勇者と魔王〜嗚呼、魔王も辛いよ…〜




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第27話 『聖歌の谷の神』





『聖歌の谷』


シーラ 「聖歌の谷、この世界でもっとも清らかな場所と呼ばれている場所です」
シーラ 「北側の大陸で中央に位置し、勇者の山と隣接し、人は全く住んでいません」

アルル 「ねぇ、なんで聖歌の谷って呼ばれているの?」

シーラ 「歌声が谷を吹く風に流されてやってくるからです」

エド 「歌声が?」

シーラ 「ええ」

レオン 「それで聖歌の谷ね」

俺たちは再び山岳地帯を歩いていた。
東の国では色々変わった強力なモンスターが多かったがいい加減慣れてきた。
俺たちも結構強くなってきたってことかな?

レオン (とはいえ…そんな悠長なことを言っている時間は無い…)
レオン (もう北側も半分なのだ…勇者の山の頂に登った時、魔王城が見えるというが…)

フッ…。

レオン 「ん?」

突然、真っ暗になる。
太陽は真上、まぁここは峡谷だから左右は山だが…。

レオン 「上…なっ!?」

アルル 「レ、レオン、あぶなー!!」

突然、真上から剣を構えた何かが落ちてきていた。
背中に翼が見える。

レオン 「うおおおっ!!」

俺は身を翻して、咄嗟のことから回避する。

アルル 「い、一体何!?」

エド 「な、なんだぁ!?」

容赦なく振りぬいてきた謎の敵。
謎の敵は着地した時の屈んだ姿勢からゆっくり立ち上がると。

? 「見つけたぞ、勇者!」

レオン 「な…き、君は…?」

立ち上がったのは黒い翼が背中から生えた、特徴的な少女だった。
身長は160センチそこそこ、右手に変に湾曲した片刃刀を持ち、腰にやたら仰々しい大きな剣も差されている。
服装はシン国のもの…つまり着物と袴なのだが…。
ただ、シン国で見たときは男性と女性で着物が違った、いわゆる振袖というやつだが。
この少女、なぜか男物の着物を着ている。

? 「やぁや我こそは九十九の守一女、黒羽!」

エド 「…あんだって?」

アルル 「つくものかみのいちじょ、くろは?」

黒羽 「此度現れたのは、汝の命頂戴したい!」

突然、現れた少女はそういうといきなり鼻先に変な剣を突きつけてくる。
思い出した…シン国の剣だ、たしか刀。

レオン 「ちょっと待って! 君翼人種でしょ!? どうして俺を!?」

黒羽 「我が一族に怨みととってもらおうか」

レオン 「う、怨みって…」

黒羽 「貴様、勇者ということは南側の人間であろう? この翼を見てまだわからぬか!?」

レオン 「翼…あ、まさか…」

シーラ 「…カラスの民…」

アルル 「え? え? な、なになんなの?」

エド 「やべぇな…こりゃ和解できないか…?」

アルル 「ちょ、一体なんなのーっ!?」

黒羽 「知らぬか、ならば教えてやろう」
黒羽 「我は翼人種の一種、カラスの民」
黒羽 「我ら翼人種はその翼の美しさ、希少性からかつて南側の大国サーディアス王国にて奴隷用に密猟、売買が行われた」

アルル 「ど、奴隷って…」

黒羽 「我々翼人種は翼人族とは名乗れない、それは我々が種族として認められる立場に無いからだ」
黒羽 「今ではすでに絶滅種とさえ言われるほど数が少なくなった我々だが、ここにちゃんと生きている…貴様個人に怨みはないが我々翼人種の怨み、もらってもらおう!」

