黒の閃光
    二:戦闘

 「………」
 森の中を、ひとりの少女が、額に汗を浮かべて歩いている。
 少女は、年齢十五歳前後。輝くような金髪の長さは肩にかかるほどで、首筋から三つ編みにした後ろ髪は肩に触れ、歩く度にそれが左右に揺れた。少女の額に垂れた前髪が、汗でぴったり貼り付いている。
 目はぱっちりしていて、勝気な性格だろう、それがよく表れているが、肌は白く、木目細かい。年齢にしては、体型は少し小柄かもしれない。百五十センチもないだろう。靴はブーツで、指の第二間接で切れた手袋を、両手に嵌めている。少女の、その小さな体を包む服は、七分袖のシャツの上に、皮のジャケット。そのジャケットには、ポケットがいくつもついている、冒険者用に作られた上着だった。下はスパッツで、膝上十センチほどから足首まで、素肌が露出している。そのかっこうがまず目に付いて怪しかった。こんな森の中を歩くのに、足を露出しているのだ。季節は春。虫や獣は活動を始めているというのに。それが、たったひとりで、獣が徘徊し始めた森の中を、グローバー遺跡に向かって歩いているのだった。
 少女に、手荷物はない。肩から袈裟懸けに掛けたポシェットのような小さなカバン、入れ物がひとつあるだけだった。冒険者というよりは、気ままな娘のただの散歩という印象だが、姿形は動きやすい、立派な冒険者なのであった。
 少女は、旅の盗賊である。目的は何か知らないが、放浪の旅をしながらあちこちで金品を掻っ攫っているが、その度に追い掛け回されるという、プロにはなれない小悪党なのであった。
 少女の名前はコートニー。
 盗賊団に所属しているわけではない。そういう組織に所属しておけば、奪った金品は上納し、その一部を手間賃としてもらえる。命を懸けて奪ったにも関わらず、それを没収されるというのは損であるが、盗賊団とは仲間意識が強く、街の至るところに支部があるような大きな組織では、例え顔を見知らぬ相手でも、同じ盗賊団に所属していると証明できれば、彼が捕まらないようにいろいろと手を貸してくれるのである。しかし、コートニーはどこの盗賊団にも所属していない。孤独の盗賊である。その場合、当然誰からも援助は受けられない。すべての責任は、自分自身でとるしかない。そうやって、コートニーはこれまで生きてきたのである。
 「ちっとばかし一休み……」
 コートニーはまるで誰かに報告するように小さく呟くと、頑丈そうな木の枝にピョンと飛び乗った。高さ、約三メートル。少女はその高さを、助走もなく一気に跳び上がり、まるで地上にある椅子にそうするように、枝に腰を下ろした。盗賊を続けているせいで、少女は身が軽くなった。いや、というより、身が軽いからこそ盗賊になっても生きてこれたと言うべきか。少女は、小柄ゆえ体重も軽く、それを活かした瞬発力と跳躍力がウリである。逆に、力はない。相手を組み伏すという力技はできないが、チョロチョロと逃げ回るのは得意なのであった。
 「…ふう……」
 少女は溜め息をついた。
 『…かれこれ一時間は歩き続けてるのに、まだ森を抜けらんない』
 少女は疲れがきている。これでは、たとえ遺跡を発見できても、すぐには盗みに入ることができないだろう。それにグローバー遺跡は警備が厳しいと聞く。何でも、国王の家臣、騎士団が直々に守護の任に就いているらしいのだ。戦ってはまず勝てない。少女は、騎士団の目を盗んで、遺跡に入りこもうと考えているのであった。
 「………」
 少女は、木の枝の上から、さっきまで自分がのらりくらり歩いてきた地面を見下ろした。そこには、自分が踏み締めたために折れ曲がった草が、一直線に後方から続いている。それは、少女の真下でぷっつり切れていた。
 前を向いた。ずっと、今までと同じように草も木も生い茂っている。短いのでは一メートル間隔で立っている。長くても二メートル以内にはある。木洩れ日が、光の筋を空中につくっている。
