黒の閃光
    一:山賊

 遥か彼方へ続く田園風景。それを眼下に見つめ、黒いマントで首から下を覆い隠した十五、六歳の少年が、遥か地平線の彼方まで延々と続く景観に目を細めている。
 小高い丘。ここからだと、村に近づいてくる者が、敵が、手に取るように分かる。田園に続く土道を歩くしかないのである。少年の背後、丘を下ったところに村があり、さらにその背後には、切り立った崖がある。といっても向こう側に谷があるのではない。崖の下から、上を見上げる形に、崖が、そびえ立っているのである。
 全身黒ずくめの少年は、春の日差しをいっぱいに受け止めていた。
 全身まっ黒だと、今のような日中の時間では暑いくらいなのだが、それでも少年は暑いということを感じさせない、どこか人形のような冷たさをその風貌に漂わせていた。
 腰に剣を挿しているが、あまり強そうなイメージは、その風貌には見えない。まだ幼い顔立ち。肌の色も白い。黒くきれいな髪が、その肌の白さに際立って見えた。一見旅人風だが、この日焼けをしていない肌の色を見ると、どうやら丘のすぐ裏にある崖の下の遺跡の村の人間かもしれなかった。
 「お〜い、ジードぉ〜っ」
 遠い背中の向こうから聞こえてきた声に振り向くと、赤髪の少年がこちらに向かって大きく手を振り、丘を駆け上がってくるのが見えた。
 「……なんだ」
 ジードと呼ばれた黒ずくめの少年は、その幼い顔立ちとは逆に、低く、冷静な声だったが、赤髪の少年を見る眼差しは優しかった。
 「はあはあ……ちょっと待って」
 赤い髪の少年は、ジードの前に立ち止まると、ひざに手をつき乱れた息を整える。
 ジードは微かに口元をほころばせ、しょうがないなあ、とでも言うような調子でため息をついた。走ってきたくせにのんびり息を整えているところを見ると、そう急ぐ用事でもないらしい。
 「おーっ、いい眺めだねえっ!」
 落ち着いた赤毛の少年は、背筋を伸ばし、ジードが見ていた地平線の彼方まで続く田園風景を目の上に手をかざして眺めた。太陽がまぶしいのである。
 「ジードはこの丘からの眺めが好きだもんねー」
 「ああ……風も気持ちいいしな」
 「だよねー」
 少年はジードを振り返り、
 「僕もよくその木の下で昼寝するよ」
 と無邪気な声で言った。今ふたりが立っている場所のすぐ横に、全長三メートルほどのそう大きくない木が一本だけ立っている。今は枝を精一杯横に伸ばし、緑色の輝くような葉っぱをつけ、暖かい春の風に揺れていた。その木の下で、木陰で眠るのが気持ちいいのだった。
 風に揺らぐ木の葉の音。木の葉が揺れて、その間から降り注ぐ陽光。目を閉じていても、その明るさはそれとわかる。春の平和な一時である。
 「おいおいファルク、お前そんな話がしたくてわざわざ走ってきたのか?」
 しびれを切らしたように、ジードは自分から尋ねる。
 「何か、俺に用事があったんじゃないのか?」
 「あ、いけね。そうだった」
 ファルクという赤毛の少年は照れ笑いを浮かべ、舌を出した。
 「お父さんが呼んでるんだ。何か、山賊のことで」
 ファルクは無邪気な調子で言ったが、ここで言う山賊とは、ここ何年も続いている遺跡荒らしのことである。ファルクやジードがいる村には古代遺跡があり、そのひとつに王家の墓と呼ばれる古墳がある。その古墳に遺体と一緒に埋葬されている財宝を狙って、よく山賊や盗賊の類が現れるのだ。
 そういう賊から遺跡を護るために都の王様からの命令で派遣されたのがファルクの父親である。彼が村を創り、賊の討伐も同時に請け負っているのだった。遺跡と同時に古墳も財宝も護り、且つ賊も退治しないといけない、およそ近衛騎士団には似合わない重労働なのだった。
 「わかった。すぐに行こう」
 戦の話になると、ジードの顔から笑みは消えた。踵を返すと、そのまま丘を降りて行く。
 「話が終わったらここに戻ってきてね! 昼寝して待ってるからっ」
 と、背中からファルクの投げかける声が聞こえてきたが、ジードは何も言わなかった。ジードは、国王の命令でこの遺跡に派遣されたわけではない。たまたま、この近くを通りかかった、ただの旅の傭兵なのであった……。