レオン 「……」

アルル 「ね、ねぇ…あなた、仲間は…?」

黒羽 「僅かながら様々な民が散り散りになりながらも生きてはいる…だが」

アルル 「だけど?」

黒羽 「我々カラスの民は特にひどい扱いを受けた…不吉な翼を持つが、南側の人間に似ている容姿ゆえに」

レオン 「君が怒る理由はわかる、そして密猟や売買を行っていたのは十数年前だが当時大臣をやっていた、国の役人だからな…」

エド 「うちの国の恥だわな…」

黒羽 「カラスの民はもう我一人かもしれない…だからこそ、一族の敵をとるため、まず南側の希望たる勇者に死んでもらう!」

シーラ 「あなた…今が勇魔大戦の時と知っていて戦うのですか?」

黒羽 「それがどうした、そんなもの我には関係ない、私怨に見境があると思うか?」
黒羽 「勇者、腰の物を抜け、貴様も無残に死にたくはないだろう」

レオン 「…く」

俺はフランツェを抜いて構える。
しかし…。

レオン 「…だめだ、俺には戦えない…」

黒羽 「なら…死ね!」

ガキィン!!

レオン 「…だけど、それもできない…俺は魔王を倒さないといけない、それまでは…死ねない」

黒羽 「言っただろう、そんなもの関係ないと!」

俺は少女の刀をいなして返す。
それで少女の体は流れて動く、俺はその隙に距離を置く。

黒羽 「く!」

アルル 「ど、どうする〜? どうすればいいの〜?」

エド 「レオンの今の器量なら問題ない相手だが、レオンが戦えない、防戦一方だとまさかもありえるぞ?」

シーラ 「く…言っても聞いてくれる相手ではないし…」

レオン 「君は、その手に血を塗ることをどう思うんだい」

黒羽 「もはや後戻りはする気はない、たとえ悪鬼修羅と呼ばれようとも!」

レオン 「そうか…」

俺は更に距離を離す。

レオン 「君がそこまでの意思があるのなら…」

黒羽 「?」

俺は自らの首にフランツェの刃を当てる。

アルル 「レ、レオン…なにを…?」

レオン 「俺の命で君たち翼人種の怨みが満たされるとは思わない…だけど、これで少なくとも君の怨みが果たされるのなら…」

黒羽 「言っておくが…自害したからといって私は今の行いをやめるとは限らんぞ?」

レオン 「でも、君のような女の子に殺しは似合わないよ」

黒羽 「! な、なにを…」

レオン 「黒い翼…不幸の象徴っていうけど、俺は綺麗だと思う…じゃ!」

俺は刃を動かす。

黒羽 「! 待て!」

ザシュ…ツ…。

刃が首の皮を切る…そして血が首を辿る。

黒羽 「気が変わった、自害されると面白くない」

レオン 「…」

黒羽 「とはいえ、戦う意思のないお前を殺しても面白くない」
黒羽 「今は見逃してやる、だが、お前を…いや、お前ら南側の人間を許すわけではないからな」

レオン 「ありがとう…でも…」

エド 「でも?」

レオン 「もう少し…早く止めて欲しかったな〜…」

ブシュウッ!!

アルル 「うっわぁぁぁ!? 首から血が噴出したー!!」

エド 「思いっきり頚動脈切ってるじゃねぇか!!」

アルル 「シーラさん、か、回復ー!!」

シーラ 「レ、レオンさん、しっかり!!」

レオン 「お花畑が見えます〜…」

黒羽 「こいつ…天然なのか、本物の阿呆なのか…?」



…………。



レオン 「いやぁ〜、助かりました〜」

アルル 「もう〜…焦ったよレオン〜…」

レオン 「いや〜、ギリギリ寸止めが間に合わなくて」

エド 「なれない交渉術を使うからだ」

黒羽 「交渉術…?」

レオン 「いや…あれ本気だったんだけど…」

シーラ 「二度としないでください! 心臓に悪いですし、あなたは大切な人なんですから!」

アルル 「それって個人的な理由も入ってるのかな〜」

エド 「言いたいことはわかるけど、シーラさんの場合、その気もありそうだな〜」

結局、俺はなんとかシーラさんの精霊魔法で一命を取り留めた。
いやぁ…本気で天国見えたからなぁ〜。
遠くでディース様に呼ばれていた気がするよ。

アルル 「ところで、どうして黒ちゃんが着いてきてるの〜?」

黒羽 「く、黒ちゃん? 私のことか…お前たちを信用したわけじゃない、隙あらばいつでも殺せるように懐に潜んでいるだけだ」

エド (そういうことこの場で言うかね…?)

