている。ここまで警備兵からしっかり逃げているコートニーと、ちゃんと並んでいるのである。華奢な体をしてるくせに、妙に体力があるらしい。サーカス団に所属して、鍛えられたということだろうか。ということに、コートニーは後になって気がついた。
 「ペスっ? あんた逃げなきゃっ……」
 驚いた顔で話し掛けるコートニー。後ろを追い駆けてくる警備兵たちは、
 「おいっひとり増えたぞっ」
 「早く捕まえろっ」
 「ガキに追い着けないなんて国司に知れたら死刑になるぞっ」
 「早く捕まえろっ」
 「誰か左から周れっ。挟み撃ちにするんだっ」
 などと口々に叫んでいた。
 「本当はもうちょっと前の、路地から声をかけたんですが、どうやら聞こえていらっしゃらないようだったんで、追い駆けてきました」
 ペスは笑顔で言った。何か余裕が感じられる。敵討ちが済んだからだろうか。
 「あ、そう……。ま、必死に逃げてるからねえ……それで聞こえなかったんでしょ……」
 ペスの走りながらも余裕の笑顔に虚を突かれたように、コートニーはきょとんとした顔をしたが、のんびりと会話を楽しんでいる場合ではないと思ったようで、
 「何でついてきたのよ?」
 と言った。ひとりで逃げる方が遥かに楽である。仲間がいると、そいつが捕まらないように気を遣わないといけなくなるので、言わば足手まといになるケースが多い。
 「だから手伝いに来たんですよ」
 「手伝い?」
 「はい」
 ペスが笑顔で言った。
 「ついてきてください」
 ペスは、路地を右に入って行った。路地と言っても、人間が三人は大手を振って歩けるほどの間隔は充分にある。メインストリートよりは少し小さいが、という程度の、普通のわき道である。
 コートニーは、しょうがないのでついていく。ふたりの姿が通りから消えた。
 警備兵は、ふたりが曲がったその路地に入る。ペスとコートニーは、既に向こう側の通りに出ていた。
 そして。
 「おしーりペーンペーン」
 と、コートニーが警備兵にお尻を向け、ペチペチと叩いた。露骨な挑発である。ただでさえふたりに追い着けないで焦っている警備兵たちは、
 「ガキだと思って下手に出てりゃいい気になりやがてえっ!」
 「その首へし折ってやるっ!」
 と怒鳴り散らし、怒涛の波の如くふたりに押し迫ってくる。しかし、ペスもコートニーも、その場を動かなかった。その意味を、警備兵たちには考えている心の余裕がなかった。それが、致命的だった。
 バアッっと、魚網のような大きな網が、警備兵たちの頭上から、道いっぱいに広がって落ちてきたのである。
 うおっ、と、警備兵たちは身を構え防御するが、上から落ちてくるものが軌道を変えるはずもなく、バサッと男たちの上に被さった。その勢いと重さに警備兵たちは尻餅をつく。すると、屋根の上から、十数人の影が飛び降りてきた。と言っても高さは一階分。足を挫くこともなかった。
 飛び降りてきた男たちは、手にそれぞれ棍棒やら木刀などを持っていた。
 「だ、誰この人たち……」
 コートニーはペスに訊いた。ここに誘い込み、警備兵を挑発してくれ、とまでは、この道に曲がったところでペスに聞いたが、こんな男たちのことは聞いていなかった。
 「罠ですよ、罠」
 ペスは嬉しそうに言う。
 「ファルクくんが、仲間に手伝ってもらおうって言って、呼んできてくれたんです」
 「仲間?」
 コートニーが訊き返したとき、
 「やあ。君がコートニーちゃん?」
 と、筋骨隆々とした色の浅黒い巨漢が、コートニーの目の前にぬっと現れた。
 「は、はい……」
 その山のような、壁のような巨体に距離を空けながら、コートニーは頷き、この巨漢の顔を見上げた。
 「あ……」
 「君、山賊と戦った時、ファルクを取り戻してくれた娘だろう?」
 『フォルスの部下の生き残りだっ』
 コートニーは心の中で叫んでいた。そうか、彼らに頼めば助けてくれたのか……。
 他の連中は、網の下の警備兵たちを、各々手に持った武器で殴りつけていた。殺すわけではない。捕まえるために、まずはおとなしくさせるのである。骨の一本は、覚悟しておいてもらう必要があるだろうが…。
 五十人全員も、あの網で捕まえることは不可能だったが、後ろから逃げられないように囲んだのであった。
 数は全然違い、元近衛騎士団の彼らにとって圧倒的に不利であるはずの状況だったのだが、浮き足立った兵隊など、取るに足らない烏合の衆と言えた。さすが歴戦の近衛騎士団の生き残り。不利な状況を物ともせず、圧倒的な貫禄を見せつけて、あっという間に正規の警備兵を捕獲したのであった。