 「あっちぃ……」
 道なき森の中を歩きながら、ジードは少々うんざりしていた。
 森を歩くのはいい。どうせ彼は旅人だ。こういうデコボコした道なき道を行くのは、多少歩きにくいが慣れてはいる。しかし、夏の日差しというものは、旅を始めてからの毎年、苦しめられてきた。今年も、黒い皮の鎧に同色のマントを羽織ったジードに、容赦なく太陽はその熱の威力を発揮していた。といっても、森の中に日差しはそう入ってはこない。木々が精一杯に伸ばした枝、それに装飾するかのようについた輝くような緑の葉っぱが照りつける日差しを遮ってくれる。しかし、熱気だけは遮断できない。その熱が、ジードの鎧の中に汗をかかせ、それが蒸れて不快にさせるのだ。
 この時、季節は夏。相変わらずの黒装束を身にまとい、ジードは旅をしていた。
 ジードは偶然、この森を通ったのだった。
 「うわあーーーーっ!!」
 遠くで、誰かが叫んだ。気合いではなく、悲鳴だった。
 ジードは立ち止まり、目を閉じ耳を澄ます。草木の生い茂った森の中では、声が反響する。どこから聞こえているかわからないのだ。もう一度声が上がるのをじっくり待ち、方角を聞き取る。山賊でもいるのだろうか? そういえば森に入る前に立ち寄った町で、この山に山賊が出るという噂を聞いた。
 「うわあっ!!」
 聞こえたっ!
 ジードは身を翻し、声の上がった方へ駆ける。
 元々道なき獣道。そう簡単には足を運べない。
 それでもジードは走った。草木を踏み潰し、小枝にマントを引っ掛けながら、ひたすら走る。
 「だあっ!!」
 もう一度悲鳴が聞こえた。未だ声が聞こえると言うことは、やはり襲われているようだ。そして、声が止まないということは、今なお戦闘中ということか。
 悲鳴だからはっきりとはわからないが、声が幼い。ジードは思った。そして、それ以外の声が聞こえないところから、襲われているのはひとりであるということ。
 幼い、おそらく子供を相手に、こうもてこずるようでは、相手というのも恐らく強敵ではないようだ。相手も、恐らくひとりだろう。ふたり以上なら、子供ひとりを殺すのにこうまでてこずったりはしないはずだ。
 タタタタタタタタタ。剥き出しの土を大急ぎで駆ける音が聞こえた。カサカサと、靴が草を擦る音も。
 ジードは追い付いた。悲鳴を上げ、必死に逃げていたのは、やはり少年だった。鮮やかな赤毛の、十歳前後の、活発そうな少年。
 元々武器も持たず、この森で遊んでいた彼には、どうしようもない状況に陥っていた。追い駆けてくるのは、猪。それも、少年の倍以上はある、大きな猪だ。
 木陰から見ていたジードは舌打ちした。相手が山賊なら、たいした相手ではないと思っていた。しかし、敵は人間ではない、言葉の通じない獣なのだ。戦うしかない。
 ジードは腰から剣を抜き、跳躍した。
 少年は、自分と目の前にいる獣しか見えていない。自分たち以外の何者もいないと思っていた。だから、木の根に足を取られ、倒れたとき、両手で顔を覆うという、何の役にも立たない無駄な抵抗をしたのだった。いや、この動作は動物としての本能かもしれない。少しでも、衝撃を和らげようとする、防御本能……。
 一瞬、黒い閃光が走った。その刹那、猪の首が高く弧を描き、跳ね、そして赤毛の少年が転がっているすぐ横の地面にボトンと落ちた。
 ジードは着地し、剣を腰の鞘に収めた。
 赤毛の少年は、まだ自分が助かったことに気がついていない。顔の前で両手を交差させ、歯を食いしばり、注射の痛みを、そして針に刺される恐怖を必死に耐えようとしている子供のような表情でいた。
 「おい」
 ジードは呼びかけた。しかし、赤毛の少年は目を瞑ったまま、歯を食いしばっている。
 するとジードはおもむろに息を吸い込み、
 「わあっ!」
 「うわあっ!!!」
 ジードが少年の耳元で大声を張り上げると、やっと気がついたように少年は驚いた。
 ジードはニヤニヤしながら少年を見下ろしていた。
 といっても、決してここまで怯えきっていた少年の臆病さを笑っているわけではない。ただ、自分が笑うことによって、少年が自分は助かったんだということに早く気付かせてやりたかったのである。
