はしがき
 この作品は、あくまで著者の個人的見解、哲学で書かれた創作である。これが真実であるとは、間違っても思わないようにお願いします。
 後書きも用意するので、そちらの方もお読みください。



    0:プロローグ

 ――その日、私は考え事をしていたと思う。
 そりゃあ、私だって二十歳の女の子だし、色々悩みもある。物思いに耽ることだってしばしばあるさ。
 でも、自分が今何をしているのかさえわからないなんてことは、一度もなかった。
 ――そして、我に返った時にはもう遅く、私の目の前にトラックが迫って来ていたのだった…。

    1:夢の花

 「やあ」
 ……。
 …ここは…どこだろう…。
 気がつくと、私はお花畑の真ん中に突っ立っていた。
 今目が覚めたはずなのに、既に立っている。不思議なこともあるもんだ。
 「……なんで、こんなところに?」
 「やあっ」
 呟いてみても答えが返ってくるわけはない。
 「無視するなよお…」
 とにかく、じっとしていても始まらない。少し歩いてみようかな。
 と言っても、辺りをキョロキョロしてみたところ、ここには花畑しかないようだが…。
 「コラア〜! 呼んでるだろおっ! 返事くらいしろお!!」
 「……」
 「なんで黙ってんの?」
 …浮いてる。なんなんだこの生き物は。
 実際気付いてはいたが、幻覚及び幻聴だと思ったので敢えて無視していたのだが。
 「気付いてたでしょ。なんで返事してくれなかったのおっ」
 …だってさ、図体はずんぐりむっくりで、耳が頭の上に三角に尖ってて、頬が人間でいう耳の位置まで裂けた口からは牙が覗いてて…。
 んで、矢印のような尻尾の先に、蝙蝠のような翼。身長は私の膝くらいまでしかなく、宙にプカプカ浮いて(飛んでいるという意味だ)いる。こんな生き物を見つけた時、人はどういう態度を示すだろう?
 きっと、私がしたように、何も見なかったことにし、さっさとこの場を立ち去ろうとするに違いない。が、私は立ち去る前に、不幸にもこの生き物と目を合わせてしまったのだ!
 しかし、このデザインはどこかで見たことがあるような気がする。
 「あんた…何者?」
 奇妙な生き物を見てしまった興奮と、あまりの現実から遠く離れた世界に、私は戸惑っていた。
 「オイラ?」
 なんかその一人称似合ってる…。似合い過ぎて笑える(そんな呑気なこと言ってる場合ではないが)。
 「オイラはチビデーモンだ」
 そうだ。ミニデーモンに似てるんだ、舌は出してないが。などと思い出しながら、そいつの自己紹介を聞いていた。
 そいつは妙に胸を張り、得意そうに話す。
 「この世界に来た死者を導く仕事を任されてるんだぞ。えっへん」
 ふ〜ん…
 …ん?
 「え? ちょっと待って…。何を導くって? シシャ?」
 聞き間違いかな? 何が何やらさっぱりわからない。
 「死者だよ。…死んだ人って意味」
 「死者が死んだ人だってことは子供でも知ってるよ! そうじゃなくって…」
 「何?」
 キョトンとした顔で私の目を見るチビデーモン。
 「……ちょっと待って。少し頭の中整理する」
 そう言うと、私は腕を組んで考え始めた。物事を考える時は目を瞑ることが基本である。
 ええと、…まず、ここは、お花畑。よね? うん。確かにそうだよ。お花畑以外はすべて暗闇みたいに真っ黒だけど。
 ………。
 …まあいいか。
 次に、…チビデーモンと名乗る謎の生き物。
 ………。
 …夢かな?
 普通、まるで暗闇の中にお花畑を作ったかのように思わせるための、手の込んだ冗談なんて、するわけないよね…? しかも、こんな変な生き物までいるし…(喋るし動くから人形ではないことは確かだ。っていうか飛んでるし…)。
 てことは…もしかして、私、本当に死んじゃったってこと…なのかな?
