黒の閃光
    六:偵察

 ちょうど、ファルクがジードの病室を訪れたのと同じ頃、まだ午前中、コートニーはジェトロの屋敷、つまり国司官邸を偵察していた。
 ジードの指示ではない。彼女が、自分で勝手に動いているのである。
 コートニーとしては、動けないジードの代わりに自分が偵察に出てきたつもりでいる。ジードはジェトロとは戦うつもりはないのだが、彼女はそんなことを露とも疑っていない。怪我が治れば、次はジェトロの番だと、ジードがそう考えているものとコートニーは信じていた。
 それは、街中に建っていた。街の中心部に、まるで城壁のような仰々しい塀に囲まれて、石造りの三階建てがある。広大な敷地の中に、デンと構えるように。
 コートニーは、城壁のような塀の周りをぐるっと一周した。外壁に沿う道は狭く、そこからは建物が見えない。見上げる角度が急過ぎるというのと、塀から建物までの距離が結構離れているせいでもあった。
 塀は、ざっと見たところ三メートル。コートニーなら、何とか飛び乗ることができる高さだった。
 しかし、問題は、そこから建物までに何があるかだ。
 塀の向こう側は当然見えない。そのための塀でもあるのだ。そこから建物までにかなりの距離があることはわかった。では、その間には何があるのか、それが問題になる。何もないわけがない。絶対に、何か仕掛けがしてあるはずだ。それを見極めないと、襲撃しても玉砕することになる。
 今回コートニーが、自分で何を偵察するのかを事前にまとめておいたので、それを紹介することにしよう。考えたのは、今から約二週間前。ジャミルを倒した、その二日後だった。
 まず、敵の兵隊の数。これは官邸の中と、外の警備も含めた総数である。
 次に、塀から建物まで、どうやって安全且つ確実に辿り着くか。
 建物の中にいるジェトロの正確な位置。そして建物の中に入ってから奴がいるところまでの道順。近道があるなら、それを探す。
 敵の正確な部隊配置。どこにどれだけの敵と軍事力が配備されているのかを調査しなければならない。それを調べてから、ジェトロまでの道順を考えることにしなければ、ただ真っ直ぐ突き進むのでは無能であるとしか言えない。
 「そんなとこかな……」
 と、考えをまとめているときに呟いた。顎に人差し指を当て、天井を見上げるという子供っぽい仕草だったが、顔が幼いコートニーにはなかなか似合っている。
 それから二週間が過ぎた。出入りの業者や、ジェトロの一日の行動も、外へ出る時の用事や時間はだいたい把握できた。しかし、ジェトロはほとんど外には出てこない。
 塀と建物の間には、ほとんど何もないということもわかった。が、それは隠れる場所もないということだ。見つかれば囲まれてやられる。そして、警備兵は常時配置されていた。これではこの中に忍び込むことすら難しい。塀から建物までは、裕に三百メートルはある。しかし、その中に木や植木のひとつもない。芝生がある程度だった。身を隠す場所もなく、ほとんど潜入は絶望的であった。
 塀の正門から、建物の入り口までは、幅十メートルほどの敷石が並べられている。ジェトロが出かけるときは、この上を馬車で走るので、それだけの幅が必要だったらしい。
 「あとわかっていないのは部隊配置とジェトロの部屋の位置だけかぁ……」
 総数はわからないが、官邸の外にいる警備兵の数は、だいたい百人ほどであると、この二週間でわかった。外にいるだけで百人である。一体中には何人の兵隊が控えているのだろうか。
 そう思うと、調べなければならないと思う。
 間取りは、つい昨日、昔この官邸で働いていたという老人に会い、教えてもらった。その老人は、もう数十年も前になるが、官邸で食事の係りを務めていたという。それで、色んな場所に配置されている兵士の元へ、食事を運んだのだった。だから、今でも官邸の間取りは覚えている。