 少年はただ口を大きく開けて放心している。自分がなぜ生きているのかわからないといった、きょとんとした表情だった。もしかしたら、目の前にいるこの男は、あの猪が変身した姿なのではないかと思っているのかもしれない。
 もしくは、目の前でニヤニヤ笑っているこの男が、猪に化け、自分に死を覚悟させるだけの恐怖を味わわせたのではないかとも考えた。
 しかし、後者は違う。ぎこちない動きでゆっくりと首を横に向けると、さっきまで自分を追い掛け回していた化け物の首が転がっていたし、男の背中の向こう側には、胴体が横たわっている。
 『助かったんだ!』
 赤毛の少年の全身を稲妻が貫いたような衝撃が襲い、文字通り気が抜けたように、少年はフッと気を失ってしまった。
 少年が目を覚まし、上体を起こすと、目の前に黒装束の男が木の根にもたれ、高い空を、木の枝のわずかな隙間から見上げているのが見えた。もう陽は傾きかけていた。
 「よう。気がついたか」
 これが少年の、落ち着いた気持ちで初めて聞いたジードの声だった。それは穏やかな、心を癒すような優しい声だった。
 この赤毛の少年がファルクである。
 このことがあり、ファルクはジードを尊敬のまなざしで眺め、これ以来ジードにぴったりくっついて歩くようになるのだった。
 目を覚ましたファルクは、早速ジードを父に会わせたいと考え、お礼を兼ね、グローバー遺跡のある自分の村へ連れて帰った。ジードは先を急ぐからと遠慮したのだがファルクは聞き入れず、半ば強引に引っ張り、命の恩人を村へと連れて帰った。
 「そうか。君が息子を化け猪から…」
 ファルクの父フォルスは、満面の笑みでジードを迎え入れた。
 フォルスはこの年四十歳になっただろうか。壮年というには若い、まだまだ現役の筋骨逞しい武人であった。そのフォルスが、彫りの深い眉を八の字にゆがめ、日に焼けた浅黒い顔を崩し、真っ白い歯を覗かせて豪快に笑っているのだ。
 豪傑。その一語に尽きる。
 「よし。その猪の死体を取りに行かせよう。今日の晩飯だな」
 フォルスは顎ひげをさすりながらムフフと笑う。どうやらこの村では、猪を食うことは滅多にないらしい。確かに、この村は町から離れている。間に森があり、余計に距離を感じさせるのだが、この森が道なき道、獣道となっているので普通は誰も寄り付かない。完璧に隔離されているのだ。
 と言っても村八分にされているわけではない。この村には古代王朝の遺跡があり、その中には今でもかなりの財宝が収納されているらしい。だから、それを護るため、間の森には道を造っていないのだ。
 この財宝を、山賊や盗賊、遺跡荒らしから護るため、フォルスは派遣された。そして、この村を、小さな村だが、フォルスと、その部下たちで創ったのだ。屈強な男たちが守る村。そう、森を隔てた向こう側の町の人間に呼ばれている。
 道なき道を行くのは危険である。野生の動物が住んでいるのだから、いつ何時襲われるかわからない。だから普通の、一般人は通らない。いや、通れない。
 だがそうなると、フォルスたちの食事はどうするのか。森を抜けないと町には行けない。村には食料などあるはずもない。自分たちで獣を狩るか、森に入り木の実を採るしかないのである。
 しかし、フォルスたちは自給自足の生活を楽しむためにこの地に移り住んだわけではない。遺跡を護る為という、国王から直接受けた任務なのだ。村を離れるわけにはいかない。だから、狩りには出かけるのだが、短時間で戻ってこなくてはならない。しかしそれでは、なかなか獣には出会えないのである。確かに野生の獣はいるが、そう簡単にどこでも会えるようなものでもないのだった。森は広い。
 最近は、ずっと木の実を食べてきた。猪なぞ本当に久しぶりなのだ。元々豪快なフォルスやその部下たちは、当然肉食である。筋肉やスタミナをつけるための食事には、やはり肉が一番いい。しかし、今では木の実を食べるしかない生活を強いられている。国王の命令だから、疎かにするわけにはいかない。
 フォルスは、王の信頼が厚い。元近衛騎士団の団長なのだ。小さな頃から、王とは剣の稽古を一緒にしてきた仲である。
