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Tear of the Hearts
〜泪 零れるとき〜

とねりこの木の丘越えて
銀色鳥舞う湿原抜けて
太陽煌めく砂の海 その彼方に星は降る
夢集い幸せの訪れる場所
黄金を瞳に宿す竜 高々と鳴きて星を喚ぶ
(カルク・エス先人文明の伝承歌より)


 王国歴272年。

 4つの島からなるカルク・エス大陸王国は平穏の長けにあった。
 国王の統治は国の隅々まで行き届き、野盗山賊の類はそのなりを潜め、商工の賑わいは
近隣諸国に鳴り響く程に盛況を見せていたのである。

 とは言え、その周囲までが静かだった訳ではない。
 群雄割拠、大小様々にひしめく国々は隙あらばその領土を広げようと目を光らせている。
その只中、この小国が無事でいられるのは岩だらけの海の難所に囲まれているが故だった。
 隣国との海運交易を諦める代わりに、この国は敵国との接触もまた絶ったのである。

 そうした背景を含め、ホルホス・ド・カルク一世の御世は文字通り、栄華の末を極めて
いたと言っていいだろう。

 そしてそれは、王都から遠く離れた小さな町でさえ変わらないのである。



第1章「卵」

陽の光は暖かく町を照らし、通りの賑わいは1年で最も華やかな様子を呈していた。

 クラブロウは王都ラーグランの北、カルク・エス最大の尾根シオン山脈の麓の小さな町
だった。北の外れにある事から、本来交易の他は乾いた大地に麦と幾つかの作物を育て、
後は狩りや採集をこなして静かに暮らすような場所である。
 町並みを形成するのは一種殺風景にも見える程素朴な、くたびれた石と木の建物の群で
ある。大陸でも有数の価値を持つシオンの石材、カイの樹の木材もこの町ではありきたり
な建材でしかない。勿論商品として出回る物と違いロクな細工も加工もされていないが、
だからこそ町並みは偉ぶらなくて庶民的である。

 むしろ夏のクラブロウは素っ気ない建物よりも、そこに集った人間に目の行く町だった。
 だだっ広い通りの両脇には即席の天幕がひしめき合い、色取りどりの果物や花、食べ物
を扱う店がひっきりなしに呼び声をあげる。

 農民なら収穫期を終え、狩人なら獲物を売り捌いた夏の北部の住人は、行商人にとって
格好の上得意だった。商人はここぞと品を並べて稼ぎを蓄え、懐に余裕のある住人たちは
僅かに叶う贅沢に一時胸を弾ませる。

 まさに夏の北部は、1年で一番華やかな時を迎えていると言って間違いないのである。

「‥‥ふう」
 スーリア・エルラントは通りに面した小さな店からその往来を眺めていた。

 彼女が座った小卓には、紅い飲物が注がれた陶器が鎮座している。茶を扱う専門店なの
だから何の変哲もない光景ではあるが、本来北部で育たない紅茶は極度の嗜好品である。
活気に湧く季節とは言え、冒険者風の少女が嗜む姿は、かなり目立つ。
 彼女にも無論、安い品ではなかった。ただ暫く倹約しなくてはならない為、敢えて少々
の贅沢に自分を慰めているのである。

「はあ‥‥」
 冷めた紅茶の一滴まで飲み干し、スーリアは進退窮まったとばかりに深く嘆息した。

 思えば世間知らずを承知した上の旅だった筈だった。だが現実は言外に厳しく、装飾品
も1つ消え2つ消え‥‥もはや腰の巾着さえ空になって久しい。

 南に向かって大きくとられた採光窓からは、夏色に染まるシオンの絶景と蒼天を望める。
旅の初め、彼女は故郷と趣を異にするこの空に解放感と希望を見る想いだった。だが今は
その空さえ、自分の財布を覗くのに似た空虚な感慨を抱かせるようである。

 据わった目で伝票を睨み、彼女は席を立った。



 世には冒険者ギルドなるものが存在する。荒事便利屋に近い無職者を束ね統率し、無法
を戒める為に南の商業都市が共同投資して始めた協会がその元締めだ。
 傭兵の口入れから、世俗の面倒事請け負い、手配された賞金首の逮捕など様々に依頼は
集まる。協会はそれぞれに合った人材を派遣し、仲介料を取る事で次第に成長して行った。
 スーリアはこの冒険者を目指して単身南の町からこの辺境へ足を延ばしたのだった。
無論組織として樹立してしまった以上、ギルドも『冒険者』として登録する為に幾つか
の条件を設けている。