 「なんでェ〜っ!?」
 「わっ!」
 「私死んじゃったの!? ねえっ! どして!?」
 「おっ、落ち着いてよ! ちょっと! 痛いって!!」
 気が付くと私はチビデーモンの肩を両手で掴み、持ち上げていた。人間で言うなら、相手の肩を掴んで、ガクガク揺らしている、といったところか。
 チビデーモンも痛がっている。いつのまにか、それほど力を込めてしまっていたようだ。
 「あっ…ごめん」
 私は慌てて手を離した。チビデーモンは首に手を当てて咳き込んでいる。
 ――なかなかかわいいやつかもしれない、と私はのん気なことだが思った。
 こうして涙目になって苦しがってる姿が、まるで子供のそれのようで…。とても悪魔とは思えない(そう思わせるための手段で、後で食べられるかもしれないが、なーんてことはまさかないだろう、うん)。
 「ちょっと待ってよ……キミ、日本人だよね? 名前はなんていうの?」
 彼――と言っていいのかどうかわからないが――は私に訊いた。まだ涙目なのがかわいいとこだ。
 って…今なんつった?
 「キミって言った? ――ねえ、あんたいくつよ?」
 「えぇ? オイラはまだ子供だよ」
 紙から目を逸らさずに彼は答えた。
 「だからいくつよ」
 「えっと、人間のトシで換算すると、…ちょうど、十歳かな」
 「子どもじゃん」
 てか、見た目そのまんま。私の膝まで身長ないもんね、この子。って、膝くらいの身長ったら一メートルを遥かに下回るから、幼稚園児以下、となるとこだけど…。
 「むぅ…キミに言われたくないぞ」
 「私、二十歳なんだけど」
 ちょっと得意げに言って見たりする。が。
 「またまたあ」
 と、まるっきり信用されていない…。
 「ホントだってば。――ほら、耳にピアスしてるでしょ。子供はしたらいけないのよ」
 どういう理屈かわからないが、とにかく子供はピアスなんかしていないのは確かなことだ。
 「ん〜。でも、こないだ来た小学生の結奈ちゃんも、確かピアスしてたよ」
 「………」
 結奈ちゃんが誰かは知らないが、まったく、最近の小学生は何を考えてるのやら…。って、それをさせる親も親か…。
 「それにキミ、背はいくつ? オイラよりは高いけど、結奈ちゃんと同じくらいじゃないの?」
 「……百四十四センチ…」
 「…センチの単位がちょっとわかんないけど…低いんでしょ?」
 た、確かに低いしよく中学生に間違えられるけど…。それにしても、この子、…人が気にしてる事を、ズケズケと…よくも……。
 「とにかく! 私は二十歳なの。お姉さんと呼びなさい」
 「え?」
 なんでお姉さん? とでも言いたげに、チビデーモンが不思議そうに訊き返した。いや、つい勢いで…とは言えないじゃないか。
 「私の方が人生の先輩でしょ。年上の人に対しての礼儀よ」
 と、言うことにしておいた…。
 「…ここはオイラたちの世界だよ…」
 「てーことは私はお客さんじゃない。もてなしてよ」
 もてなしとは言い過ぎだが、もう引っ込みがつかなくなってしまったのだ。
 「んん…わかったよぉ…」
 困った顔で悩んだあと(そう、チビデーモンには表情があるのだ!)、彼はしぶしぶ頷いた。が、そのあとこんなことを呟いた。
 「こんな強引な人初めてだよ…」
 「何か言った? チビデーモン君」
 キラ〜ンと目が光り私が睨むと(?)、彼は慌てて
 「いえ何も!!」
 と、頭と両手を振った。
 その姿が妙におかしくて、私は声を出して大笑いしてしまった。年頃の女の子が…と思うかもしれないが、私はそういうのはあまり気にしない性分で、楽しい時には笑い、悲しい時には泣くことができる、至って普通の、正直な女の子だ。と、自分で言うのだから本物だ。
 「あはは、ほんと、人間みたいな仕草だからおかしいよ」
 「え?」
 人間みたいだからと言ったのが嬉しかったのか、彼は頬まで裂けた口をいっぱいに広げて微笑んだ。
 「――あ、でもオイラ、チビデーモンが名前じゃないんだ」
 「……は?」
 さっきチビデーモンって名乗ったじゃん…。
 「チビデーモンっていうのは、まあ種族みたいなもんで、オイラにはオイラにしかない、別の名前があるんだよ」
 「ん〜。犬でいったら秋田犬とかコリー犬みたいなもん?」
 「簡単に言ったらそういうことかな。犬と一緒にされたくないけど」