 フォルスの父も、近衛騎士団の団長だった。この国では、親の仕事を、そのまま子が受け継ぐというのが習慣である。王族に関係する一族は、という条件がつくが、基本的に、どこの家も親の仕事を子が受け継いでいる。
 古代王朝の遺跡という国の重要文化財を護るには、絶対的に信頼のおける人間でないと任せられない。それで、国王は、小さな頃からの幼馴染であり、忠実なる家臣であり、腕も立つフォルスを派遣することにしたのだ。国王は、フォルスとはひとつ違いで、兄のような存在である。身分は格段に違うが、フォルスも本来ならばこんな辺境の地に赴くような者ではない。近衛騎士団長というと、国軍では最大の権力者である。フォルスは、国王の命令だからこそ、こんな辺境の地にやってきたのだった。
 近衛騎士団長は、フォルスの実弟に任せているから、心配はない。
 今日、初めて、村や国王と関係のない者が、この村の皆に歓迎された。
 ジードは旅を続けている。しかし、フォルスの人柄、そして主である国王から与えられた任務をまっとうするため、この遺跡をたった三十人程度の人数で護る豪傑の姿に、ジードは震えた。元々国王と同じ宮殿の中で暮らすような人が、こんな辺境の山奥で暮らしているのだ。何不自由のない都の宮殿の生活を捨て、こんな不自由しかないような生活を続けているのである。主人のため、伝統的な家系の生業、近衛騎士団長という地位を捨てて。
 ジードは、フォルスに真の男の姿を見た。
 ジードは、しばらく、この村で世話になろうと決めた。これには、ファルクやフォルスがそうしろと言ってくれたから、ということもあった。フォルスは、この村に来てから、世俗と隔離された生活を送っていた。国王や国の情報が入ってこないのである。だから、旅を続けているジードに、話を聞きたがっていたのだ。ファルクは、単に自分と年の近い友達ができたと喜んでいるだけだったが、それでもジードを兄のように慕い、ジードが行くところ、常にファルクが着いて歩いていた。
 ジードは、フォルスに剣の稽古をつけてもらった。といっても、ジードは自分でかなりの強さだと思いこんでいたし、実際相当以上の腕前であることは確かだった。化け物のように大きな猪を一撃で仕留めたという実力は認められるし、『黒い閃光』の異名で呼ばれているのは、傭兵の間では有名なのだった。
 そんなジードが、フォルスに赤子同然に、軽くあしらわれるのだった。
 「剣の筋はいい。しかし、お前は突っ込みすぎる。攻撃が正直過ぎるんだな」
 ジードには旅の目的があったが、それを少し遅らせてでも、剣の修行をしたかった。そして、それにはもってこいの絶好の相手が目の前にいるのだ。これを逃す手はない。
 ジードは、この村に腰を据え、剣の修行に励むことにした。
 始めはジードのことを盗賊や遺跡荒らしではないかと疑っていた村の皆も、ジードと生活するにつれ、それは誤解だったと考えを改め、自然打ち解けつようになった。ジードは、いつのまにか、この村の一員として、当たり前のように溶け込んで行ったのであった……。

 ジードがその木造の小屋のドアを開けたとき、中で話し合いを続けていた五、六人の男たちは一斉に侵入者の顔を見た。誰もが険しい顔をしているが、それは何も話し合いに水を差されたから、邪魔をしたジードを睨んでいるわけではなかった。話し合いの内容に、皆が熱くなっているのだった。
 「ファルクに言われて来たんですが……何かあったんですか?」
 男たちの様子がおかしいことに、ジードは気がつき、訊いた。今までも山賊のことで話し合いはしてきたが、これほど皆が熱くなったことはない。
 何か、予想だにしなかった事が起こったのかもしれない。
 「いや、わしは止めているんだが、若い連中は山賊に対しこちらから打って出たいと言っているんだ」
 このグローバー遺跡の守護役であり、ファルクの父親でもあるフォルスが、子供のわがままを諭すような顔で答えた。
 「ほら、こないだお前らが索敵に行った時、山賊の住処らしい箇所を発見しただろう。あそこに攻め込もうと、若い連中は言っているんだ。…血の気が多いからな」
 まったくしょうがない、という言い方だった。