アルル 「…ところで、なんかだんだん山を登ってきたよね?」

シーラ 「ようやく…聖歌の谷に入りますからね」

聖歌の谷か…ここを超えると勇者の山へとはいる。
結局、時間かかったな…。

ラァ〜…ララァ〜ラァ〜…。

エド 「!」

アルル 「あ、これって…」

レオン 「歌声…」

シーラ 「聖歌の谷に住むハーピーたちが歌う、聖なる歌です」

歌が風にのって谷を駆け巡っていた。
優しくなれる、穏やかな歌だった。
風が気持ちいい…こんな場所があるんだ。
世界一清らかな場所と呼ばれるのもなんか納得する気がするな。



…しかし、この聖歌の谷に、似合わないことが起きる…。
それはもう間もなくのことだった…。



ハーピー 「セイレーン様、勇者がもうそこまで来てるッピ」

セイレーン 「…そうですか、シーラもいましたか?」

ハーピー 「はい、いましたッピ、懐かしいッピ」

セイレーン 「あの娘も私たち一緒に聖歌を歌っていたものね」
セイレーン 「ここに手はずどおりにお招きください、勇者一行を」

ハーピー 「本当に、行うのですかッピ?」

セイレーン 「これは…試練なのです、おわかりください」

ハーピー 「ピ〜…セイレーン様に頭を下げられると困るッピ〜」
ハーピー 「みんなに通達するッピ〜」



…………。



ラァ〜…ラァ…ァ…。

エド 「! あれ? 音が止んだぞ?」

アルル 「休憩かな?」

シーラ 「おかしい…あんな切り方はないはずだわ、明らかに途中で中断した感じだった」

ハーピーA 「ピー!」
ハーピーB 「ピーピー! 勇者一向覚悟ッピ!」

レオン 「へ!? ハーピー!?」

エド 「な、なんだぁ!? また襲われるのか!?」

アルル 「きゃあっ!? 今日はよく翼種に襲われるわね!」

レオン 「く…!」

黒羽 「おい! お前ら!」

シーラ 「言われなくてもわかっています! みなさん、みねうちでお願いします!」

レオン 「わかりました!」
エド 「了解!」
アルル 「オッケー!」

俺は戦闘態勢を整える。
一斉にかかってこられると敵わんが、このメンバーなら、突破できる!

レオン 「はぁ!」

ハーピー 「ピィ!?」

エド 「てぇい!」

アルル 「えいやえいや!!」

俺たちは剣の刃のない部分でハーピーを叩く。
アルルはミスルトステッキで叩いていた。

ハーピーA 「ピー! 撤退ピー!」

ハーピーはちょっと攻防を繰り返すとすぐに撤退する。
なんだ、随分とあっけないな。

エド 「あっさり逃げたが…相手も本腰いれて襲ってきたわけじゃないらしいな」

レオン 「にしても襲われるなんて聞いてなかったよ」

シーラ 「……」

アルル 「シーラさんの沈黙…意味ありげ…」

シーラ 「本来ここのハーピーの性格は温厚でとても襲うことなどありえません」

エド 「でも、勇者一向覚悟! って言ってたぞ?」

シーラ 「…これはセイレーン様に会わなければなりませんね…」

レオン 「セイレーン様?」

シーラ 「セイレーン様は…」

聖歌の谷にいるこの人間界に残る数少ない神族の一人、セイレーン。
美しい女性の上半身に鳥の体の下半身。
背中には美しい1対の白い翼を生やしているらしい。

そして、この聖歌の谷を行く者を見守る優しき神…シーラさんはそう言う。
シーラさんはかつてここでハーピーたちと共にセイレーン様の元で過ごしていたらしい。
シーラさんがこんなところで聖歌隊に加わっていたとはな…。