 しかし、部隊の配置は、あれから変わったかもしれないと思う。数十年も前の話である。今よりずっと兵隊の数も少なかったらしいし、当然国の事情も違った。だから、聞いても、これはあまり参考にはならないかもしれなかった。と思いつつも、コートニーは念のために聞いておいた。間取りは、変わっていない可能性が高いのであった。
 どちらにしろ、一度は官邸に入らなければいけない。確認する必要があるのだ。
 そこで、今日。コートニーは業者が持って来る荷物の中に隠れ、潜入することにした。その業者というのも、所在地はちゃんと尾行して知っている。毎日、一日二回、食料や酒を運んで来るのである。だから、その荷物の中に隠れているだけで、勝手に官邸の中に運んでくれるというわけだ。その業者は警備兵と顔なじみなのか、顔パスだった。だからコートニーも、この潜入作戦を実行に移そうと決心したのだった。
 その業者の店に直行せず、官邸にやって来たのには理由があった。一応今日の警備にいつもと違う点がないかどうかを、確認するためだった。一月も偵察しているのではない。まだ半月しか経ってないから、相手の事情を完全に把握したとは言えない。ひょっとしたら今日は何か特別な行事があるのかもしれない、ということだって充分あり得るのであった。それで、ここにやってきたが、特にいつもと違いはないようなので、コートニーはその場を離れ、出入りの食料品店に向かうことにした。
 この外壁に沿う道は狭く、人通りも少ないので、コートニーがこの二週間通ったことも、あまり目立ってはいない。それに、偵察といっても、別に立ち止まったり、中を覗きこもうとしたり、という怪しい動きは見せなかったため、コートニーを見た人は、恐らくこの近くに住む町人の娘としか見られていないはずだった。
 その道中、コートニーは考えた。あれから二週間が経つ。その間、一度もジードを見舞っていない。入院するときに付き添いで行っただけである。まあ、二週間やそこらで肋骨が繋がるとは思えないから、今はこうしてジードのために働いているのだが、今回官邸の中の部隊配置がわかれば、一度報告の意味も込めて見舞いに行こう。
 「動けないジードのために陰で動くあたし。何て健気……」
 と、道端でひとり陶酔する。ジードが動かないと言ったときの彼女の反応が、今から恐ろしい。コートニーはこれから何百いるかもわからない敵の懐に飛び込むのだ。見つかったら即斬り捨てられる。並大抵の覚悟ではない。それを、ジードのために敢えてやろうというのである。殺されれば、当然ジードにはコートニーが自分のために官邸にひとり忍び込んだなんてことは伝わらない。死んだということも伝わらない。まったくの無駄死になのであった。
 食料品店に着いた。塀がなく、八百屋のように、店頭に品物を並べる店構えだった。
 道を迂回し、店の裏側、庭に出る。そこに、馬に繋がれた荷台があり、その荷台には、既に積荷が完成されていた。直射日光を避けるためのシートを、その荷台の隅に組み立てた骨組の屋根に被せてある。
 コートニーは、その荷台の奥に入り、樽と樽の間に腰を降ろす。念のため、果物の入った箱で、前をガードする。
 コートニーは、ジードのような人間に会ったのは初めてであった。他人のため、自分を犠牲にしているような人間を、今までコートニーは見たことがなかった。親子なら別だが、友達同士、つまり他人だが、そんな他人のために死ねるかと訊かれて、死ねますなんて答える人間はいない。少なくとも今まで見たことはなかった。しかしジードは、見ず知らずのコートニーを、突き飛ばしたのだ。ジャミルとの戦いの時、自分だけ助かろうと思えば助かったかもしれないものを、わざわざ少女を助けるために、自分が犠牲になったのだ。
 その前にも、コートニーを助けるために、炎を胸に直撃させ、肋骨にヒビを入れた。これも、狙われたのはコートニーだったのだ。それをジードは、わざわざ炎の前に立ち塞がり、盾となったのである。