 「…そうだ」
 と、少女は何かを思いつき、パンと手を叩いた。そしておもむろに木の枝の上に立ち上がると、
 「えいっ」
 と気合を入れて、ピョンと隣りの木の枝に飛び移った。
 木の枝はカサッと揺れ、葉が擦れる音がしただけで、折れるような気配はまったくない。
 「こいつはいいや」
 と舌で上唇を舐め回す。少女は、上手く枝の上に着地できなかったが、それでも必死に枝にしがみ付いていた。あまりかっこうのよろしくない姿ではあったが、これをずっと続けていけば、地上の歩きにくい草の上をのらりくらり歩くよりは、早く森を抜けられるかもしれない。
 「よーし」
 枝をよじ登り、上に立つと、また気合を入れ、隣りの枝に飛び移る。
 「でやあっ」
 ガサッ…と、また少し揺れた程度で、成功した。今度は上手く足の裏で木の枝の上に着地できた。コツはだいたい掴めたようだった。
 少女は身が軽い。こうして、幾度も幾度も繰り返し、枝から枝へ、身軽に飛び移る。ピョンピョンピョンと、比較的スムーズに、右、左、前、と、前に向かって少女は飛び跳ねる。だんだんそのスピードにも慣れてきた。ここまでくると、地面を歩くより遥かに速い。地面とは違い、石や草などの障害物は、枝についている葉っぱ以外にはない。地面を走るよりも速い。これはいい方法を思いついた、と少女は自分自身に喝采を贈った。
 そうしていると、森の先の方が、明るく、開けているのが見え出した。その光が、飛び移る度に目に見えて大きくなる。もうすぐ、この長かった森の歩行……途中からはムササビ飛行というのだろうか、とにかく森を抜ける。
 「あ」
 もうすぐ森を抜けるとわかったために気が抜けたのか、少女はズルッと足を踏み外した。当然、少女は地面に落ちる。ドサッ、という音と共に、少女は右肩を地面に叩きつけられた。
 「いてててて……」
 打った右肩を擦りながら、少女は起き上がる。猿も木から落ちるとはこのことを言うのだろうか。二メートルほどの高さだったが、肩をしこたまぶつけたのだ。折れなかったのが不思議なくらいであるが、咄嗟の受け身が、骨折の危機から少女の身を救った。
 少女は立ち上がり、右腕は使わないように、左手で服についたほこりをパンパンと払う。
 「破れなくてよかった……。一張羅だもんね」
 と呟き、右肩を左手で押さえつつ、森の外の光の中へ歩んで行く。
 「わあ……」
 森の木々の向こう側に開けた場所に辿り着き、少女は感嘆の声を上げた。
 森が抜けたその約百二十メートル先に、村らしき集落の入り口があった。今は、その辺りに数十人の大きな体格の男たちが集まっている。その村を、少女が歩いてきた森が、その木々が囲むように半円を形作っている。
 村の向こう側に、大きな、橙色の、砂漠の砂のような、土の建造物が建っている。村の向こう側だが、その大きさはここからでもわかる。村の家々よりも、遥かに大きい。まるで遠近感を無視したような造りの遺跡なのであった。
 これがグローバー遺跡か。と、少女は思った。森を抜けたすぐにある、少女が今立っている草原からでは、もちろんかなりの距離がある。しかし、遺跡は大きかった。全長数キロはあるだろう。高さは、ここからではわからないが、二十メートルは裕にあろうという大きさだった。
 その向こう側に、その遺跡よりも遥かに高い山が見える。遺跡とは背中合わせで、接点は崖になっているらしい。遺跡は、この山の中にまで及んでいる。
 『古代王朝の遺跡とは聞いたが、いったい誰がこんな大きな遺跡で眠っているのだろう? こんな、人里離れた辺境の地に……』
 個人ではなく、一族の墓なのかもしれない、と、少女は見当をつけた。
 視線を、やや下に戻す。すると、村の入り口が見える。きっと、これが噂に名高い国王の側近である騎士団が興した村なのだろう。