エド 「とりあえず、事情を確かめる必要があるな」

レオン 「ああ、一体どういうことなのか…」

シーラ 「なんだか、嫌な予感がします…」

アルル 「ところで、黒ちゃんは戦いに加わらなかったよね?」

黒羽 「当然だ、同じ翼を持つもの同士、戦うはずがないだろう」

レオン (まぁ、ハーピーも翼種の一種だからな…)

ちなみに翼種といっても色々ある。
ただ、ちょっと区別に面倒なのが鳥種との違い。
グリフォンやサンダーバードのような者や鳥人など顔から鳥と認識できるものは鳥種。
ハーピーやこの黒羽ちゃんのような鳥類ではない認識できるものは翼種と呼ばれる。
その中でも分類があり黒羽ちゃんたちを翼人種という。
ハーピーも黒羽ちゃんも分類で言えばモンスターに分類されるが、ちゃんとした知能があり、文化がある。
ただ、ハーピーは足がワシのようになっており、手が翼となっているのが特徴。
どうやってあの体形で服を着ているのか疑問だ。

シーラ (…一体、ここに何が起こっているの…?)



…………。



…あれから十数分。
俺たちはシーラさんの案内でセイレーン様のいるという祠へとつくのだった。

シーラ 「…ここです、もしセイレーン様がいるのならここにいるはずです」

レオン 「広い場所ですね」

そこは谷の上部、しかし相当の広い空間が今足元にあった。
そして目の前にその広い空間からは小さな祠が…。

エド 「…!」

祠の前に数人立っている。
ハーピーたちだが、その中央に…一人場違いな女性がいた。

シーラ 「セイレーン様…」

レオン 「セイレーン…あの人が」

セイレーン様はエメラルドグリーンの長いウェーブかかった髪の毛を伸ばし、白い純白のドレスのような服を一枚着ているだけだった。
下半身は完全に白い布に覆われており、外から見ると普通の翼人種の様にも見える。
そして背中の翼は、とてつもなく大きな純白の翼だった。

セイレーン 「お待ちしておりました、勇者一向…」

俺たちが近づくとセイレーン様の優しい言葉が放たれる。
思わず頭を下げてしまう。
でも…この人の周りには俺たちを襲ってきたハーピーたちがいる。

シーラ 「お久しぶりです、セイレーン様」

セイレーン 「お久しぶりですね、あれから変わったようですね」

シーラ 「はい、あなた様のおかげで私は変われました」

エド (この人のおかげ? いまいちシーラさんの過去は知らないが…)

レオン 「あの、セイレーン様、失礼とは存じますがお聞きします、あなたが命令し、ハーピーたちに我々を襲わさせたのですか?」

セイレーン 「はい、その通りです、全て私の命令です」

レオン 「…!」

シーラ 「そんな…」

瞬間俺たちに戦慄が走る。
なぜ…どうして勇魔大戦に関係のないはずの神が関与する?
一体…どういうことなのか…?

セイレーン 「あなたがたは大きな試練を越え、ここまで来ました」
セイレーン 「私はそれを労ってあげたい…ですが、それは叶わないのです」

シーラ 「どうしてですか!?」

セイレーン 「今回の魔王は歴代魔王で見ても格別に強いです、そして今回の勇者は逆に格別に…弱い」

レオン 「…!」

アルル 「よ、弱いって…」

うすうす理解していた。
俺は弱い…。
初めて魔王を見たのは…まだリアウの森でのことだ。
あの時、あまりの力の差に絶望した。
正直…まだ、絶望的な気がしてならない。
あのシーザーさんにさえ、俺は勝てないのではないだろうか。

