三

 「さあ、箱根山頂目指してしゅっぱーつっ」
 「箱根まで歩いて行って、夕方までに帰って来れると思ってるの?」
 う……。
 「箱根に行くんですか? 駅伝で有名な、あの箱根ですよね」
 「聡子ちゃん、箱根までは到底行けないよ。薫くんは時間の計算苦手だからああ言ってるだけで、今裏に見えてる山を登るだけでも結構時間掛かると思うのよ」
 計算苦手ってのは余計だろ?
 ――既に綾子たち三人とは別れ、俺は望月、聡子ちゃん、聡子ちゃんのお母さんと一緒に、山登りの服装に着替えて集合した。さすがに、聡子ちゃんも望月も、半袖やスカートで山登りはできないのである。
 別に道なき道を歩くわけではないのだが、虫もいるだろうし、なるべく肌を隠すべきだと、聡子ちゃんのお母さんが主張したのだった。
 聡子ちゃんは、長ズボンを持ってきていなかったらしく、望月のジーンズを借りていた。裾が長いので、折り返している。
 望月は長袖を持ってきていなかったので、俺のシャツを貸すことにした。
 「わあ、だぼだぼ」
 俺のシャツを着て、望月がはしゃいだ。
 「そりゃ、俺とお前じゃ身長も違うしな」
 袖が長く、望月の手首が出てこない。それは見ていておもしろい。しかし、山登りには危険ではないか?
 「大丈夫。何かに掴まって歩くわけじゃないんだから」
 俺たちは、一応の飲み物と、聡子ちゃんの提案でお菓子を少々持って、いざ出発した。
 聡子ちゃんのお母さんは、黙ってついてくるだけだった。口を挟もうとはしない。今更他人行儀だと思ったが、子どもたちに任せようとしているのかもしれない。
 頼りになるところをアピールしておこう。いや、特に理由はないが。
 俺は首にタオルを巻き、先に立って歩く。
 箱根関跡へ向けて、熱海峠を歩く。山頂に向かうよりは、半分以上時間を短縮できるのだ。
 「どうしてそんな、何もないところに行くの?」
 「何もない?」
 「何もないんだよね? 関所の跡を見てどうするの? 薫くんにしては珍しく、歴史の勉強するつもりなの?」
 俺にしては珍しく?
 「いや。箱根峠と言えば、あの木枯らし紋次郎さんが通ったんだ。二百年前、これから見る関所跡を、紋次郎さんが通ったんだという感慨に耽るために……」
 「木枯らし紋次郎? って、楊枝咥えた、冷たい人?」
 それにはさすがの俺も聞き咎めた。
 「冷たい人ってねお前ね、あの人にはそうなって然るべき人生があったんだぞ」
 「……でも、作り話だよね」
 「へっへーん、テメエに男のロマンがわかってたまるけえ」
 馬鹿にしたように笑うと、望月は頬を膨らませて押し黙った。
 「行きましょうよぉ、お姉ちゃぁん……」
 聡子ちゃんが泣きそうな顔で言うと、
 「うん、行こうか」
 思わず笑顔を浮かべてしまう望月。条件反射のようなもんか。
 ま、ともかく、こうして俺たちは、熱海峠を通り、関所跡を見学しに出掛けたのであった。
 うーん。しかし、わざわざ熱海まで来て何をしてるんだろうか……。
 まるで蛇がのたうつように左右に揺れる山間の道を、俺たちはひたすら歩いた。と言っても、アスファルトで舗装された道路を歩くわけではない。と言って、獣道を歩くでもない。
 雑木の中を、土で舗装された道を歩くのだ。登山用の道である。
 途中、同じような登山客と何度かすれ違った。そのたび、どちらかともなく挨拶をするのだが、彼らの俺たちに対する表情は、困惑に満ち満ちていた。
 それはそうだ。俺たちはリュックや杖などの装備をしていない。それも、およそ登山とは結びつかない服装をした、女子どもの集団なのである。まるで、近所に散歩に出掛けた地元の子どもたちのようである。