 「なーんだ。騎士団ていうからてっきり宮殿並みに鉄壁の防御を敷いてるのかと思ったら…ずいぶん質素じゃない」
 少女は、額に手をかざし、村の入り口に集まっている男たちを望遠する。
 「こりゃあひょっとすると仕事が楽かもしれないわねえ」
 警戒態勢も完璧とは言えそうもない。しかし正面から行けば当然発見され、敢え無くお縄頂戴ということになる。だから、少女は、村の側面に回ることにした。
 少女は、森に入り、草に身を隠しながら側面へ回った。村の周りを、背の低い木の柵がぐるんと囲んでいた。一応の防御網にはなるのだろうが、大勢が攻め込んで来たときには、あまり役に立たないのではないか、と少女は余計な心配をし、そんな自分に苦笑する。
 村の左側に回った少女だったが、斧を持って村を徘徊する筋肉隆々盛り上がった屈強そうな男たちの姿を数度見かけていた。
 「そうは簡単にいかないか……」
 安直な考えだったと反省しながら、少女は考える。なんだあの連中は。騎士団て言うから、てっきり馬に跨って野を駆ける、上品な口髭を生やしたスマートな男たち、と思っていたのに、どう見ても技で相手を切り伏せるというような騎士道精神に則った要素はなく、反抗するものは力でねじ伏せるといった、山賊のような雰囲気を漂わせているのだった。
 少女は怖気づいた。見つかったら一環の終わりである。あんな筋肉をした男に腕を掴まれただけで、骨がバキバキと脆くも折れそうな気がした。
 ぶるぶるぶる。と、少女は身震いする。
 「でも、いつまでもこんなとこに隠れててもしょうがないし……」
 そう。少女は、別に守衛と戦うためにやってきたのではない。奴らの気を逸らせて、その隙に遺跡の中へ入りこめばいいじゃないか。
 『さーて、どうするかな……』
 「ま、とりあえず……」
 と、少女が身を低くしたまま森から出てきた時、
 「大変だっ!」
 と、村の入り口の方から叫ぶ声が聞こえた。
 ん? と思い、少女は再び草の中に身を沈める。見つかっちゃったかな、と少し不安になるが、恐らく自分のことではあるまいと楽観的に考えた。
 その後、すぐに甲高い笛の音が鳴り響いた。恐らく集合の合図だろう。音が鳴り止まない内に、村の側面にいた数人の屈強な男たちは村の入り口に向かって走り出した。
 「………」
 何が起こったのだろうか? しかし、とにかく思わぬ幸運により、見張りは誰一人いなくなったのだった。
 ガサガサと、少女は音を立てて草葉から外へ出て来た。キョトンとした顔で、少女は頭をポリポリと掻く。
 「これは、ラッキーと思っていい、の、か、な…?」
 少女は、まるで自分だけが取り残されたような不安を感じた。本来なら見張りがいなくなったことを喜ぶべきなのだが、こうも都合が良すぎると、逆に罠ではないかと疑いたくなるのがコートニーという少女なのだった。
 「あ、もしかして……」
 先ほど村の入り口付近に何人か男たちが集まっているのを見た。あれが、何かあった原因なのかもしれないと思った。
 少女は、入り口まで戻ってみることにした。不安に思っていることがあるとき、罠かもしれないと思うとき、少女は、まずは確実な安全を確認せずにはいられない性格の持ち主だった。もし、罠なら何かあるはずだ。が、逆に何もなかったら、少女は自分から敵の懐に入り込むことになるのである。何せ村の入り口には、少女には手も足も出ないほど屈強な男たちが大勢集まっているのだから。
 少女は、まず側面から、柵を越えて村の中に入った。そして柵に沿って、立ち並ぶ家々の後ろを通り入り口に向かう。
 家の壁に背中をピッタリとくっつけ、少女は目だけを覗かせた。
 『いるいる。大勢の男たち…』
 向かい合っている。片方は、村の中から外へ向けて。もう一方は、外から村の中へと向かっている。