 なるほど…。じゃあチビデーモンに対してデカデーモンとかっているのかな…。
 「いないよそんなの」
 「…聞こえた?」
 「聞こえた」
 なんて耳がいいんだろう。その尖った耳は伊達じゃないってことか(?)。
 「んで、その、あんたにしかない名前ってなんなの?」
 そう問うと、チビデーモンはいやに胸を張り、そしてこう言った。
 「青山」
 「はあっ!? 何それぇ?」
 「……なんかその反応ちょっと癇に障るな…」
 ったってねえ…。普通『青山』っていったら街の名前か、人の苗字よ。
 「名前で青山ってのは変過ぎるよねえ…」
 「声に出てるよお姉さん…」
 あ…。
 「青山って名前はね、昔来た女の子につけてもらったんだよ」
 自称青山くんが、いや、自称ってのも変か…。まあ、とにかくチビデーモンが遠くを見つめて語り始めた。
 ってまた女の子かい…。
 「その子の苗字が青山だったから。ホントはその子の名前を付けようと思ったんだけど、オイラは男の子だからね。似合わないってんでその子の苗字をもらったんだ」
 ああ、そうですか…。良かったですね…。
 「ちなみに金髪の女の子につけてもらった名前は『ジャニアス』なんだけどね」
 そしてチビデーモンは少し照れたように俯き、
 「ジャンって呼んでもいいよ」
 「青山なんでしょ」
 この生き物は、何を考えているのかさっぱりわからない。
 名前なんかどうだっていい。今大事なことを思い出した。この生き物があまりにユニークなので、今まで忘れていたというより、思いつきもしなかった。
 「そんなことはどうでもいいから、いいかげん私が死んだ理由教えてよ」
 こんな呑気に普通の会話してる場合じゃないんだよ。だいたいこのチビデーモンがなんのために今私の前にいるのかもわかってないんだし…。
 「話ふってきたのお姉さんなんだけどね」
 と、ボソッと私に聞こえるくらいの声で呟いた…。
 私もわかってるけどさ、自分が我侭だってことくらい……。
 「えっと、お姉さんの死んだ理由だったよね」
 なんかリュックサック(!)から紙切れを束ねたリストみたいな物を取り出し、パラパラめくる青山くん(そう呼ぶことにした)。
 へえ、それに死んだ人の名前書いてあるんだ。しかも死因まで…?
 「そう言えば、お姉さん名前は?」
 ペラペラめくっていた手を止め、青山くんは私に訊ねた。
 「井元香恵よ」
 井元香恵井元香恵…と呟きながら青山くんは再びリストをペラペラめくり始めた。
 「なんだ、私の名前わかってたわけじゃなかったんだ?」
 死んだ時に、私の目の前に現れたのは青山くんの方だったじゃない。私の名前と顔がわかってたから、彼は私の前に現れることができたのではないのか?
 それとも私が、私の担当である青山くんの前に現れたのだろうか。
 「え? どうして?」
 私が聞くと、青山くんは私の顔には目もくれずリストに目を落としたまま訊ね返した。
 「いや、別に…ふとそう思っただけなんだけどね」
 わざわざ説明するのが面倒くさかったし、別にどうでもいいことに思えた。
 私は辺りを見渡した。
 やはり、周りには何もない。足元にある花畑。それ以外の空間には私と青山くんだけしか存在しない。その花畑にも赤黒かったり、灰色だったりする暗い色の花が咲いていて、とても天国と地獄の狭間の世界とは思えなかった。どっちかっていうと地獄に近いイメージが強い世界だ。
 「ねえねえ、なんでここには私と青山くんしかいないの?」
 亜空間で、死者が必ず通る世界なのだったら、必ず私以外にもこの世界に人間はいるはずだ。それなのに、私の周りには誰もいない。これは一体どういうことだ?
 「いや、そこら辺にいっぱいいるよ」
 やはりリストからは目を離さず彼は言った。
 「そこら辺って…? どこにいるの?」
 キョロキョロと見渡す。が、やはり誰もいない。やはり花が咲いているだけ。風も吹かなければ花が揺れることもない。
 「よく見てごらんよ」
 じィ〜っと目を凝らして見る。
 「…何も見えないじゃん」
 「なんでよ。そこに白い煙みたいなの、見えてないの?」
 私が青山くんの方を見文句を言うと、とうとう青山くんはリストから目を離し、私が見ていた花を指差した。
 …白い煙?