 しかし、土道を歩くというのは、都会のアスファルトやコンクリートの箱に囲まれた生活しかしていない俺たちの世代には、自然を感じさせるいい機会だった。
 左に断崖絶壁を置き、右には雑木が生い茂る狭い山道である。断崖絶壁と言うが、数十、または数百メートルも崖になっているわけではなく、急角度の斜面である。そして、そこからも細い雑木の群れが生えている。草も生い茂り、その部分の土が見えないくらいだった。
 雑木には枝が伸び、先には緑色の葉っぱが、向こう側の景色を隠している。
 俺たちは声もなく、ただ凸凹道を前に進む。足元を見ないと、躓いたりして危険なのである。凸凹道だが、上りには変わりない。段差が不安定な階段と思っもらえればわかりやすいが、それほどの急坂ではない。緩やかな坂道が、延々と伸びているのである。
 どこが果てか、わからない。標識も、ほとんどない。どこを歩いているのかもわからないというのは、人の神経を不安にさせる。せめて、左側の視界が開けていれば、景色を眺めることで気分を紛らわせることができるのに、と、俺は思った。
 みんな、息が上がっている。ホテルを出て、すでに二時間余りが過ぎている。一時間半は、ずっと歩きっぱなしだ。それも、上り坂一辺倒。
 これはまずいと思った。俺の我侭で連れて来て、あとどれくらい歩けば箱根関跡に着けるのかもわからないのだ。俺に批難が集中するかもしれない。
 「ここらで一旦休憩しようか」
 俺が言うと、皆は力なく頷いた。
 近くの木の根っこや、自然にできた路肩に腰掛ける。
 「大丈夫?」
 俺は、聡子ちゃんに声をかけた。聡子ちゃんは路肩に座り、ふうふう肩で息をしている。そんなに速く歩いたわけではないが、上り坂を休みなしでここまで登って来たというのが、体力の少ない聡子ちゃんにはきつかったのだろう。それは、俺以外は皆そうなのだ。俺は男だからいいが、他は皆女性なのだった。
 俺は聡子ちゃんに、持参の烏龍茶のペットボトルを渡した。
 「望月、大丈夫か?」
 木の根っこに腰掛けている望月に近付きながら言った。望月も、肩で息をしている。だぼだぼのシャツや顔が、まるで水を浴びたように汗でびっしょりになっていた。
 俺は手に持ったタオルで望月の顔の汗を拭いてやった。
 「あ。ありがとう……」
 望月は照れたように笑った。
 「ごめんね薫くん、ちゃんと洗って返すからね」
 シャツのことだろう。こんなときにわざわざ気にすることもないのだが、これが望月という幼馴染みの長所なのかもしれない。
 「おばさん、大丈夫ですか?」
 「まだまだ大丈夫よ」
 おばさんひとりだけ元気だった。そう言えば、学生時代山岳部に所属していたと、聞いたことがある。今の俺たちより現役を退いたおばさんの方が体力があるということか。
 太陽は木の葉に遮られて降り注いではこない。しかし、風もまた、吹いてこないのだった。
 じっとしているだけで、汗が滲み出る。蝉の声が、まるで降り注ぐように聞こえてくる。性質の悪い耳鳴りのようだ。
 その時、上から下りて来る数人連れの登山客の姿を見つけた。
 「こんにちわ」
 と、もう現役を引退した六十過ぎのおじさんたちが言った。
 「あ、すいません」
 と、俺は先頭を歩く白いベレー帽を被ったちょっとお洒落なおじさんに声をかけた。
 「箱根関跡は、まだ先ですか?」
 「ああ、それならもっと上ですよ。三十分くらい歩いたところにあります」
 そのおじさんは、涼しそうな笑みを浮かべて答えてくれた。なんだ。俺が言うのも何だが、最近の若者は体力がないのか?