 『お? ひょっとして山賊が攻めてきたのかな?』
 少女は考えた。これこそ好機である。こいつらが戦うのであれば、少女は誰にも見つからずに遺跡に入ることができる。戦いに夢中で、誰も少女の姿には気付かないはずだ。
 入り口の方で、双方が何やらごちゃごちゃと話し合っている。しかし、家の裏側に貼り付いている少女にはその声の内容までは聞こえてこない。このまま遺跡に向かってもいいのだが、話も聞いておきたい。本当に戦争するのかどうかだけでも確かめておく必要があるのだった。そこで、少女は、背中を貼り付けている家の屋根に上ることにした。と言っても、梯子なんかない。身軽な彼女は、一気に飛び乗るのである。屋根の上がどうなっているのかはわからないが、飛び乗ったところでまず音はしないだろう。気付かれることもないはずだ。
 ピョン、とまるで水溜りを避けるような身軽さで跳び、スタっと屋根の上に着地する。この村の家のほとんどは藁葺き屋根である。外より内側の方が少し高くなっているため、身を隠すには多少不利であった。しかし、ここなら、村の人間の真上にあたり、敵の方からも死角になっているはずである。実際ふたりの声が聞こえるくらい屋根の端っこまで四つん這いで、赤ちゃんのハイハイのように前進してきたときも、村人や敵の姿は、少女からは見えなかった。自分が見えないのであれば、相手からも見えないだろうという理屈である。
 四つん這いで前進する時、少女は先ほど木の枝から落ちた際に傷めた右肩が痛むのを感じ、左手と両足だけでは進みにくかったが、何とか前進した。
 あーいてて…。と、少女は口にしたいのを何とか抑え、屋根の梁からそっと顔を覗かせた。痛みに必死に堪えているというのは、その形相を見れば一目瞭然だった。十五歳にしてはいやに整った顔立ちをしているコートニーが、苦痛に顔をしかめている。眉が八の字になり、泣きべそをかいているように見えた。
 涙で滲んだ視界の先に、黒いマントを羽織った、全身黒ずくめの、少女と同年輩の少年がいるのに気付いた。
 「あら。結構いい男がいるじゃない」
 と、小さく口に出してから慌てて手で塞いだ。急いで、目だけで左右を確認する。誰も気付いていないようだった。痛みに悶えているようなケガ人には、あまり見えない……。
 少年のその横に、いかにもリーダー格の大男がひとり、険しい顔で相手を睨みつけている。相手も大男で、右腕に赤毛の少年の体を締め上げるように抱えていた。
 「……『ハナイチモンメ』じゃないわよねえ…」
 頭に『はてな』を浮かべて少女は考える。表情は真剣だった。
 「ファルクを放せ」
 黒ずくめの少年の横に立っている大男、フォルスが言った。
 「ふん……」
 赤毛の少年を小脇に抱えた男は、鼻ですかし、
 「だったら、そこをどいてもらおうか」
 「遺跡に入るつもりか」
 フォルスが訊く。
 「当たり前だろう? 俺たちはそれで食ってんのよぉ」
 「だったら退くわけにはいかん。わしらは遺跡を護る為にここにいるんだ」
 「おい、お前の息子の命は俺が握ってるんだぞ」
 「………」
 「お前も親なら、子供を見殺しになんてできないよなあ?」
 「…むぅ……」
 正直、フォルスは息子に死んでくれと願っていた。ここで手をこまねいていては、遺跡が荒らされることになる。王の命令に背いたことになり、フォルス以下、数十名の部下は処刑である。たとえ王の幼馴染でも、先祖代々仕えてきた家柄であろうと、それは変わらない。ファルクがひとり死んでくれれば、部下は皆生きることができるのだった。