 「いつまでも攻め込まれるのを待っていたら、こっちの被害が増える一方ですよ! 山賊は後を絶ちませんが、こっちの人数は限られているんですからねえ」
 見るからに血の気の多そうな、若い、体格のいい男が主張した。筋肉が盛り上がり、肌は日焼けして小麦色。きれいな肌であるが、全身に傷を負っている。歴戦の勇者といったところだが、年は成人前で、まだ若い。実践の経験もほとんどなく、この遺跡の守護役のフォルスの下で働くようになってから、山賊や盗賊と戦ったことがある、という程度なのだった。
 なるほど。若い連中は、このままじっと攻め込まれるのを待っているよりかは、いっそこちらから攻め込んだ方がいいと考えているらしい。確かに、攻撃は最大の防御という言葉がある。
 「だが、我々の任務は『遺跡荒らしや盗賊の類から遺跡や古墳、そしてその財宝を護ること』だ。こちらから攻め込んでいいとは言われていない。
 つまり、襲われた場合に限り、こちらも命をかけて戦えるんだ。こちらから攻め込んでいいとは言われていないんだよ」
 と、フォルスが困ったような顔で言う。
 「だったら、こちらから攻め込んでもいいと国王様に許しをもらってくださいよ」
 別の若者が、気の昂ぶりを抑えずに、まるで叫ぶように言った。
 「相手の寝床はわかってるんですから、攻め込んだ方が早く済むでしょう」
 「それはどうでしょう……」
 それまで腕を組んで聞いていたジードが、静かに口を挟んだ。男たちの視線は、一点に集中される。
 「相手は一個師団ではないでしょう? 今まで俺も何度か皆と戦ってますが、敵の組織はひとつじゃない。複数ありますよ」
 ジードは皆の顔を眺め、続ける。
 「この間俺たちが見つけた山賊の寝床…これは岩場にできたただの洞窟ですが、あそこだけじゃ、人数が少なすぎると思いませんか?」
 すると、先ほどの若い屈強な男が動揺したように訊いた。
 「ど、どういうことだよ。人数が、…少ない?」
 どうやらこの男はあまり頭の回転が早くないらしい。思考が追い付いていない。
 「敵の組織のひとつと思われる洞窟、まあ巣とでも言おうか。その巣の規模が、小さすぎるということだな?」
 フォルスが解説するように言う。
 「人数の割に、穴倉が狭い……か」
 最後の言葉は聞き取るのが精一杯というくらいの大きさでしかなかったが、誰もが押し黙っている厳正な雰囲気漂うこの部屋の中では、針の一本を落とす音でも聞き分けられたかもしれない。
 「つまり、いくつかに部隊…いや、人員を割いてるということですか? 寝床の場所をいくつかに分けてる可能性が高いと……」
 「否定はできんな。もしかしたら我々の目をそこに向けさせるカモフラージュのつもりなのかもしれんし」
 フォルスのその言葉を聞いたとき、ジードはわが意を得たり、という顔で、身を乗り出した。
 「そうです。俺が言いたかったのもその点なんです」
 また、皆の顔がジードに向く。
 「人数が少ないだろうそんな穴倉に攻め込んだとしても、大して戦果は取れないでしょう。逆に穴倉の中に追い詰められるという危険性さえ出てきます」
 「なるほど。我々を穴倉に誘いこみ、外に待機していた別部隊で入り口を押さえる、ということか…」
 フォルスは興奮したように声を上げた。
 「そうなると我々は袋のネズミだ」
 その他の若い、攻勢に出ようと血気盛んだった男たちは、うろたえている。どうやらジードとフォルスの会話の意味がわかっていないようだ。
 「もうひとつ危険はあります」
 ジードは、もはやフォルスの顔しか見ていなかった。
 「なんだ?」
 フォルスも、ジードの顔を見返した。ふたりだけで考えた方が、遥かに話が早い。ジードはフォルスを尊敬しているし、フォルスはジードを見込んでいる。親子のような親しみと、師弟関係のような親しみと、ふたつの親しみを、ジードがこの村に住みつくようになったから、ふたりはお互いの中に感じているのだった。
 「こちらから攻め込むということは、この遺跡を空けることいなりますからね。もしあの洞穴がカモフラージュだったら、遺跡に攻め込まれるという危険もあります」