 「ああ、これ? そういえば、これって何?」
 確かに気付いていた。
 だって、おかしいじゃん。花畑はわかるけど、なんで花の付け根、つまり地面の方から煙がたってるの?
 燃えてるわけないしね…。
 「それだよ。それが人」
 と青山くんは当然のように言い、またリストの方へ視線を落とした。
 「だから、なんでこれが人なのよ? ただの煙でしょ?」
 「この世界に煙なんかあるわけないよ。それは、人の魂だよ」
 「たっ、魂!!?」
 それは驚いた…。
 魂か……。へえ…話には聞いたことあるけど、まさか本当に魂というものがあったなんて…。
 「え、でもさ、なんで私には肉体があって、これは魂なの?」
 当然の疑問だ。なぜ私には肉体があって、この誰のともわからない魂には肉体がないのだろ。
 もしかして、生きていた時の行いの良し悪しとか? 日頃の行いが良かった私には肉体が与えられてるのかもしれない。私は常に人のために行動してきたからね。自分で言うんだから間違いない。
 「自分以外は全部魂に見えるんだよ」
 ………。日ごろの行いは関係ないようだ。
 「え? どゆこと?」
 私がそう訊くと、青山くんはまたリストから目を離し、私にこう説明してくれた。
 「んーとね、お姉さんがここにいるでしょ? で、隣りにオイラがいるよね? もしオイラも人間だったとして、ここに死者として存在するとします。すると、お姉さんからは、オイラは魂だけの存在、つまり白い煙のように見えるんだよ。で、オイラからはお姉さんがただの白い煙に見えるんだ」
 「……と、いうことは?」
 「お姉さんは自分の肉体があるように見えて、オイラはただの白い煙にしか見えないんだけど、オイラは自分の肉体が見えて、逆にお姉さんの肉体は見えずに白い煙としてしか見えない、ということだよ。――わかる?」
 「なるほど…。自分の姿は肉体として見えてるけど、他の人からは白い煙にしか見えないってことだね?」
 「そうだよ。だから、隣りの、あの白い煙、そう、今お姉さんが見つけたその白い煙。本人は自分の肉体が見えてるんだよ。逆にあの魂からすれば、お姉さんは白い煙にしか見えていない、ということ」
 「なるほど、自分だから自分の肉体が存在しているように見えるけど、実際はみんな魂だけの存在でこの世界にいるっていうことなんだね?」
 「そうそう、そういうこと。よかったよお姉さんが物分りのいい人で」
 と、青山くんは笑顔を見せた。といっても元から笑顔という表情がお面のように貼りついてるんだけど、それでもなんとか口調から表情が読み取れた。
 青山くんはデーモンのくせに喜怒哀楽が非常に分かり易い。いや、デーモンのくせにというのは、デーモンとは恐ろしい悪魔であるという先入観があるから、どうしても、こう失礼な驚きがある。もちろんこれまで悪魔というものは神話や昔話に出てくるだけの存在だと思っていたふしはあるが、こうして悪魔を目の当たりにしても、信じ難い事実である。
 「前なんか、いくら言っても理解してくれない人がいたからね、あの時は本当に苛々したよ」
 と、青山くんはホッとしたように額の冷汗を拭う素振りを見せた。その、前の人を思い出して冷汗を掻いているのか。感情移入というか、臨場感いっぱいの人生を歩んでるというか…さすが、デーモンと言えどまだ十歳。そこのところは人間の子供と同じようだ。私は幼稚園でアルバイトをしていて、普段から子供達を見ているからそれがわかる。子供は何をするにも一生懸命で、他人の事にも感情移入するし、物事を自分に照らし合わせて考える。純粋なのだが、見ていて何を考えているのかわかるから楽しい。
 青山くんにもそれと同じようなことが言える。
 「それで、私の死因はわかった?」
 「あ」
 思い出したかのようにリストに目を落とす青山くん。
 やはり見ていて楽しい。目の前の事情にすぐ夢中になってしまう、こんなところが幼稚園児と同じなのだ。しかし、青山くんは現在十歳らしい。それと人間の幼稚園児の精神年齢が同じくらいなのだろうか? 不思議な世界だ。
 「え〜と、井元香恵井元香恵…」