 捕まったのはファルク自身の問題である。フォルスは、ファルクには森には入るなと口を酸っぱくして言い続けて来た。それは何の武術の稽古もしないファルクが、敵の人質になったときのことを考えての配慮だった。その言い付けを守らなかったのはファルクなのだ。ファルク自身が悪いのだ。そんな子供ひとりの不注意で、三十余名の部下の命を危険に晒す訳にはいかない。だからフォルスは、息子に、「自分のことはいいから敵をやっつけてくれ」と言って欲しいのだ。それが、親としてではなく、近衛騎士団団長としての、正直な気持ちなのだった。そしてそんなフォルスの息子だからこそ、ファルクもわかってくれているだろうと思うのだ。
 しかし、ファルクは自分が犠牲になるなどとはこれっぽっちも考えていなかった。父や尊敬するジードが助けてくれるのを、ずっと願っていた。
 「まさか……」
 藁葺き屋根の上で、少女が呟く。
 「あの男の子は『ハナイチモンメ』じゃなく人質なんじゃ……」
 と、ようやく話の筋が見えてきたようだった。
 「ムカァッ」
 と声に出して言いつつバッと立ちあがり、
 「あんな小さな子を人質にするなんて! 図体ばっかりでかくても、ただの卑怯者じゃないっ!」
 少女は懐からナイフを三本右手の指に挟んで取り出し、それをファルクを抱えている大男に向かって投げつけた。その少女の声に、屋根の真下にいた連中が気が付いた。ジードも気付き、彼女を振り向いた。しかし、その時には少女は跳躍していて、目で姿を捉えることは誰にもできなかった。ナイフをかわされた時の二段構えとして、少女は間髪入れずに蹴りを加えるつもりなのだ。
 少女は、自分も山賊と同じように、遺跡に入り、お宝をゲットしようとしているのだが、幼い子供を人質にとるという卑怯なマネが許せなかったらしい。我を忘れて攻撃に出た。
 ヒュンッと風を切る音がした刹那、ファルクを抱える大男の顔の横を、果物ナイフ大の小型ナイフが横切った。一本は、顔の横。一本は腕を微かに掠り、最後の一本はカランと地面に落ちただけだった。
 「なんだっ…」
 大男は、ナイフが飛んできた方向を見る。その刹那――
 バコッ!
 大男の顔面を、コートニーが足の裏で踏み付けた。
 「うごっ」
 少女の靴が充分顔にめり込んだ後、彼女はそれを踏み台にもう一度ジャンプし、前に空中で回転してから地面に着地した。大男の脇から、人質は解放されていた。蹴られた…いや、踏み付けられた衝撃で、落としてしまったのだった。
 「ち〜右肩がイカレてんだった…。狙いが外れちったよ…」
 と、少女はナイフが大男の腕にかすり傷をひとつ負わせただけしか効果がなかったことを残念がった。コートニーは、ナイフ投げの名人なのであるが、肩を傷めていたらせっかくの能力も活かせない。
 「でもまあ人質は助かったし……」
 後は山賊共を倒すだけね、と言い終わらない内に、誰かが剣を抜き彼女に襲い掛かってきた。
 「うわあっ」
 ビュンッ! ビュンッ! と風を切る音をいやに近くで聞きながら、少女は必死に避ける。すべてギリギリだったのは、少女の天性の勘の良さと、瞬発力のおかげだろう。
 相手は、全身黒ずくめの男、ジードだった。
 「ちょっ、ちょっとあたしは助けたんじゃないのよ! 恩を仇で返す気ぃっ?」
 口を開く余裕はないのだが、それでも開かないといつか真っ二つに斬られてしまうことになりかねないので、少女はジードに怒鳴った。
 「たまたま外れただけだろうっ!? ファルクを狙ったんだろ!」
 ジードは早業を繰り出し、少女に一瞬の反撃の隙も与えなかった。しかし、そんなジードの攻撃を紙一重とはいえすべてかわしている少女に、ジードは衝撃を感じないではいられなかった。
 間合いを空けるため、バッ! と、少女は大きく後ろにジャンプし、勢いで回転し、着地する。
 「冗談ポイっ。助けにきて逆に襲われるなんてっ…!」
 その間合いを一気に詰め、
 「奴らの仲間でない証拠はどこにもないっ!」
 と再びジードは剣を一閃させながら言った。周りは、既に乱戦になっていた。敵の山賊。遺跡守衛役の村人。