 「まっすぐですか?」
 「ええ。一本道です」
 俺はおじさんに礼を言った。数人の登山客は、坂道を下りて行った。
 「あと三十分くらいか……」
 俺はちらと聡子ちゃんと望月の様子を見た。聡子ちゃんはまだ座っているが、望月はもう立ちあがっている。
 今は、十一時三十分。そこまで行って、やっと半分なのだ。それからホテルまで帰らないといけない。
 「聡子ちゃん、大丈夫?」
 訊くと、聡子ちゃんは俺が渡した烏龍茶をラッパ飲みしてから、
 「はい、大分落ち着きました。大丈夫です」
 と言って立ち上がった。
 ペットボトルを受け取り、俺たちは出発した。
 おじさんの言う通り、三十分ほど上ったところに、『箱根関所跡』と書かれたプレートが立っている、少し円形に開けた場所に着いた。
 「ようし、ちょっと休憩にしよう」
 俺が言うと、皆はダラ〜っとしたように、その場にしゃがみ込んでしまった。もちろん、聡子ちゃんのお母さんは立っているが。
 「記念写真撮ろうぜ」
 俺が言うと、今まで座り込んでいたふたりは元気に立ち上がり、俺の許に駆け寄ってきた。
 ……何なんだろうね、このふたり……。
 俺たちは、通りすがりの青年にシャッターをお願いし、関所跡の看板の前で写真を撮った。
 その後、ジュースやお茶で喉を潤し、さて、帰るためにもうひと踏ん張りするか。と、みんなで来た道を逆に下って行った。
 上りと違い、下りは楽でよかった。自然、足の運びもスムーズになる。それでも途中一度休憩し、焦らないように一歩一歩踏み締めるようにして歩いた。それなのに、聡子ちゃんが転倒するというアクシデントに見舞われた。足首を捻ったようで、思うように歩けない様子だった。
 俺が、背中におぶってあげることにした。
 汗でシャツが肌に貼りついているのが気持ち悪いが、その背中に聡子ちゃんが密着することになる。汗臭いのは我慢してもらうことにする。
 「すみませんお兄ちゃん……」
 消え入りそうな声で聡子ちゃんは謝った。
 「気にすんねい。聡子ちゃんは軽いから楽だよ」
 「あ。それは私だったら重かったって言ってるの?」
 なぜか突っかかる望月。
 「別にそういうわけじゃ……」
 海岸沿いの道路に出た。ここからは、真っ直ぐ行けばホテルに帰れる。十四時二十分。予定より少し早い。いや、こんなものか。ホテルに帰るのが、だいたい三十分。
 ホテルのロビーに入ると、その直後聡子ちゃんが降ろしてくれと言った。どうやら、周りの目が気になったようだ。
 約束の時間までは、まだ間があった。俺たちは昼食を食べていないことに気が付いた。しかし、疲れていて食欲はない。それよりも、風呂に入りたいと皆が思っていた。だから、食事は抜きにして、一度部屋に戻り、露天風呂に入ることにするのだった。もちろん、混浴ではない。
 聡子ちゃんのお母さんが、聡子ちゃんの捻った足首をマッサージすると言っていた。さすが、そういう訓練も昔やったということ。それに、夜の縁日のためにも、今少しでも楽にしておかないと、せっかくの祭りに参加できないなんてことになったら後悔して諦め切れるものではない。ここは、地元ではないのだ。滅多に来る場所ではない。余所の土地の縁日を、誰もが楽しみにしているのだった。
 皆と別れ、俺は部屋入った。着替えを持ち、大浴場に向かう。
 「はぁ〜あ、極楽極楽……」
 湯船に浸かった時思わず口走ったので、慌てて口を閉じる。