 「そうかっ! あたし、攻撃って、殺すことしか考えてなかったよっ」
 そんな姿を見ながら、コートニーは物騒なことを平然と叫ぶ。
 「そうかそうかっ、殺さなくても、罠に嵌めて、縛り上げればよかったんだっ」
 すると、横でペスが頷いた。
 「そうなんですよ。直接戦うわけじゃないから、私にも手伝えたんです」
 「ありがとうねペスっ! 恩に着るよっ」
 と、コートニーはペスの両手を取り、きつく握りながらぶんぶんと振った。ペスはこんなことは予想していなかったようで、顔を赤くし、
 「い、いえ、私ではなくファルクくんが……」
 と、詰まり詰まり謙遜する。横で、ふたりのやり取りを見ていたフォルスの部下は、
 「ファルクが俺たちを呼びに来たんだ。ジードがたったひとりでジェトロの官邸に、そして、あの時初対面だった君が、たったひとりで外の百人からいる警備兵を引き付けているってね」
 と、悲しそうな顔で言った。それはどういう意味なのだろう、と、コートニーは首を傾げた。
 「実を言うと我々は、もう戦うつもりはなかったんだ。団長の敵討ちなんかしても、団長は帰って来ないからね。でも、ファルクが敵討ちを望んでいたとは知らなかった。ただ、落ち込んでるだけだと思ってた」
 コートニーもペスも、その男の告白を黙って聞いていた。ペスは涙目だった。ファルクも、自分と同じ境遇だったということを、今初めて知り、心の中で十歳の少年に頭を下げるのであった。
 「我々は、彼の父親の部下で、何十年も一緒に過ごして来た仲間だったんだ。それなりに、ファルクのことは家族以上に気にかけていたつもりだった。でも、ファルクは会って半年しか経たないジードを慕い、初対面だった君に助けを求めた……。我々としては、申し訳無い気持ちでいっぱいだ。しかし、あいつらも水臭い……」
 男はコートニーに向かい、頭を下げた。
 「ありがとう。そして、巻き込んですまなかった」
 しかし、自分たちに敵討ちの意志はないと言ったのも、事実なのであった。だからこそ、ふたりが何も言わずに行動を起こしたということも、認めないわけにはいかないのだった。
 「あたしはジードのために手を貸しただけで、あんたたちのことなんか考えてなかったよ」
 コートニーは答える。
 「だから、あんたに頭を下げられても、嬉しくも何ともない」
 「それは、そうだが……」
 「それにまだ戦いは終わってないでしょ。ジードは今も、たったひとり、官邸で戦ってるんだからね」
 「ああ。それは大丈夫だろう。仲間が数人、官邸に向かった。ファルクも一緒にな」
 「じゃああたしも官邸に行ってくる! おっちゃんたちは警備兵を見張っててっ」
 コートニーは走り出し、ペスと巨漢は置いて行かれる形になった。
 「よっぽど心配なんでしょうね…ジードさんのこと……」
 ペスが呟いた。男は溜め息をつき、
 「あれが若いってやつでさあ」
 ペスとふたり、笑い合った。
 「あ、…ところで、さっきファルクくんのお父様のこと団長と呼んでましたが、サーカス団か何かしてらしたんですか……?」
 山賊なら『頭』と呼ぶはずですよね、とペスは失礼なことを考えながら訊いた。
 「この図体見てサーカス団やってたように見えるかい?」
 男はにやつきながら答える。
 「国王直属の家臣でね。近衛騎士団の団長やってたんだよ。ファルクの親父さんは」
 「えっっ!? 国王様直属っ…?」
 ペスは驚いた。ただの市民であるペスが、国王の直属の家臣と普通に話しているのだ。無礼がなかったかと、蒼ざめたのである。
 「気にすることないさ。我々は家臣であって、王族ではないからね。それに、君も見ただろう? 俺は今盗賊のあの娘に、警備兵を見張ってろって命令されたんだよ」
 最後の部分で、男はペスにウインクして見せ、意味を覚ったペスは笑った。久しぶりに、心から楽しいと思った。
 ペスは、サーカス団の皆が殺されてから、一度も笑っていなかったことに、今気が付いた。
 「さて……」
 男は、ペスにも聞こえないような声で呟いた。
 「問題は、ジェトロを討った後だが……どうするか……」
 元近衛騎士団の連中に襲われた警備兵たちは既におとなしく、後ろ手に縄をかけられていた。誰一人、死んではいなかった。


    to be continued
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