 だから、今コートニーが行っている偵察は、そんなジードへの、せめてもの恩返しのつもりなのだった。
 もし偵察のことをジードに話していれば、ジードに余計な心配をかけることになる。動けない自分のために、と考えることは、目に見えている。ひょっとすると危険なことはするなと、止めるかもしれない。だから言わなかった。本当にジードのためになることをしてこそ、恩返しと言えるのだ。報告は、成功したときでいい。
 コートニーは、この偵察に失敗して、死んでもいいとさえ思っていた。他人のためにここまでがんばろうと思ったことは初めてである。欲に目が眩み、他人を蹴落とすことに躍起になる人間しか見てこなかった。この世界にはそういう人間しかいないとさえ思い、絶望していたのである。だからこそ、ジードという人物に感動したのであった。
 果物や酒をいっぱいに積めた荷台に誰かが乗って来た。いつもの、店の主人である。彼が御者となり、馬を歩かせジェトロの官邸に行く。しばらくすると、積荷を全部降ろした状態で門を出る。問題は、積荷を降ろす場所だが、それはどうやら官邸の中らしい。これは見たわけではない。この前この店に果物を買いに行ったときに、目の前にいる主人に訊いたのだ。それによると、馬車は裏口へ回り、台所に入れる。その台所の隣りの部屋が保管庫になっているらしく、そこまで運ぶとのことだった。
 コートニーは、これだけを訊いたわけではない。それなら怪しまれるかもしれないと思われたので、世間話に半刻ほど付き合ったのだ。そのあと、さりげなく切り出したから、恐らく怪しまれてはいないはずだ。
 どこの盗賊団にも所属していないコートニーが、今まで生きてきた中で自然と身につけた聞き込みのやり方であった。一匹狼だとわかると、情報屋も教えてくれないことがあるので、結局自分ひとりで調べ回った方が早く、安全ということもあるのだった。
 しかし、自分で聞き込みしたからといって絶対安全といえるわけではない。やはり、ひとりで行う偵察という任務は、色んなところに落とし穴がある。不備もある。例えば、この店の主人が、実は官邸側の囮だったらどうするか。
 鉄壁を誇るこの官邸。ちょっとやそっとじゃ入りこめない。では、忍び込もうとする人間はどうしようと考えるか。それは、誰か官邸の人間じゃない、例えば業者の人間に紛れて入り込むことをまず考えるはずである。それなら、ひとりくらい囮の業者として用意していたとしても、何ら不思議はない。
 とはいえ、それはなさそうである。というのは、他に食料を運んでくる業者がいないからだ。そして、実際にこの主人が出てくるとき、荷台は空なのだった。他の者が直接店に買い出しに行っているのでなければ、この主人は本物の商売人ということになる。ちゃんと荷物を置いて行くのだ。
 なら、考えてもしかたがない。調べるだけ調べたのだから、あとは行動を残すのみである。慎重なコートニーだが、決心すると行動は早い。
 馬車が、正門に着いた。
 門番と主人が、一言二言言葉を交わし、馬車は動き出した。
 第一関門突破……。
 ここから先は何が起こるかわからない。ここまでは行けるだろうと確信していた。この二週間見てきたからわかる。だが、ここから先は塀の外からは見えなかった。どんな取り調べがあるかわからない。主人に聞き込んだときは何もなかったと言っていたが、それは賊を警戒してのことかもしれない。そういう風に官邸から言われている可能性もある。
 第二関門は、裏門に着くまでの道のり。この間に何もないとは言えない。しかし、本当に何もなかった。無事、裏門まで辿り着いた。
 すぐに第三関門がやってくる。何も調べずに官邸に入らせてもらえるかどうかだ。馬車ごと建物の中に入れるが、本当に入ってくれるのかどうか。ここから台所横の部屋に人がひとつずつ運ぶという可能性も捨てられない。しかし、ここもすんなり中に入れた。馬車ごと台所横の部屋に入る。馬が台所に入るのは衛生上よくないのではないかと思っていたのだが、どうやら台所の中を通らずに、廊下を進んで横の保管庫に運ぶということらしい。といっても、これはコートニーからは見えない。荷物に埋もれ、外からもシートで見えないようにしているので、外部の状況は一切わからない。