 1、22才以上で健康な男女。
 2、王都、商業都市、水上都市、遺跡都市、地方に於いても手配履歴のない者。
 3、1・2の条件を満たし、ギルドの技術審査に合格した者。
 4、それ以外で王城や地方騎士団の推薦を受けた者。
 5、それ以外でギルドが認めた役員会の推薦を受けた者。

年齢16。幼少から習った剣の腕に自信はあっても、彼女は登録できるまで6年間待た
なければならなかった。とは言え、普通ならぐっと我慢して堪えればいい。夢見る年頃に
待つ身の6年は長いが、待って待てない時間ではなかった。
 だがスーリアにはその6年を待つ余裕がなかった。一身上の事情を抱える彼女には、 
『5』番目の条件を満たすしか、もう方法が残っていなかったのである。



 気がつけば彼女は寂れたボロ宿の前に立っていた。見守る間にも傾きが大きくなってい
るのではないかと疑いたくなる安普請である。路地裏にある事もあって、表通りの賑わい
も遠く、余計に侘びしさを感じさせられる。

「背に腹は‥‥変えられないもんね」
 不本意ではあったが、知らない場所ではなかった。ぶつぶつ言いながらも彼女は敷居を
潜り、主人に部屋を尋ねて2階に上る。

 いつ来ても気分の悪くなる建物だった。立地条件の悪さが崇って陽は差さず、おかげで
昼間から獣油のランプを使う羽目になる。更に不幸だったのは、生まれ育った場所が豊か
だっただけにスーリアに獣油の強烈な臭いに対する免疫がなかった事だ。
「うーっ、何れこんら臭いガマンしへられるのよー」
 湿気とスス、埃でドロドロに汚れた壁に触らないよう、スーリアは慎重に慎重を重ねて
歩かざるを得なかった。

 しばらくしてその歩みは止まった。目的の部屋の前である。
 ただ、ノックする為には不気味に黒光りする戸を叩かねばならない。仕方なくスーリア
は鼻を摘んで息を吸い込み‥‥声を張り上げた。

「サールーアーくーん! わらひ、スーリア。ひょっろ話らあるんらへどっ!」
 我ながら情けなくなる声に、彼女は泣き出したいような空しさを感じた。とは言っても、
プライドを守る為だけに得体の知れないネトネトに触れるよりはマシかもしれない。
(でも、どっちもどっちよね‥‥)

 程なく扉が開く。吹き込んでくる風の冷たさと爽やかさに、彼女は無心に深呼吸する。

「よう、そろそろ来ると思ってたよ」
「エ‥‥何で?」

とにかく入れよ、と言って彼は引っ込んだ。

 遠慮がちに彼女が足を踏み入れると、部屋の様子は思った以上に清潔だった。手入れも
掃除も十二分に行き届いた部屋である。床板に至っては、廊下とは木材が違うとしか思え
ない程、板目の色が明るい。

 ベッドに腰掛けて微笑みながら、彼‥‥アレク・サルアは手近な椅子に座るよう促す。
余りの手際の良さに拍子抜けする思いでスーリアは背もたれのない小さな椅子に腰掛けた。

相手に自分から話す意志がないのを感じて、スーリアは意を決して話を切り出した。
「‥‥まず聞かせてくれない? 何で私が来るってわかったの」
「だってお前、師匠の出した課題絶対取り違えてるからさ」
「取り違えてるって‥‥じゃあなた本気で『竜の卵』なんてもの存在すると思ってるの!?」
 驚いて声を張り上げるスーリアの様子にも、アレクは笑ったまま答えない。

 スーリアがこの少年と出会ったのは、町外れの小屋の前だった。3カ月程前だろうか。
ギルドに登録しようと頼った老人が、まず彼女に『ある物』を探すように言ったのである。
それが『竜の卵』であり、それをスーリアは何かの符丁か暗号だと解釈したのだった。

 以来、それらしい物を見れば片端から買い上げて老人に持って行ったのだが、それらは
ことごとく老人の『駄目じゃ』の元に却下され、その為スーリアの財布はどんどんと小さ
く圧迫されて行ったのである。残ったのはガラクタばかりだった。