セイレーン 「勇者の山を抜ければもう魔王城はすぐです」
セイレーン 「しかし今のままやっても勇魔大戦に意味はありません、勇者、あなたは死ぬでしょう」

レオン 「!?」

セイレーン 「ここで、私があなた方に試練を与えます、勇者一向、私は敵です」
セイレーン 「本気で戦わなければ死ぬことさえあると思ってください」

エド 「ち…わかりやすくていいがな…!」

シーラ 「エ、エドさん…!」

エド 「わかってくれよシーラさん! シーラさんにとっては恩師かもしれないが今は敵として対峙しているんだ!」

レオン 「そうだな、このままじゃ殺されるっていわれたら黙ってられないよな…」

アルル 「う、うん! アルルたちだってまだまだ強くなるんだもん!」

シーラ 「みなさん…わかりました…」

黒羽 「私は下がらせてもらうよ、ここで一緒に戦う道理はない」

黒羽さんはそう言うとその場から数十メートル下がった。
俺は再びフランツェを抜き、セイレーン様と対峙する。

レオン (まさか、神と戦わなければならないとは…しかし勝てるのか?)

かつて、神魔大戦という戦争があった。
神々と…それ以外との戦争だ。
人族、魔族、精霊はおろか、モンスターさえもひとつとなり力をあわせ我々は神々に勝利した。
結果、この世界に多く住んでいた神々はそのほとんどが神々の住む楽園へと姿を消したのだ。
そして、僅かにこの世界に残った神々…その一人がセイレーン様。
こんな小規模の戦力で、神に勝てるのか…?

セイレーン 「皆さん、お下がりを…」

ハーピーA 「ピー…」

ハーピーB 「わかったッピ…」

セイレーン様はハーピーを下がらせた。
つまり俺たち4人を1人で相手をするということか。

エド (強いんだろうな…とんでもなく…しかし、問題はシーラさんが戦えるのか…?)
エド (無理だってんなら…勝てないだろうな…)
エド 「ち! いくぞ!」

エドが切りかかる、俺はそれに次いで横から回り込んでセイレーン様に切りかかった。

アルル 「いっくよー! ファイアーストーム!」

ゴォォォォォッ!!

そしてアルルの援護魔法がセイレーン様を包んだ。
高熱の炎の嵐がセイレーン様にダメージを与える。
炎でセイレーン様の姿は確認できないがどうせこれで終わりなどという事はないだろう!

レオン 「はぁ!」
エド 「たぁー!!」

セイレーン 「!!」

ブォゥッ!!

レオン 「!?」

突然の風、セイレーン様を中心に炎もろとも全てを吹き飛ばした。

エド 「くぅっ!? くそ…!」

セイレーン 「はぁ!」

バチィン!!

エド 「うわーっ!?」

一瞬だった、セイレーン様が手を振り下ろした瞬間エドに雷が落ちた。

レオン 「!? エドー!?」

セイレーン 「余所見している暇はありませんよ!」

ビュオゥ!! ザッシュウッ!!

レオン 「ぐうっ!?」

突風が吹く。
俺は胸の皮を切られ、後ろに吹き飛んでしまう。
なんて攻撃だ…一発一発が早い上…凄い威力だ…!

シーラ 「レオンさん!」
アルル 「レオン!」

レオン 「く、くそぅ…」

セイレーン 「さて、後二人…」

アルル 「!?」
シーラ 「……」

セイレーン 「シーラ…何故戦わないのです、あなたが戦わないからみんなは動揺しています」

シーラ 「…解けよ、ネクロノミコン」

シーラさんは一歩前に出ると、書物の神器ネクロノミコンを生み出す。
あれを持ったシーラさんの力は神がかっている…同じ神器を持つ俺とはえらい違いだ。

シーラ (お願い…ネクロノミコン、私に声を聞かせて…あなたの声を…)

セイレーン 「いきますよ…はぁ!」

シーラ 「! デポテッド!」

キィン!