 第四関門が訪れた。
 それは、荷物の積降の時だ。隙をついて降りるのだが、その隙は果たしてあるのかどうか。そして、都合よく隠れる場所があるのかどうか。ここで明暗が別れる。
 馬車は、蓋のない箱に骨組を付け、それに帆を被せたようなものだった。コートニーは、その箱の側面と、シートの境目をちょいちょいと触ってみた。
 ここには骨組はなかった。骨組は、箱型の四方にのみ付けられていた。木であるが、荷馬車だからスピードは出せない。トラックとは違うので、四方だけで、木造で済むのであった。
 主人が、一番手前の樽を抱え、馬車を降りた。その隙に、コートニーはこのシートのたるみから、素早く外に出、馬車の荷台の下に滑り込んだ。荷物を置くのは、馬車の後ろ側で、もう少し隠れるのが遅かったら見つかっていたかもしれなかった。しかし、主人は大きな樽を抱えていたため、どうせ前は見えていないと見当をつけた。
 『何か今日はツイてるかもしんない』
 コートニーは、緊張感の中に胸の高鳴りが相俟って、その上ツイてると思うと自然ニヤけた。
 しかし、こんなにスムーズに入りこめるとは思っていなかった。もしかしたらジェトロとかいう国司は、思っていたより無能なのかもしれない、とコートニーは考えた。そう言えばあまり頭のよさそうな喋り方じゃなかったしねえ……。
 『さて、これからどこへ行けばいいかわかんないってのが問題なんだよね……』
 コートニーは、馬車の下に腹這いになって考える。
 老人から聞いた間取りは、全部頭に詰め込んで、覚えている。しかし、使用する部屋を移動させることもあるから、その当時の国司の部屋にはいないかもしれない。だからこそ調べるために潜入したのだが。
 『部隊配置している箇所は……と』
 と、コートニーは記憶をフル回転で思い出す。しかしそれも数十年前の情報である。今と変わっている可能性も少なからずある。いや、配属が減ることはない。その数十年前の部隊配置はそのままで、新たに追加したと考える方が自然かもしれない。
 『あ、そうだ…その前に台所に……』
 と、ようやくこの次の予定が決まると、さっさっ、と荷台の下から酒樽の陰へ移動し、その後荷物の積降をする主人からは死角になるように台所へのドアに取り付き、気付かれないように薄く開ける。
 わずかにできた隙間から台所を睨む。四十代くらいの女性、メイドがひとりお茶を淹れていた。それ以外は誰もいない。
 コートニーは台所側に入り、ドアを静かにゆっくりと閉めた。軋む音すらしない。目の前に人がいるのというに、こんなに大胆な行動がとれる。それも今までの盗賊稼業のおかげかもしれなかった。
 メイドはコートニーには背を向け、テーブルに向かい椅子に座っている。彼女は、茶菓子が欲しくなったのか、席を立ち、棚の方へ歩いて行った。その一瞬の隙に、コートニーはテーブルに寄り、ポケットに入れていた睡眠薬の粉を一包み混入させた。しかし混ぜる時間はない。そのままコートニーはテーブルの下に潜り込んだ。
 メイドに見つからないように、小さく身を縮める。元々小柄なため、小さくなったらまず大丈夫。見つかることはないだろう。メイドは、まったく気付かない様子で、元の椅子に座った。
 時間はまだある。焦ることはない。しばらくこのまま様子を見る。
 すると、テーブルの上でコト、という音がした。メイドが、テーブルに突っ伏して寝てしまったのである。
 コートニーはそっとテーブルから顔を出し、メイドの様子を窺う。
 『大丈夫、寝てる……』