 そんなある日、アレクが現れたのだ。同じくギルドに推薦してほしいと言う彼に、老人
はやはり『竜の卵』を持って来いと言った。しかし何故か彼は焦る様子もなく、スーリア
の奮闘をからかうように見守っている。何1つとして彼が物を持参した事はなかった。

「『竜の』なんて名前のついた物、それこそ星の数程あるからな。あの爺さんが幾ら偏屈
だって言っても、不可能な事は言わないと思ったのさ」
「絶滅種の真竜を見つけて、その卵を持ってく方が不可能じゃない!」
「爺さん『何の』竜かは言わなかったよ。翼竜でも蟲竜でも、竜の卵ならいいんじゃねえ?」

 黒髪に黒い目。アレクは鼻が低く肌は白く、典型的な北部生まれの顔立ちである。愛敬
のある笑顔は端目には可愛らしいと言えない事もないが、今スーリアに向けられている顔
は根っからの皮肉と喜色で染まっていた。

(頭来るなあ‥‥何よ針ネズミみたいなツンツンの頭しちゃってさ‥‥)
 確かにアレクの頭は、額に巻いたバンダナより上は見事に天に向かって逆立っている。
どうやって整髪しているのか、はたまた寝癖か生来の物なのか判然としないが目立つ事に
変わりはない。ただそれさえも今はスーリアを馬鹿にしているように見えるのであるが。

「‥‥眷族って言ったって素人が立ち向かえるレベルじゃないわよ。大体蟲竜の卵なんて
売れもしないわ。何に使うのよ」
「さあ、俺は爺さんじゃないし。ひょっとしたら食べるかもね」

 気分が悪くなる。快活に笑うアレクを前に、スーリアは血の気が引く音を聞いたような
気がした。しかしふと、少年の表情から笑みが抜ける。急に真顔になった彼は頬杖をつい
て天井を横目に見上げると、ぼそりと呟いた。

「ま、どうせ難題の上に無茶なのは変わらないけど‥‥俺の勘じゃあの爺さん‥‥」

不意に背筋に寒気を感じて、スーリアは唾を飲んだ。アレクの瞳が同年齢とは思えない
程剣呑で冷徹に光っているのが恐ろしくもあったが、何より言葉の先が気になる。

「追い払おうとしてるな、俺たちを」
「嫌われた‥‥って事」

 少年は瞼を閉じて頭を振ると、鬱陶しそうに眉をしかめた。

「多分逆だろ、それなら最初から話を振ったりしないさ」
「じゃ‥‥竜を倒して卵を奪える程強いなら、推薦してもいい‥‥って事?」

 無言ではあったが、少年の沈黙は明らかに同意を示している。スーリアは暗くなる展望
を振り払うように声を荒げた。理不尽だと怒る気持ちと、募っていた焦りが同時に涙腺を
脆くさせる。

「そんな‥‥それじゃ意味ないわ! 6年待つ余裕がないから頼ってるんじゃない!」
「‥‥早死にさせるよりマシ、と思ってるかもな。少なくとも『竜殺し』になれる腕なら
子供だったとしても安心して送り出せる」

 愕然とすると同時に、納得できる部分もあった。最初から追い払うつもりでいたから、
ツテもなく現れたアレクにも彼女と同じ課題を出したのだ。消沈してうつ向いたスーリア
の耳に、暖炉で爆ぜる薪の音がやけに大きく感じられた。

 不意に、欝な空気を嫌ったのかアレクは急に不安を吹き飛ばすように声高く哄笑した。

「イイ爺さんじゃねえか! 少なくともあれだけ言い切った以上、子供だろうが何だろう
が卵さえ持ってきゃギルドに推薦してくれるんだ、御の字だぜ」

 闘志に燃えるアレクの表情はそれまでの笑顔ではなかった。愉しんでいるのは同じだが、
それ以上に挑戦的で、不敵な意志の強さが滲み出している。見ているだけで発憤したのか
スーリアの目は見開かれ、瞳が熱に浮かされて輝き出す。

「希望はあるさ。ところで、お前の事だから金策の相談にでも来たんだろ? 取りあえず
それから片付けようや」

 頷いて、スーリアはアレクの話に耳を傾けた。頬を紅潮させた彼女は、もう何の警戒も
なくアレクに相談を持ちかけられる気分になっていた。


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