 ファルクは地面に落ちた瞬間に、さっさと村の奥の方へ逃げ帰っていた。
 さっき少女に顔面を踏み付けられた大男が、斧を持ち、彼女に逆襲してきた。
 「うおおおおおおっ!!!」
 その声は村中どころか、森の中にも響くほど大きかった。その気合だけで、子供なら腰を抜かし失禁するだろう。しかし、コートニーはそうではなかった。一瞬怖気づき、腰を抜かしそうになったのは事実だが、それでも踏み止まり、しっかり相手を見据えることができた。
 ジードは動きを止めていた。
 『この少女がもし敵なら、山賊のボスであるこいつが襲うはずがない。そして、もし少女が敵なら、なぜファルクを狙ったのか。人質は生きていてこそ人質なのだ。もしあれがファルクに当たっていれば、ファルクは死んでいただろう。ハンデはなくなるわけだし、俺たちは山賊共を生きては帰さなかったはずだ。
 すると、少女の言う通り、ファルクを助けるためにナイフを投げたのかもしれない。恐ろしくノーコンではあったが、助けようとしたのは間違いではないのかもしれない。
 …仕方がない。借りは返す』
 ジードは、コートニーに襲い掛かる山賊の頭と思われる大男に戦いを挑んだ。
 「若造が! この俺の相手が務まるかっ!」
 コートニーと自分の間に入ってきたジードに対し、山賊の頭は怒り吼える。
 コートニーは、助かった。肩で息をしながら、ジードと大男の戦闘振りを目で追いかける。ジードが助けてくれたとは、まだ思考が至っていなかった。
 「おい女! 早くどっかに行けっ! ここは女子供の来るところじゃない!」
 ジードが、目を大男に向けられたまま、剣と斧を交える格闘中に、少女に向かって怒鳴る。コートニーは突然の戦闘で、体力よりも気力を失っていた。ジードの声は、届いていない。ジードも気にしない。いや、それどころではない。目の前の敵を倒すことしか考えていない。しかも、今ジードが相手にしているのは、敵の頭である。殺してしまわないように、敢えて急所をはずして攻撃しなければならないのだった。
 ギンッ! ガキンッ!
 ジードの剣と大男の斧が交わり、鈍い金属音が響く。しかし、それも周りの雑踏や戦闘の声にかき消される。それぞれが、命を賭けて戦っているのだった。
 少女はひとり、ペタンと地面に腰を落とした。
 疲れた……と、言葉には出なかった。自分から向かって行ったとは言え、突然命のやり取りを経験し、危機から救われた。咽喉がカラカラで、舌がくっつきそうだった。まだ、手が小刻みに震えている。
 段々と、思考が甦ってきた。すると、こんなところでのんびり座り込んでいる場合じゃないという気持ちになってきた。少女はヨロヨロと立ち上がり、戦場で目立たないように、襲われないようにと家の裏側を通り迂回する。
 思考は蘇ったが、手や足の震えはまだ止まらない。今までもこういう戦場は経験している。しかしそれは盗みを働いて、追い駆けてくる兵隊に対して逃げるために戦っただけだ。本格的な、相手の息の根を止める本当の戦闘は初めてだったのだ。
 のろのろとした足取りで村を縦断し、遺跡の入り口らしき扉へ辿り着くことができた。その入り口は、異様な大きさの外観とは異なり、普通の玄関と同じくらいの大きさで、真ん中から両側へ引いて開ける形式の、俗に言う観音開きの扉だった。
 『普通古墳って中に入ることはないのだから、ドアなんかが付いているはずはないんだけどなぁ…』
 と、少女は首を傾げるが、そんなことを考えている場合じゃないので、つまりいつ誰に見つかるかわからない状況であるので、少女はとりあえずドアを開けて、中に入ってみようと考えた。
 ドアに触れると、それは硬い土や砂で造られた重々しい扉ではなく、なんと布の幕に扉の絵を描いただけのものだった。
 「な、なによこれぇっ」