 コートニーはそう確信すると、メイドの体を抱え、床に寝かせた。本当は、どこかに引きずって行きたいのだが、重いし、起こしてしまったら薮蛇なので、ここでもいいか、と思い直した。
 失礼します、と言いつつ、コートニーはメイドの服に手をかける。と言っても勘違いしてはいけない。メイドに襲い掛かるわけではない。メイド服に用事があるのだ。それに四十代のおばさんである。失礼だが襲いたいと思うかどうかすら怪しいものがある。
 この広い官邸。どこに部隊が配置されているかわからないため、見つかっても大丈夫なように、コートニーはメイド服を着て偵察しようと考えたのであった。死んでもいい覚悟ではあるが、なるべくなら死にたくはない。悪あがきかもしれないが、これを着ていこう。いつものメイドと顔と年齢が違うわけだから、後ろから見られない限りまず間違いなくばれるだろう。
 その服を、普段着の上に着てからコートニーは気付いた。後ろからでも、髪の色が違うし、体格も違う。結局ばれるのではないか、ということに……。
 メイド服は、地は青。濃い青で、上に白いエプロンをつけているだけの、至ってシンプルなデザインだった。スカートは、長く、ふわっと広がっている。着る人が着ればかっこいいのだろうが、あいにくコートニーのような子供が着ても、まるでメイド服が立って歩いているような印象しか受けない。実際スカートが床すれすれである。
 「スカートなんて慣れてないからなあ……踏ん付けてこけたらかっこわるいよねえ……」
 などとブツブツ言っている。
 早く調べよう。このメイドが目を覚ます前に、できるだけ詳しく、多くのことを調べないと。そして服をおばさんに着せ、眠ったときのように椅子に座らせておく。もし服がないとおばさんにばれたら、さすがに侵入者がいると気付くだろう。すると、たとえ今回偵察に成功したとしても、今度ジードたちと襲撃するときには警戒が強化されている、なんてことになるかもしれない。そうなると今回の偵察が無駄になってしまう。
 時間が惜しい。早速、コートニーは、行動を開始することにした。
 台所を出る。隣りの保管庫の方ではなく、廊下へ出るドアを開けた。少し開けて、顔をひょこっと出し、左右をきょろきょろする。
 よし、誰もいない。
 さっと廊下に出て、ゆっくりドアを閉める。パタンという音もしない。
 さて、ここは台所だから……と、間取りを思い出しているところで、
 「それでは、お疲れ様」
 と、横から話し掛けられたのだ。
 びくっとしてそちらを見ると、食料を運んできた店の主人だった。彼はコートニーに気付かない様子で暇を告げたのだった。
 「………」
 主人が馬車で官邸を出て行ったところで、コートニーはほっと溜め息をついた。
 『まさかいきなり話し掛けられるとは……』
 さて。気を取り直して。
 数十年前の記憶によると、この角の階段を一番上まで上がると、と言っても三階建てだが、右手突き当たりに国司の部屋があるとのことだった。
 コートニーは角まで行き、階段の方へ曲がった瞬間。
 「あわわわわわ」
 と、両手を上下にばたばた羽ばたかせ、戻ってきた。上から、兵士がふたり降りてきていたのだ。そして、こちらに向かっている。
 コートニーは慌てたが、隠れる場所などない。しょうがなく、階段には背中を向けて、俯いて立っていた。
 角を兵士が曲がり、ん? と、コートニーの方を見るのがわかった。
 「おばちゃん何してんの?」
 と話し掛けられ、コートニーは振り向き、
 「あ。はじめまして。今日から働かせていただくことになりました、コートニーと申します」
 と、微妙に声色を変えて挨拶した。
 兵士たちは呆気に取られたような顔をしていたが、やがて、
 「へえ。おばちゃんの娘かな? お嬢ちゃんいくつ?」
 とひとりが訊き、
 「子供用の服はなかったのかな。お嬢ちゃん、無理しない方がいいよ」
 もうひとりも言った。
 「十三歳未満は、本当は働いちゃいけないんだよ」
 あたしは十五よっ!