 しかし、無理もないだろう。往復五時間も歩いたのだった。それも、後半の十五分以上は聡子ちゃんをおぶってである。我ながらよくやったと誉めるべきだ。
 足をゆっくり伸ばし、脹脛を揉む。明日筋肉痛になっても困るのだ。
 「うあ〜……。泳ごっ」
 誰もいないのをいいことに、俺は湯船の中を平泳ぎで泳ぎ回った。水の中で泳ぐのとは違って、お湯は温かい。筋肉が緊張しないのである。
 結局一時間近く風呂に入っていたことになる。とりあえずホテルの浴衣を着て、部屋に戻る。汗が引いたら、私服に着替えるのだ。それまでは、浴衣でいい。涼む、という目的もあるのだった。
 部屋の中でぼうっとしていると、駄目だ、眠くなってくる。俺は隣りの部屋に遊びに行くことにした。
 七〇五のチャイムを鳴らす。しかし、いつまで経っても返事すらなかった。
 まだまだ時間はあるが、ロビーに降りて待ってようと思い、俺は私服に着替えた。

 夜。約束の時間にホテルのロビーで集合した俺たちは、半日会わなかっただけで日焼けした顔がお互いに目に付いた。
 それを笑い合いつつ、俺たちは揃って縁日の会場へ向かう。電車で一駅揺られたところの神社での縁日である。人も、かなり大勢いた。
 「聡子ちゃん、足大丈夫?」
 比較的楽そうに歩く聡子ちゃんに、ほっと胸を撫で下ろしながらも念のため確認する。
 「はい、大丈夫です。お母さんが、お風呂で揉んでくれたんです」
 と、笑顔で答えてくれた。
 「無理しないようにな。あ、それと、逸れないように気をつけなよ」
 「だ、大丈夫です」
 聡子ちゃんは、気合いの入った引き締まった表情で応えた。
 しかし、人の流れは激しい。まさに、雑踏という感じだ。縁日だからと言って、田舎なのにこんなに人が出てくるとは思っていなかった俺は、少々たまげている。
 海沿いに広がる道路を歩き(ここらへんは熱海のホテルと変わらない)、内陸に入ったところの大きな森林公園が、そのまま神社の所有地らしく、今は提灯やら何やらで飾り付けされている。
 森林公園に入ると、道を挟んで左右に広がる森林との間に、出店を構える露天商が軒を連ねている。
 焼きとうもろこし。いか焼き。たこ焼きにポップコーン。お好み焼きやフランクフルト。
 食べ物以外にも、金魚釣りやヨーヨー釣り。仮面を売っている出店もあれば、輪投げ、射撃で景品を当てるものもある。
 人の熱気。子どもたちの声。
 浴衣を着た客や、半被にねじり鉢巻きをした出店の主人たち。懐かしい。これこそが、縁日の姿である。
 公園の真ん中の方で、笛や太鼓の音が鳴っているのが聞こえる。スポットライトが照っているのがわかる。しかし、人の肩越しにはそこは見えるものではなかった。
 「さあて。最初は何をすんべかな」
 吉田が、きょろきょろしながら言った。気合い充分である。
 気持ちは俺にもわかった。なぜか、この縁日の雰囲気というやつは、心を躍らせる魅力がある。自然、笑顔が零れるのである。
 「おい勝手に動くな。逸れたら見つけるの大変だぞ」
 さっそく焼きとうもろこしを買いに行った吉田の背中に、俺は言った。
 「ええやん、ウチも食べる」
 綾子も駆けて行った。綾子と手を繋いでいた穴山さんも、自然着いて行くことになった。
 「私も食べようかな……」
 望月も行った。
 なんだなんだ。みんな、片っ端から味見して周るつもりか?
 「お兄ちゃんは食べないんですかぁ?」
 何時の間にか聡子ちゃんまで行っていた。何? 俺だけ残ったの?