 と、少女が思わず叫んだのも無理はない。きっちり扉のラインを描き、模様も描き、鍵穴までリアルに描いているのだった。
 「……ユニークと言うか大げさと言うか…」
 バッと布の垂れ幕を捲り、少女は遺跡の中を見つめた。真っ暗で、二メートル先がやっと見えるくらいだった。
 そこは、廊下ではなかった。というのは、横幅は狭いがまっすぐに伸びた道、廊下ではあるだろうが、きちんと舗装された道ではなく、壁も所々ぼっこり穴が空いていたり、崩れていたりの、人工的ではあるが掘り下げて行ったという感じの、盗掘のようだった。しかし、古代人はまさか墓を暴き財宝を奪われるなどと考えてはいなかっただろうし、誰も古代王朝の古墳を荒らそうなどと考える不届き者はいないと考えていただろう。だからこそすべての財宝をこの中に遺体と一緒に埋めてしまったのだ。捨てたのも同然である。道や、そこへ辿り着くまでの廊下などは造られているはずがない。すべて埋めてしまうから古墳というのだ。
 「なるほど……」
 少女は呟いた。どうやら、誰かがこの遺跡を荒らしたようである。その時の発掘後が、この廊下なのだ。財宝が持ち去られた後だったら、もうどうしようもないが、それならそれで諦めもつくだろう。
 少女は明かりを持っていないことに気付いた。こんな暗がりを、明かりも持たずに入るのは危険過ぎる。そこで、少女は手近な家に忍び込み、手のひらサイズの小さなランプを盗み出してきた。遺跡の入り口まで戻り、ランプに火をつけ中をそっと照らす。ボウッと、中がほんのり赤く染まった。これで何とか歩くことができる。ゆっくりと、少女はその暗い廊下に入って行った。緊張感で、もう手足の震えは止まっていた。
 この遺跡の中に、財宝はあるのだろうか? ここが古墳であるというのは、まあ入り口が盗掘であることからそう思って間違いないだろうが、罠が仕掛けられていないという確証は、残念ながらない。少女は、まずは慎重に一歩一歩進むことを心掛けた。
 壁のどこかにスイッチがあり、押すと天井が落ちてくるとか、ある地点を踏むと地面に穴が空き、地下に落とされるとか、今までにも少女は体験している。確かに王家の墓を暴くなんて不埒者がいるとは思わないだろうから、罠など仕掛けてないかもしれないが、ここよりも遥かに小さな遺跡でもそんなことがあるのだから、古代王朝の遺跡では罠が仕掛けられていないはずがない、とも思うコートニーなのだった。
 慎重に歩いて行くと、分かれ道が現れた。まっすぐ行くか、右に行くかの分岐点である。どっちも、先は見えない。ランプで照らしても、小さな炎はそんなに遠くまでは見せてくれない。仕方なく、勘を頼りに、少女はまっすぐ行くことにした。迷ったときは両方歩くというのが彼女の信条である。まず真っ直ぐ歩き、行き止まりか分岐点があればここまで戻り、右の道を歩いて行こう、と考えたのだ。時間はかかるが、確実な方法である。しかし罠があれば、確実に引っかかる方法とも言える。もとよりその覚悟の少女には、罠の危険性などどうでもいい。罠があると始めから思ってかかっているし、実際に罠があっても、潜り抜けるしか道はないのである。
 少女は真っ直ぐ続く道を選び、ゆっくりとおっかなびっくり歩いていた。すると、今度は左に曲がる道が現れた。いや、実際は、さっきの右に行くか真っ直ぐ行くかと悩んだ場所からも、この左のわき道は見えていた。しかし、おっかなびっくりとゆっくり進んでいるため、ここまで来るのに多少の時間を要したのである。
 しかし、そこを素通りする。とにかく、まずは直進から攻めて見よう、というのが、今回の少女の作戦だった。いや、作戦というほど仰々しくはない。単に、この廊下を歩いていてそうしようと思っただけだ。迷路のような、大きな遺跡の場合は、一度通った道を、それと気付かず再び通ってしまうということがある。それは無駄なことだ。それを避けるためにはどうすればいいか、目印をつけるのは手っ取り早いが、コートニーは失くしてもいい物など身につけてはいない。道を覚えるしかないのであった。