 コートニーはこめかみがピクピクするのを我慢しつつ、
 「…いろいろ事情がありまして……」
 とあいまいに答えた。
 「そうかい…。じゃ、がんばんなよ」
 と言って、ふたりは廊下の向こうへ消えて行く。
 「………」
 『むきーっ! チビで悪かったわね! 好きでチビになったんじゃないわよっ!!』
 と、叫びたいのを堪え、地団太を踏む。
 「はあはあはあはあ」
 『この怒りをどこにぶつけようかしら。い、いや、やっぱりこの怒りは今度ジードと襲撃しにきたときのためにとっとこう。それよりも今はまずジェトロの部屋を確かめることが先決だわね』
 「ふん」
 コートニーはスカートの裾を掴み、足元がよく見えるようにしてからズカズカと階段を上がる。見つかっても、さっきのように切り抜ければいい、と開き直ったのである。
 しかしそんなことをすれば、偵察に成功しても、偽者のメイドがいたと宣伝しているようなものである。警備を強化させる口実を与えることになるのだが、コートニーは気付いていないようだった。
 「あ、でも社長であるジェトロに見つかったら言い逃れできないか……」
 それはそうである。ジェトロがメイドを雇っているわけだから、コートニーを見つけたらすぐに侵入者と気付くだろう。
 「でもあいつバカそうだからなあ。ごまかせるかもしんない」
 いくらなんでもそれはないだろうが、コートニーは真剣に考えているようだった。
 『それにしても、警備兵って廊下にいないもんなんだねえ……』
 コートニーは辺りを見回しながら歩く。
 二階。廊下を、向こうへ突っ切る。途中、部屋はいくつかあったが、それぞれに透明の窓があり、中がよく見えた。
 中に、数人ずつ兵隊がいた。部屋は、控え室であったり、医務室もあった。中にいる兵隊は、コートニーに気付く人もいたが、メイドの服を着ていたせいか、何も言ってこなかった。それどころか、笑顔で手を振ってくる兵士もいた。メイドに愛想を振り撒く兵士というのも珍しい。
 もしかしたら、外見ほど警備は厚くないのかもしれないと、コートニーは思った。そう言えば、さっき下で会った兵隊も、気軽に話し掛けてきた。
 「………」
 いかん、コートニーは十三歳以下と言われたことまで思い出し、ふんっと鼻を鳴らした。
 気分転換のためか、違うことを考えようと思った。
 『この屋敷の警備兵は、緊張感がないような気がする。なんでだろう……』
 もう少し歩いて行くと、突き当たりに出た。左にしか行けず、曲がると、すぐに門番がふたり、扉を挟んで並んでいたのが見えたので、コートニーは慌てて角の壁に身を隠した。
 『もしかしたら、ここがジェトロの部屋かもしれない』
 数十年前の記憶によると三階だったが、ひょっとしたら変わったのかもしれない。そう思うと、コートニーはどうしても確認したい衝動に駆られた。
 『しかし、どうするか…。何かいい方法はないものか……』
 「あそうだ」
 と、何か思い付いたらしく、コートニーは今来た道を引き返し、一階の台所まで戻った。そこで、樽の酒をふたつ、木造のコップに入れ、それをトレイに載せて再びジェトロの部屋らしき門番のところへ持って行く。
 「お疲れ様です。ぶどう酒ですが、お飲みになられませんか?」
 と、例の如く薄気味悪い声色で門番に話し掛けるコートニー。
 「…いや、我々は仕事中だ。いただけません」
 「あ、そうですか……。そちらの方も、お召し上がりになりませんか?」
 「いえ、結構です」
 「そうですか……せっかくお持ちしたのですが……残念です…」
 と、コートニーは悲しそうに俯いた。ぐすっと、鼻を鳴らす。
 「はあ……」
 わざとらしく溜め息を洩らし、
 「たまには息抜きも必要かと思ったのですが…どうやら出過ぎた真似をしてしまったようですね……申し訳ありません」
 と、頭を下げた。すると、兵士も、メイドが可哀相と思ったのか、それとも本当は息抜きがしたかったのを我慢していただけなのかはわからないが、
 「わ、わかりました。せっかくのご厚意なので、ありがたくいただきます……」
 「ではどうぞ」
 と笑顔でコップを渡し、もうひとりの方にもどうかと訊いたが、こちらは断ってきた。コートニーは内心舌打ちをしたかったが我慢し、ことのついでといった感じでこう切り出した。
 「そう言えば、このお部屋、お掃除するの忘れてましたわ」
 「ん?」