 「ああ、カモフラージュかどうかはわからんが、それはわしも考えていた。遺跡を攻め込まれたら、と思って、わしは攻勢に出るという意見には賛成できなかったんだ」
 「フォルスさんの任務は遺跡を護ることですからね」
 「ああ」
 と、フォルスは相槌を打ち、すぐに話題を本題に戻す。
 「しかし、その洞穴がカモフラージュという確信はないぞ。本当に山賊どもの巣なら……」
 「そうですねえ…もしそうなら、やっぱり見逃すわけにはいきませんか?」
 「見逃すわけにゃあいかん!」
 ダンッ! と木造のテーブルに拳を叩き付け、今まで蚊帳の外だった屈強な若者のひとりが言った。
 「目の前の敵に背を向けるなんて、そんな臆病なまねぁ俺にゃあできませんぜ!」
 その声は、今まで黙っていることを余儀なくされていた腹いせのためだったのか、口調は強かった。
 他の若者たちからも、そうだそうだという声が上がった。敵に背を向けるのは、王国近衛騎士団の恥になるのだと、自分たちだけで盛り上がり、勝手に熱くなっているのだった。
 フォルスとジードは、彼らの輝くような笑顔を見ながら、溜め息をついた。近衛騎士団ともあろうものが、戦争の話で目を輝かせる。それが武人だと言えばその通りだが、今回は護る戦をするのが任務である。与えられた任務をこなしてこそ武人というものである。もちろん任務を完遂するのは当然絶対の条件ではあるが、いつやられるのかと焦り、任務を放棄するというのは、少し騎士としての自覚は足りない。そして正々堂々と、どんな状況に陥っても心を揺らさない騎士道精神的な覚悟が感じられない。
 こういう局地戦では、焦った方が負けなのだ。
 「お前らの気持ちもわからんではないが……」
 フォルスが静かに口を開いた。その顔は、うんざりしているようにも見える。
 「しかし、全員で攻め込むわけにはいかない。村を空けると攻め込まれる可能性もあり得るからな」
 「じゃあ放っておくっていうんですかい!?」
 「ああそうだっ。小人数で攻め込むのも、当然おびき寄せるという罠が仕掛けられている可能性があるし、全員で攻め込むのは論外だ。ならば、放っておくのが一番だろう?」
 「そんなっ……」
 「わしらは王国が誇る近衛騎士団である。たかが山賊風情に取り乱すな!」
 フォルスは一喝した。が、
 「…あ、いや、わしらじゃなく我々は、だな」
 まるで山男のような暮らしを続けてきた慣れのせいか、フォルスは騎士団の団長だった頃の一人称ではなく、今の無骨な生活にふさわしい呼び方で呼んでしまい、それをごまかすように咳払いした。
 「放っておいたせいで我らの誰かが殺されるというわけではない。ただ、敵の数を減らすチャンスを逃したというだけのことだ。いちいちうろたえるな」
 「じゃあせめて偵察だけでもっ!」
 「止めた方がいいでしょう」
 と、ジードが口を挟んだ。作戦については、本来部外者であるジードには口を挟む権利はない。だからなるべく黙っていたのだが、無茶を言い出された場合には、仕方がない。言うだけは、言わせてもらおう、と思ったのだ。
 「敵がいるかいないかわからないから偵察に行く。それは道理です。しかし、もし本当に敵がいたらどうするんですか? 偵察に行ったその何人かを見殺しにすることになる。
 あなたはきっと、偵察だけじゃ済まさないでしょうからね」
 ジードは木のテーブルの上を凝視して、言った。
 「フォルスさんは俺を含め全員の命を預かってるんです。死なせるための作戦なんかとれませんよ」
 「む……」
 若い戦士はジードの皮肉めいた言い方に腹を立てたが、それももっともだと思い直し、
 「…わかりました……」
 と、フォルスに対し、小さく言った。
 「フォルスさん、俺、ずっと疑問に思ってたことがあるんですが」
 ジードがリーダーに顔を向ける。
 「何だ?」
 「どうして…殺しても殺しても、奴らは減らないんでしょうかねえ」
 その言葉を聞いたとき、フォルスは頭に『はてな』を浮かべた。ジードが何を言っているのか。よくわからなかったからだ。