セイレーン様は手から再び風が奔る、しかしシーラさんの張るピラミッド状のバリアを貫くことは出来なかった。



シーラ (く…!? かつてのような力はでない…どうして…どうして今は応えてくれないの…ネクロノミコン!?)

…かつて、私、シーラはネウロと呼ばれるただの傀儡だった…。
私に感情はなく、ただゾディ・アックの命令のみで生き、そして本能のまま動いていた。
そんな中…私と一緒にいてくれたのは…一人の少女だった。
少女の名前は…ネクロノミコン。
そう…神器ネクロノミコンに宿った精神である。
少女は私に語りかけてくれた、そして色んな事を教えてくれた。
楽しいわけでもない…嬉しいわけでもない…けど苦痛でもない…。
私には感情がなかった…だからそれが何を意味するのか当時は理解できなかった。
あまりに無邪気な私は…ネクロノミコンとしか会話が出来なかったのだ。

だけど、少女はある日…私の前から完全に姿を消した。
誰にも見えないし、感じることのできない少女だけど、たしかに彼女は存在した。
彼女は…この『聖歌の谷』で…消えたのだ。

セイレーン 「雷よ!」

シーラ 「!! テラーフィールド!」

キィィィィン!!

セイレーン様の魔法、私はテラーフィールドで魔法を消滅させる。

シーラ 「ブラッドバレッド!」

セイレーン 「!?」

セイレーン様の足元から血が地面に浮かびだす。
血は雨のしずくのような弾をつくり、セイレーン様を囲むと、強酸性の血の弾丸となって全方位からセイレーン様を襲った。

ビュオオオッ!!

シーラ 「!? この風は…!?」

セイレーン 「シルフィの奏!!」

ブパァァァン!!!

セイレーン様の秘義、シルフィの奏。
ブラッドバレッドを一瞬で吹き飛ばす強力な風の魔法だが、その正体は風に乗せた音波。
セイレーン様の破壊の歌声が風に乗って無差別に襲いかかってきた。
私は防御が間に合わず、直撃してしまう。

シーラ 「う…く…」

手を地面につけてしまう。
強い…いえ、私が弱いのか。

レオン 「シーラさん!」
アルル 「シーラさん!?」

セイレーン 「…弱くなりましたね、シーラ…かつて私は全力を持ってしてもやっと相討ちが限界でした…」
セイレーン 「ですが、今のあなたは弱くなった…かつての巨大な力はもうないのですね…」

エド (弱くなっただと…今の状態で弱い!? だったら…シーラさんの本当に力はどれほどだったんだ!?)

シーラ 「…たしかに、私は人の心と引き換えに弱くなりました…今ではかつての様にネクロノミコンの声が聞こえません…」
シーラ 「私は神器に選ばれたのに…神器の声が聞こえません…」

セイレーン (ネクロノミコンの声が聞こえない…それはあの時から)

私は、かつてこの聖歌に谷にやってきた。
ゾディ・アックの命令だった。
このセイレーン様を破壊しに来たのだ。
しかし、私は激闘の末セイレーン様に敗れた。
しかし、セイレーン様は慈悲深い御方で倒れた私を助け、そして感情のない人形な私に心を与えてくださった。
だけど…心を手に入れると同時に私は大切な友とも呼べる少女を失った…。
少女、ネクロノミコンを。

シーラ (なぜ…どうして? どうしてあなたは私の前から姿を消したの?)
シーラ (心を得ることはあなたを操る資格はないということなの?)