 「もちろんいただきます〜」
 言うと、俺も屋台へ駆け出した。
 三十分もすると、俺たちはただの騒がしい高校生と化していた。
 「よっしゃあ、次は射撃行くぞオラァっ」
 なぜか喧嘩腰である。
 「真田、勝負!」
 俺は吉田とふたりで銃を構える。狙いは、聡子ちゃんの見舞いのために、聡子ちゃんの好きな熊のぬいぐるみ。吉田の狙いは、FG(ファーストグレード)ガンダムのプラモデル……。
 どちらが先に目当ての物を射落とすか。それが勝負なのである。
 「よしっ、俺の勝ちっ」
 銃口から飛び出したコルクが、立ててある景品を倒したらゲットできるというルールである。
 俺が撃ったコルクが、見事熊のぬいぐるみの眉間を直撃し、後ろに倒れたのだった。
 おじさんから受け取ると、
 「はい聡子ちゃん、足怪我させたお詫び」
 手の平サイズのぬいぐるみを、聡子ちゃんに差し出した。
 「えっ?」
 聡子ちゃんは驚き、
 「おおっ?」
 「カオちゃんそれはもしかしてっ」
 「あ、愛の告白……?」
 顔を真っ赤にした穴山さんが戸惑った。こんな大勢の前で……という意味なのだろう。
 「だから足を怪我させたお詫びだってば」
 「ほんと?」
 なぜか、望月の顔は険しかった……。
 「わあ、ありがとうございますっ、大事にしますね」
 聡子ちゃんは嬉しそうに、それを両手で包み込むようにして胸に抱いた。
 「でも、どうしてお兄ちゃんが謝るんですか? こけたのは私のドジのせいですよ?」
 「いや、そもそもは俺が関所跡を見たいって言い出したから起こった事故じゃん。だから、まあお見舞いも込めて」
 「お、お面があるぞ」
 吉田が騒ぎ始め、屋台に近寄った。結局、奴はデーモン小暮のお面を買っていた……。
 それからも俺たちは、屋台を回り、ヨーヨー釣りや輪投げをやった。
 綿菓子を食べていた聡子ちゃんの口の周りは、べとべとになっていた。それを舌で一生懸命舐め取る様子は、まるで小学生のようで笑えた。
 俺の頬についたたこ焼きのソースを、望月が指で掬い取ってくれた。その指についたソースを、望月は舐める。何となく照れてしまう光景だった。
 吉田は、かき氷をかっ込んで、しかめた眉間を指で押さえた。かき氷は急いで食べると、頭がキーンと痛くなるのである。
 真ん中のステージで行われる盆踊り大会に、綾子が参加した。穴山さんの腕も引っ張ったが、穴山さんは、
 「あたしはいいよ、踊れないし……」
 と言って辞退した。運動は得意だが、ダンスは苦手らしい。盆踊りは、ダンスとは違うのだが……。
 周りの年寄り連中の中で、たったひとりの若い娘。目立つなと言われても目についてしまう。元々綾子は美貌とスタイルで目立つ存在なのである。
 ギャラリーからは、綾子に声援が贈られていた。綾子は、体育祭で見せたような輝く笑顔を、ここでも見せてくれた。生き生きと踊り、汗が生きているかのように舞った。
 縁日はこれで終わりではない。しかし、聡子ちゃんの足が心配だったし、一応一通りは見て遊んだしということで、そろそろ帰ることにする。
 充分楽しんだ俺たちは、帰り道も大いに騒ぎながら歩いたものだった。
 少々遅れがちの聡子ちゃんだったが、望月が手を繋ぎ、そして、みんなが聡子ちゃんの歩調に合わせて歩いたので、誰も逸れることはなく、無事にホテルに帰り着くことができた。
 「じゃ、おやすみ」
 綾子と穴山さんが部屋に入る。
 「お兄ちゃん、おやすみなさい」
 と、聡子ちゃんはぬいぐるみを自分の顔の前に上げて、熊の手を振らせた。
 「ああ。おやすみ、聡子ちゃん」
 「おやすみ薫くん」
 望月は俺に手を振った後、聡子ちゃんを促して、部屋に戻った。
 二泊三日の、熱海の旅が終わりを告げようとしていた。
 充分、楽しんだ。海で泳いだし、山にも登った。予定外の縁日にも行ったし、充実した二日間だった。
 みんなも、楽しんでくれたようだった。元々は、俺は女四人の中で気苦労ばかりするんじゃないだろうかと心配していたのだが、ほとんど不安などなく、楽しく過ごすことができたじゃないか。
 やはり、来て良かった。今回の旅は、楽しかっただけじゃない。
 穴山さんが、水泳も得意だということがわかった。綾子の盆踊りを踊っている姿が見られた。聡子ちゃんは足首を捻挫させてしまったが、おんぶしてあげることができた。望月とは、花火の時に抱き着いてしまったんだったな。
 みんなとの想い出が、俺の胸に刻まれた。忘れることは、ないだろう。
 「おやすみぃ」
 俺は誰にともなく言うと、部屋の電気を消した。吉田は、既に高鼾を掻いていた。


    to be continued
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