 「いや、殺したら当然数は減りますよ。簡単な引き算ですからね。でもねえ……何か、ひとつの組織が、次回襲撃してきたとき、数は前回より増えてるんですよね。それか、まあ同じくらいか……。ひとりも減ってないように感じるんですよ」
 「そりゃ、…本部にたくさん兵隊がいるんじゃないのか?」
 と、横から頭のよくなさそうな若い男が言った。それを聞いて、
 「では、どうして始めから全員で攻め込んでこないんですか? その方が向こうの被害は少なくて済むでしょうし、こちらは圧倒的に人数が少ないんですから、一回で勝負が決まるんですよ……」
 とジードはさらに質問の形で返す。
 「た、確かに……」
 若者は言葉に詰まった。フォルスは、ジードの指摘に関心を持った。
 『確かに。ジードの言う通り、一気に攻め込んだ方が、我々を蹴散らすことができたろう。なぜ、そうしない……?』
 フォルスが腕を組んで考えていると、村の若い男が小屋のドアをバタンッと慌しく開け、中に飛び込んできた。ゼエゼエと肩で息をしている。村の入り口で見張りをしていた男だ。ということは、見張り台からここまで走ってきたということになる。
 「どうした?」
 肩で息をしながら、じっと険しい顔でフォルスを見る見張り台の男。フォルスが声をかけると、その険しい怒ったような顔がみるみる変わり、今にも泣き出しそうな顔になって、口を開いた。
 「山賊が、攻めて来ました…」
 ガタッ、と、椅子に座っていた男たちが次々と立ちあがった。戦である。しかし、リーダーであり、冷静だが一番血の気の多いフォルスは、まだ椅子に座ったままだった。皆、リーダーの指示を待っている。早く武器を取って来いと、命令されるのを心待ちにしながら、じっとフォルスの顔を睨んでいる。誰かが焦っていると、逆に冷静になるのがフォルスという人であった。
 「なぜ、見張り台の鐘を鳴らさなかった?」
 フォルスは目だけを動かし、見張り台の男に訊いた。見張り台には、火事を報せるためのような、敵が来たときに報せる、村全体に響くように鐘を取り付けてある。今回のように、山賊や盗賊の類が攻め込んで来た時、村人全員に報せるために鐘を鳴らす。戦の準備をしろという警告のためだ。なのに、今回の場合は鐘を鳴らさずに、フォルスの家まで言いに来た。これは一体どういうわけか…。しかし、そんなフォルスの疑問に気付かない、戦の準備を、命令を心待ちにしている周りの者は、なぜ見張り台の鐘を鳴らさなかったか、そんなことは今どうでもいいだろう、とでも言いたげな顔をし、苛立ちを隠そうともしない。
 「それが……ファルクが…」
 ファルク? ジードが顔を上げた。見張り台の男は続ける。
 「丘で昼寝をしてたファルクが…人質にっ……」
 「なんだとっ!」
 さすがに息子が人質にとられると焦るらしい。フォルスはガタンッと立ち上がった。その勢いで、椅子が後ろに倒れてしまった。周りの男たちも、さすがに驚き、見張り台の男を見た。リーダーの一人息子が敵の手中にあるのだ。これは絶体絶命と言える。
 「……行こう」
 苦しそうにフォルスは言った。顔はジードが今までに見たことがなかったくらいに蒼ざめていた。
 周りの男たちも、皆が脂汗を顔に浮かべていた。もしかしたらという、最後の覚悟を決める時が来たようだという思いが、皆の頭をよぎったのだろう。
 重い足取りで、皆は出て行った。フォルスが後に続いたが、その顔は怒っていた。
 『王国近衛騎士団長の長男ともあろう男が、敵に捕まるなどとは……』
 その体が、小屋から出た瞬間、ジードはフォルスの腕を掴み、耳元にこう囁いた。
 「相手のリーダーを生け捕りにしましょう。何かわかるかもしれない」
 「何?」
 息子のことを考えていたフォルスは、ジードが何を言っているのかすぐには思いつかなかった。が、すぐに、敵の数が減らない理由、なぜ一気に村を攻めてこないのかを話し合っていたことを思い出し、
 「ファルクが向こうにいるんだ…できるか?」
 と訊いた。
 「それでもやるしかないでしょう?」
 とジードは、むしろ楽しそうな声で答えた。


    to be continued
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