四

 散歩は、すぐに終わった。別に、歩く場所がないとか、すぐに周れるような狭い村だった、ということではない。もちろん、そういうことでもあるのだが、畠を耕す農民が、じろじろとアルカスの方を見るのだった。イリアが、見知らぬ男と肩を寄せて歩いている。いったいどうしたのだと、好奇心に目を輝かせているのであった。
 そんな視線に、耐えられなかった。今まで、旅の傭兵ということで白い目で見られてきたアルカスである。蔑みの目は慣れている。だが、好奇の目は耐えられない。話しかけることはないが、道端で話し込んでる年寄りも、横をアルカスとイリアが通れば、ピタリと会話が止み、目を丸くしてふたりの姿を追うのだ。それから、ヒソヒソと言葉を交わす。まるで見世物のようだ。
 旅の傭兵。ひとりで旅をしている傭兵は、つまり失業中ということである。金がないので、食事もままならない。実際、アルカスは四日も何も食べず、水だけを飲んで過ごしていた。それが、当たり前のような生活なのだ。
 貧しさ、ひもじさに耐え兼ねた傭兵は、盗みを働く。強盗。剣を腰に差しているし、腕も立つだろう。そういう輩とは、できるだけお近付きになりたくない。蔑むような目を向けるのは、そのせいなのだ。もちろん、アルカスはそういう犯罪をしたことがないが、旅の傭兵というだけで、そのように見られてしまうのである。
 アルカスは、今はセーターを着ている。傭兵とはわからないかもしれない。しかし、アルカスの、にじみ出るような暗さや翳を、隠すことはできない。何かある。人に、そう思わせてしまうのだ。
 イリアもそれに気付き、ふたりは、すぐに道を引き返した。その間も、イリアは隣りを歩く無愛想な少年に話題を吹っ掛けた。アルカスは、返事をすることも少なかった。だが、まるっきり無視しているわけでも、ないのであった。
「この村は、農作物しかないんですよ。商業が盛んなわけでもないし、土と緑には囲まれてますけど、退屈で何もない村なんです」
 玄関のドアを開けながら、イリアが言った。庭で、イリアの弟が駆け回っている。蝶々を、追いかけているようだった。
「人が多いだけの町よりは、マシだがな。往来を歩くだけで、息が詰まりそうになることがある。夏場の、話だが」
 アルカスがぼそりと言うと、イリアが途端に目を輝かせて振り向いた。
「息が詰まりそうになるほど、人がいっぱいいる町があるんですか? どんなとこなんですか?」
「さあ、な」
 アルカスが目を逸らすと、イリアが口を尖らせた。
「どうしてそう意地悪なんですか? 教えてくれたっていいじゃないですか」
「説明が、面倒なんだ」
「この村の人口は、だいたい三百人もいないくらいだって聞いたことがあります。それよりも多いんですよね」
「そうだな。十倍は、いるだろうな。この村と、同じくらいの広さの町で」
「じゅ、十倍ってことは、三千人ですかあ? そんなにいるんですか? 顔を覚えるのに、何年もかかりそう」
「暮らせば、それが当たり前になるんだろうな。村の者は、お前のことは知っていて、俺の顔は知らないということが、わかっていた。だから、目立った」
「でも、全員の顔を覚えてるわけじゃないですよ」
「だが、見慣れない顔があると、すぐにわかる。町なら、考えられないことだな」
「どういうことですか?」
 階段に差し掛かったので、アルカスを支えるように手を貸そうとしたイリアが言った。アルカスは、それを目で制した。
「町には、人が多いだけではない。旅行している者もいれば、通りすがりの者もいる。町では、町を歩く誰がその土地の人間なのか、判断しにくいんだな」
「見慣れない顔ばっかり、ってことですか?」
「違う。見慣れる余裕もないってことだ。それくらい、人で溢れている土地もある。ここへ来る途中通った、ラビルという都市がそうだった」
 階段を上り、ふたりは住み慣れてしまったイリアの部屋に入った。ちなみに、夜は、イリアは一階で両親と一緒に寝ているので、その時だけは、アルカスは独りになることができる。
「痛みも、ないと言っていい。まだ、走っていないし、剣を振り回せるかどうかはわからないが。少なくとも、歩くことはできる」
 アルカスの科白は、出立するという意思表示だった。散歩をしてみて、旅が続けられると結論を出したのだ。イリアが俯く。何かを、言いたそうにしている。今朝も、そうだった。出立すれば、二度とこの村には来ない。最後だからと、イリアの口から言葉が出てくるのを、アルカスは待つ気になった。
「わ、私も、連れてってもらえませんか?」
 ある程度予想はあったが、それでもアルカスは驚いた。そんなに、この土地が嫌いなのか。旅の話を聞きたがるということは、旅に出たいと考えているのだと、すぐに推測はできた。だがまさか、本当に、連れて行って欲しいと言い出すとは思っていなかったのである。
「私は、ここではあまりいい子として評価されてないんです。悪戯はするし、……人のものを盗んだりします。両親に説教されるのも、毎日のようだったんです。今は、アルカスさんのお世話をするってことで、外には出ていません。怒られることもないんですが」
 アルカスは、黙ってイリアの話に耳を傾ける。
「さっき、村の人が見ていたのは、アルカスさんを警戒していたんじゃないんです。私が隣りにいたから、みんなが注目したんです」
「お前が、村の外の男とつるんで、また何か悪さをしようと企んでいる。そう、思われたかもしれないと、考えているのか」
 考え過ぎだろう、とアルカスは思いながら言った。だが、小さな村では、噂はたちまち広がってしまうだろう。誰かが、必ず土地の者の顔を覚えているのだから。
「あの三人も、盗みを働いた私を追いかけていたんです……」
 アルカスの目が光った。
「どういうことだ? あの三人とは、俺が斬った三人のことか」
 思い出した。アルカスがここに留まることを余儀なくされた、イリアと初めて出会った場所のことを。
 あれは、誰だったのか。今まで、考えたこともなかった。ただ、旅に出たいとだけ考え続け、リハビリを繰り返していたアルカスだったのだ。あの三人は、この村の人間ではなかったのか? あの三人を殺した犯人は、今どこにいるのかと、捜査は続けられているのだろうか。それとも、自分が犯人だと、ばれているのではないか。俺を運ぶのに、イリアは父親と、もうひとり村の男を呼んだと言った。そのとき、三人の死骸も見たはずなのだ。
「私が、おにぎりを盗んだんです。神社に供えられた供物だったんです。それを供えたのが、……地主で」
「三人は、地主の用心棒……か?」
 胸騒ぎがする。アルカスは、急いで鎧を着込み、マントを羽織って剣を腰に差した。
「どうしたんですか?」
 あまりの慌てぶりに、イリアが顔を上げた。アルカスが、悪さばかりする自分から逃げようとしていると思ったのかもしれなかった。
「そんなに、私が嫌いですか? 三週間の間、私はずっとアルカスさんに付きっ切りで看病したのに……」
「すぐに出立する。できれば挨拶がしたかったが、お前の父親には感謝していると言っておいてくれ」
 追い縋るイリアに、アルカスは言った。そのとき、庭で悲鳴が上がった。イリアの弟。すぐに思い立ったアルカスは、イリアを押し退けるようにして階下に急いだ。
 遅かった。散歩に出かけたのが、間違いだった。もっと早く、気付いてもよかった。気付くべきだったのだ。だが、もう遅い。トラブルは、起こってしまったのだった。


    to be continued
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