セイレーン 「もし、あなたが神器を扱う資格をなくしたのなら、ネクロノミコンはあなたに力を与えないはずです」

シーラ 「!?」

セイレーン 「ですが、あなたはネクロノミコンの力を扱っている、それはまだ資格を失っていない証拠…」
セイレーン 「何故声が聞こえなくなったのかは私にはわかりません、ですがあなたはその力を使っているのです」
セイレーン (あるいは…ネクロノミコンはシーラに…)

シーラ 「…私も疑問に思いましたよ…」

何故、ネクロミコンの力を扱えるのか。
神器に認められたものは神器の中に眠る精神と会話することができる。
しかし、私は力は使えても会話ができない。

シーラ (まるで…レオンさんの様に)

私はレオンさんを見る。
レオンさんも私と同じく神器の中に眠る精神と会話ができない。
フランツェ…正式な名称さえもわからない謎の神器、かのルシファー様より頂いた謎の聖剣。
神器であることはこれまでの戦いでその特殊能力から十分理解できる。
あるいはアーティファクトの類と解釈することも可能だが、貫通の特殊能力や、三種の力を混ぜ合わせて使うポゼッションディザストなどの力はどんな優れた錬金術師でも付加することはできないだろう。
何故…私たちは声が聞こえないの…?

レオン 「シーラさん! 声なんて…声なんて聞こえなくたって変わらない! シーラさんはシーラさんだ!」
レオン 「力は扱える! だったら弱くなったなんてまやかしだ! 弱くなったと思い込んでいるだけだ!」

シーラ 「!? レオンさん!?」

突然、レオンさんが叫ぶ。

レオン 「シーラさんは強いよ! だけど優しいんだ! 優しさは時に詰めを甘くして人を弱くする! でもそれは決して恥じゃない!」
レオン 「誇りを持って! そして、弱くなった分を含めて更に強くなって!!」

シーラ 「誇りを…」

私は怯えていた…。
ネクロノミコンを出すのをずっと躊躇っていた。
ネクロノミコンは手元にあるのに感じることができないことが恐怖に思えた。
でも、それはレオンさんだって同じ、レオンさんも声は聞こえていない。
でも、レオンさんは弱くなんてなっていない。
私は…不安と恐怖…そして躊躇いで…弱くなった…。

セイレーン 「…できればこれが最後の一撃となるよ…ラァァ…」

シーラ 「!?」

まずい、もう一度シルフィの奏を放つ気だ!
アレを撃たれたら今度こそ危ない! それこそ命に関わる!

セイレーン 「シルフィの奏!」

シーラ 「くっ! 『アルターエゴ』!」

私は私という名の分身を三体作り出す。
ネクロノミコンの力を使い、私自身とほぼ同等の性能を持つ分身。
あまり数はだせないが、それ単体がネクロノミコンの力を有するのでスペルレイやブラッドバレッドを放つことも出来る。

シーラ 「エゴ! 皆を守って!!」

私は分身にレオンさんたちを守りに行かせる。
相手の無差別魔法、レオンさんたちには守る術はない。

シーラ 「デポデット! 私は頑なに閉ざす!」

キィィィィィィン!!

私は絶対障壁でセイレーン様の攻撃を防ぐ。
風と音が激しく鳴る。
まるで鼓膜を破りそうな高音だ。

シーラ 「ネクロノミコン、返事をしなくてもいい! 私に力を貸して!」

ネクロノミコン 『し……ら…』

シーラ 「!? ネクロノミコン!?」

今、ネクロノミコンの声が聞こえた気がした。
私の名前を呼んでくれた気がした。

カァァァァァァッ!!

そして、ネクロノミコンが激しく輝きだす。
今まで私はその力を5%の力で抑えてきた。
ここからは20%の力で戦う!

シーラ 「スペルレイ!」

セイレーン 「!? 魔力集中が速い!?」

自分でも驚いている。
いつもの倍以上の速度で魔力を溜める時間が抑えられ、一瞬のうちにスペルレイを放てた。

セイレーン 「くっ!?」

ズドォォン!

スペルレイがセイレーン様に直撃する。
威力は普段と変わらない、抑えたつもりはないが、集中が速い分通常威力のままのようだった。
しかし、スペルレイはただ単純に強力なだけの魔法ではない。
スペルレイは言霊を使用した呪いだ。
呪いを魔力の光に乗せ、直撃と同時に相手に呪いを与える。

シーラ 「はぁ!!」

ジャキン!!