 また人の名前をブツブツと繰り返し呟く。私は自分の名前を繰り返し呼ばれるのは不愉快に思う。私は物ではない。えっとハサミハサミ、ハサミはどこに置いたかしらねえ、と目の前のテーブルの上に置いてあるのにも気付かず必死に見当違いの場所を探す痴呆の始まったお婆さんみたいに、私の名前が繰り返し連呼されている気がしてならない。気分がいいはずがないのだ。まあ、それは私だけかもしれないが、そういうことにまったく無頓着で、無神経に私の名前をひたすら連呼するこの生き物に、私は少し敵意を感じずにはいられなかった。
 私はその間青山くんを見ているのもイヤなので、というか、自分の名前を連呼している声を聴くのがイヤなのでと訂正しよう、私はさっき青山くんから聞いた、人の魂という白く炎のようにゆらめく煙を眺めることにした。
 ここは風がないのだが、それなのにゆらめくのはどうしてだろう、と考えていた。よく見ると、その大きさは様々だ。私より高い所までゆらめいている煙がほとんどだが、私よりも小さい魂もある。ひょっとすると、大人と子供かもしれない、と思った。あと、身長も関係しているのかもしれない。だから、私の身長よりも遥かに高い位置で揺らめいているそれもあるのだと思う。
 魂に音はない。炎ならボボボ、とかジジジとか、音があるのだが、魂は空気が燃えているわけではないので音はしない。
 そもそもこの世界に空気はあるのだろうか? きっとないだろう。青山くんはこの世界は亜空間と言っていた。異次元である。宇宙と同じで、亜空間には空気は存在しないだろう。…でも、ちゃんと重力はある。なぜだろう? 私は花畑という場所で、ちゃんと地面に両足をついて立っている。しっかり踏み締めてみた。うん、やはり私はここに立っている実感がある。軽く飛び跳ねて見よう。
 ピョンピョン、と跳ぼうとしたが、なぜか跳ぶ事はできなかった。じゃあ、歩けるか? 一歩も進むことができない。
 どうなっているんだろう?
 その場でグルグル回ることはできる。私が立っているこの位置では、移動可能なようだが、どうやら歩くことはできなようだ。青山くんが先に言ったように、今は魂だけの存在ということに関係しているのか。  もし歩けるとしたら、そうか、ここに咲いた足の踏み場もないほどの花畑の花を、すべて踏み潰して行かなくてはならない。そういえば、この花はなぜ咲いているんだろう? 空気も水も、もちろん太陽さえここにはないのだ。なぜ、ここの花は咲けるのか。しかも、こんなに黒く、灰色をした…。
 それに、もし歩くことができたら、私は他の魂も踏み潰していかなくてはならないし、逆に踏み潰される可能性もあるのか。私より大きな魂がほとんどである。踏み潰される確率の方が高い。
 「ねえ青山くん」
 「なにー?」
 リストを睨みながら返事をした。まだ見つからないのだろうか。そんなに、死ぬ人の数が多いということか?
 「まだ見つからないの?」
 思ったことをつい口にしてしまう。本当は別に訊きたいことがあったのだが…。
 「うん、だって多いんだもん、これ、今日死ぬ人の名前が載ってるんだけど、日本人だけでざっと千人はいるからね」
 「千人も!?」
 そんなに今日だけに死ぬのかあ…。
 「それって、今日死ぬ人が載ってて、載ってるけどまだ生きてるっていう人もいるの?」
 「うん、もちろん。朝早くに死ぬ人もいれば夜中に死ぬ人もいるからね」
 なるほど…。
 「ねえ、魂って、なんなの?」
 「……は?」
 顔をあげてこちらを向く青山くん。口は半開きだ(といってもそれは元々耳まで裂けて、笑顔の表情なのだが)。
 「魂と心は違うの? なんでここにあるのは魂なの? 心はどこ?」
 重ねて私が訊くと、青山くんははっきりそれとわかるように、大きく溜め息をつき、こう言った。
 「どうしてそういうどうでもいいことばっかり訊くのかなお姉さんは。オイラが今一生懸命仕事をしている最中だってわかってるのに、お姉さんはそうやってどうでもいいことばっかり訊いてオイラの仕事を邪魔するんだ。そりゃ確かに気になるかもしれないよ。気が付いたら死んでいて、ここにいたんだからね。だから死者に対し、その人がなぜ死んだのかを教えるというのは立派なオイラの仕事だよ。全員が気になることだからね。だからそれに関してオイラは文句言わないよ。でもね。どうしてお姉さんはそうポンポンと質問ばっかり投げかけてくるんだい? ひとつ答えたら次の質問、それを答えたらまた次の…って。そんなこと後でゆっくりといくらでも教えてあげるから、今はオイラの仕事を先に片づけさせてよ」