 そんな風にして、少女はずっと真っ直ぐ進んだ。緊張感から、そして密封された空間では空気の流れはなく、蒸し暑く、汗をかいている。罠らしきものは一向に襲ってこなかった。廊下は狭い。と言っても、ひとりが普通に歩けるくらいの幅はある。天井は、コートニーから見れば充分に高い。普通の成人男性が、フォルスほどの体格の男でも、自由に歩けるだけの高さが、入り口からずっと保たれている。しかし、腕を上に伸ばすほどの空間的余裕はなさそうだ。
 コートニーは、ずっと廊下の真ん中を歩いている。もし床が抜ける罠が仕掛けられていたら、落ちることになるだろう。しかし、いつでも崖にしがみ付けるように、姿勢を低くして歩いている。崖とは、床が抜けた時にできる、落ちる床の部分のことである。
 そのままの姿勢を保ちつつ、慎重に歩き進む。そうして、また半刻が過ぎた頃、ようやく少し開けた場所に出た。結局、罠はなく、ここまで来れたことになる。途中行き止まりもなかった。最初の真っ直ぐ行くか右に行くかで迷った道から、ずっと一直線に真っ直ぐ突き進んできた形になる。
 そこは、かなり広い空間だった。正方形のような、はっきりした長さはわからないが、おそらく正方形だろう。見た目には四隅が同じ距離に見える。
 だいたい五十メートル四方だろうと、コートニーは見当をつけた。
 ここは暗黒の闇ではなく、明かりが入っていた。少女から見て奥、突き当たりの天井の一部が抜けていて、そこから外の明かりなのか、太陽光のような輝く光が差し込んできていた。それが、本来は暗い闇の中であろう空間を眩しく照らし出しているのであった。
 ちょうど部屋の真ん中の、少し右よりに、棺おけなのか、直方体の石の置物が忘れられたようにポツンと置かれている。
 この部屋には、それだけしかなかった。出入り口も、今コートニーが入ってきたぽっかり空いた穴しかない。
 ここが、遺体の安置場所…。にしては、実に質素である。石の棺も、まったく装飾されていない。岩の中を刳り抜いた、そんな天然のままの岩石がそのまま置いてあるだけのように見える。
 少女は岩の棺に近づいた。形は、直方体。頭がどこを向いているのかはわからないが、少女のいる方に足か頭を向けて寝ているのだろう。石は奥に向かって長く伸びている。そのすぐ左側の床が、いやに黒い。光は奥から照らしているから、この暗さは棺の影ではない。
 その場所に着いたとき、それが何であるかわかった。隠し階段だ。普段は、恐らく石の棺で蓋をしているのだろう。そう言えば、この石は部屋の中心より少し右にずれていた。
 下に何かあるのだろうか。もしかしたら財宝はこの下に隠されているのではなかろうか。普通、棺をわざわざ動かしてまで何かを探すという罰当たりなことはしない。という心理的盲点をついているのか。
 『でも、今それが開いてるってことは、誰かが下にいるってこと?』
 少女はゴクッと唾を飲み込んだ。誰かが待ち受けているのか、財宝を盗み出そうとしているか。または、何かの罠が仕掛けられているのか。もしかしたら、少女が降りた瞬間に、棺が元の場所に戻ろうとするかもしれない。そうなると少女は閉じ込められることになる。
 少女は、下に降りる前にまず棺を含めたその周りを調べてみようと考えた。
 「…でもあたし棺の蓋を開ける勇気はないわぁ……」
 と言い訳するように呟きながら、棺の側面を調べ始めた。
 まもなく、階段の下から、コツコツと誰かが上がって来る足音が聞こえてきた。少女は瞬間的に壁際まで跳ぶように退がり、戦闘のため身を構えた……。


    to be continued
inserted by FC2 system