セイレーン 「!?」

私は力を増やしたことで初めて使う魔法を使う。
ネクロノミコンの力で魔力の剣、ルーンブレイドを生み出し、セイレーン様の首元に剣をかざす。
チェック…メイト。

セイレーン 「…見事です、シーラ、よく自分を乗り越えられましたね…」

シーラ 「聖なる力よ、癒しの力でかの者を癒したまえ…」

私はルーンブレードを消滅させると、セイレーン様に回復魔法リカバーを使う。
セイレーン様といえど、ダメージはともかく呪いは解けない。
だけど私たち僧侶はその呪いを解く術がある、これがリムーブカース。

セイレーン 「ありがとう、シーラ、申し訳ございませんでした勇者様、そしてその一行」

レオン 「いや、俺たちこそセイレーン様のお手を煩わせて申し訳ございません」

セイレーン 「いえいえ、余計なお節介でなければよろしかったのですが…」

エド 「いや、自分たちの実力がまだまだ井の中の蛙とわかっただけで収穫ですよ」

アルル 「そうだね、まだまだ強くならないと!」

セイレーン 「今日は私たちの寝床に泊まって行って下さい、その疲れた体を癒す必要もあるでしょう」

レオン 「そうですね、シーラさんここで一泊、いいですね」

シーラ 「ええ」

私は…弱くなった…けど、それ以上にきっと強くなった。
だけど、ネクロノミコンの力は強大すぎる。
たった20%…それでも神と互角以上に戦えるほどの力を発揮する。
だけど、それゆえに使用者にも危険…だからその力のほとんどを私は封印していた。
でも、今回に限って少しその禁忌の蓋を開けてしまった。
気をつけないといけない…強すぎる力はいつかその身を滅ぼす。

シーラ (今回はネクロノミコンの声が聞こえた気がした…もしかしたらただの妄想だったのかもしれない…)
シーラ (だけど、もう乗り越えれた気がする、私はネクロノミコンと一緒に旅を続ける)

これまでネクロノミコンはどうしようもない時の切り札だった。
でも、今回の事で私はネクロノミコンへの恐怖を乗り切った。
もう、ネクロノミコンを出し入れする意味はないよね。

シーラ (今日からもう一度よろしく、ネクロノミコン…私の新たなる力)

ネクロノミコン 「……」

ネクロノミコンは何も答えてはくれない。
だけど、ここにネクロノミコンはきっといる。
だって、力を貸してくれているのは…ほかでもない、彼女なんだから。



…………。



…そして、次の日の朝。


セイレーン 「これであなたがた勇者一行は2人、試練を乗り越えました」

レオン 「二人?」

セイレーン 「一つ目はバシュラウクの森で、アルルさんの力…メキドの火が放たれた」
セイレーン 「ふたつ目は今回、シーラ、あなたが自分を乗り越え、ネクロノミコンを恐れなくなった」
セイレーン 「いずれも、大きな転機であり、そして勇者一行の大きな力の一つです」
セイレーン 「この谷を下ると沈黙の森があります、そしてそれを越えると勇者の山です」
セイレーン 「沈黙の森…ここで、また試練が待っているでしょう」

アルル 「試練…」

エド 「てーと、今度は俺かレオンの試練か?」

黒羽 「あるいは両方…」

レオン 「…試練か」

俺たちは眼下に広がる森を見る。
リアウの森やバシュラウクの森に比べれば遥かに小さな森。
半日もかからず勇者の山までたどり着けるだろう。
だが、そこに試練が待つという。
その試練とは…一体何なのだろうか。

レオン 「さぁ、みんな行こう!」

エド 「おう!」
アルル 「うん!」
シーラ 「はい!」

レオン 「黒羽さんも行こう、それともここに留まる?」

黒羽 「着いていく、まだお前を見極めるには早い」

レオン 「見極める…か」

俺はみんなを確認すると前を向き、谷を下って沈黙の森へと向かった。








To be continued



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