 「………」
 「魂とは根本的な、普遍的な存在のもので、心とは違うんだよ。心とは、感情だから」
 「…え?」
 「これ以上はめんどくさいから後にしてよ。とりあえずこのリストには千人もの人の名前が書かれているから、せめてこれを調べ終わってからにしてよ」
 「はい…」
 私は頷くしかなかった…。
 今までの口調とは打って変わり、青山くんはピシャンと言ってのけたのだ。そのギャップが著しくて、私は戸惑いを隠しきれない。頷くしかなかったとは、私の願いを完全に拒否され、分け入る隙がなかったからである。
 しばらく私はボーっと回りを眺めていた。青山くんは相変わらずリストに釘付けだ。千人分もあるのだから大変なのはわかる。
 「ねえ、そのリスト紙を束ねてるだけでしょ?」
 「うん、そうだよ」
 相変わらず感情の篭っていない声だけが返ってくる。この生き物は普段喜怒哀楽がはっきりしていて、見ていて飽きないのだが、一旦熱中すると、何を話し掛けてもまずは感情の篭っていない声で返事をする。
 わざわざ考えなくてもわかっていることは、である。これは人間にも当てはまる。人は何かに熱中すると生返事ばかりが返って来るが、それと同じことがこのチビデーモンにも言えるらしい。
 う〜ん、なかなか奥が深い…。
 「ならさあ、それ、逆の方から私、手伝おうか?」
 すると、青山くんは動きがピタっと止まった。
 う〜ん、それもいいかも、と考えているのかもしれない。しばらくそのままだった。
 「いや、ダメだよ。これ、人間には読めない字で書いてあるから」
 「なるほど」
 使っている文字が違うと、やっぱり手伝うことはできないか。これがもし英語だったら辞書片手に読めるかもしれないけれど、丸っきり違う亜空間文字じゃお手上げだ。
 「でもありがとね〜、手伝うって言ってくれたのお姉さんが初めてだよ」
 「そ、そう? えへへ…」
 なんてちょっと照れて見たりなんかしちゃったりして…。
 「でもさ青山くん、さっきから眺めてるんだけど、同じところばっかし見てない?」
 私が見る限り、青山くんはずっとリストを下まで読み、次をめくり、下まで見、また次をめくる、という、いたって普通に見ているのだが、全部見終わって、終わったにも関わらずまた一から調べ始めるのだ。私が知る限りすでに三回は見ている。
 「う〜ん…それがね、お姉さんの名前載ってないんだよ…」
 「え?」
 「もう五回は見直したんだけどね、井元香恵なんて名前どこにも載ってないんだよ…。どうしてかな…」
 「ど、どうして?」
 「いや、だからわかんないんだけどね…」
 …さっぱりわけがわからない。私は死んだ。それでこの世界に来た。そこに青山くんと名乗る、死者を死の世界に案内するチビデーモンという生き物に出会う。その彼が持っているのは、その日亡くなる人間のリストだ。そこには、その人間のデータが載っているらしい。実際は見てないからわからないが、名前と、出身地、そして死亡時刻と死亡原因が明記されているらしいとのことだ。先にも言ったが、私は死んだ。ということは、この彼が持っているA四サイズの紙に私のことが書かれているはずである。当然だ。私は死んで、私の前に現に青山くんが立っているのだから。載っていないことが不自然なのだ。
 「うーん、ちょっと閻魔様に聞いて来るよ」
 「え、ちょっ…」
 私が止めるが先か消えるが先か、そう言った青山くんの姿はもうそこから消えていた。
 ちょっと待ってよ…こんなとこに一人置いてかれても心細いし…何より事情説明してよぉ…。
 わざわざ閻魔様のとこにいくってことは、今までにない事態が発生したってことなの…? 青山くん焦ってる様子だったし…。
 え? どういうこと? 私…死んだのにリストに載ってなかったんだから……。
 そこまで思いやってやっと、私は単純なことに気が付いた。
 「載ってないってことは…私はまだ死んでないってこと…?」


    to be continued
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