 コップのぶどう酒をゴクリと飲み込みながら、兵士は返事をする。結構おいしそうに飲んでくれているようで、コートニーは内心喜んでいた。
 『これくらいのサービスはしてあげないとねえ……』
 「それはメイドじゃなく、掃除係りがするんですよ?」
 「あ、そうなんですか? 実はわたくし、今日働き始めたものですから、まだ仕事内容を覚えきれなくて……」
 「ああそう。じゃあ、早く慣れてくださいね」
 言いながら兵士は、空のコップをコートニーが持つトレイの上に置いた。
 「ごちそうさん」
 「いえいえ。それでは、お仕事がんばってください」
 と、コートニーは頭を下げ踵を返したが、思い出したように付け加える。
 「そう言えば、今国司はどちらにおられますか?」
 「ん? 上の自分の部屋じゃないんですか?」
 「あ、そうですか、そうですわよね、ご自分の部屋におられますよね」
 ほほほ、と笑いながらコートニーは心の中で呟く。
 『なんだ、ここじゃなかったのか。やっぱ三階ね。じゃあ、ここはいったい誰の部屋?』
 いや、そんなことは今どうでもいい。とにかくジェトロの部屋を探し出し、ばれない内に撤退しよう。
 たいした情報は得られなかったが、まあ偵察だし、こんなもんだろうと思った。
 コートニーはその足で三階に上がる。さっきの部屋と同じ位置に行くと、これも同じように部屋の前に門番が立っているのを見つけた。
 「ここね……」
 と、壁に身を隠し顔だけを覗かせる。片方は空っぽになったコップを載せたトレイを床に置き、コートニーは姿勢を正してその部屋の前を通りすぎることにした。
 平静を装い、門番の前を通る。
 ちらと顔を覗いてみるが、門番はコートニーには関心を示さない。そのまま通りすぎ、廊下の突き当りまで行って見る。何もない。
 門番がいるところは、あの部屋の前だけだ。すると、あそこがジェトロの部屋か。
 『よしよし。じゃあ今回はこのくらいにして、ジードんとこに帰ろっかな』
 廊下を引き返し、門番の前を通り過ぎる。そのとき、門番に声をかけられ、コートニーはビクッと身を縮めた。
 「見かけない顔だが、道に迷ったのか?」
 「は、いえ、その、…失礼します」
 と、コートニーはしどろもどろになり、話をはぐらかし、さっさとその場を退散する。
 廊下の角からコートニーの姿が消えたとき、ガチャっとドアが開き、秘書が顔を出した。
 「今話し声が聞こえたが、何かあったのか?」
 「は、いえ。メイドがウロウロしていたので、どうかしたのかと訊いただけです」
 「あ、そう。では引き続き警戒をよろしくたのむ」
 「はっ」
 と、扉をさっさと閉めようとする秘書に門番のひとりはわざわざ敬礼まで送った。これは、秘書のお前の命令でやってる仕事じゃないんだぜ、と逆説的な意味合いで使っている仕草だった。
 台所に戻ったコートニーは、まだ眠っているおばさんにメイド服を着せ、椅子に座らせた。
 いつもの盗賊姿に戻ったコートニーは、肩が凝ったのかコキコキ鳴らし、さて、帰ろうかな、と呟いた。
 「………」
 『どうやって?』
 入ってきたときは、業者の馬車に乗せてもらった(勝手に乗り込んだとも言う)。しかし、あの主人はとっくに帰ってしまった。
 外に出ると、百人ほどの警備兵がウロウロしている。気付かれないように突っ走っても、必ず見つかる。
 「むむむ……」
 出るに出られなくなったコートニーは腕を組み、思案に耽た。
 十分ほど考えて出した結論は、どうしようもない、というものだった。
 確か夕方にも、朝食料を運んできた店の主人が、夜の分を持ってやってくるはずだ。そのときに馬車に乗り込み連れて帰ってもらおう、というよりは勝手に乗って潜んでよう、ということだが……。
 すると、それまでどこかに隠れてないといけないな。…見つかるとまずい。どこか、台所の陰にでも隠れることにする。
 これから昼ご飯の用意が始まる。見つからないように隠れていなければならないが、小柄なコートニーなら、恐らく見つからずにやり過ごすことができる。食事は、食事係りがそれぞれの配置された警備兵ひとりひとりに手渡し歩いていく。どこかひとつところに集まって食事をとるのであれば、その隙に出られるのだが、そう都合よくはいかなかった。
 コートニーは、隅の角、家具の後ろに、壁に凭れて座った。子供が隠れられるくらいの空間しかなく、でもその家具が縦と横に大きいので、充分少女の身体を隠してくれた。なぜこんなにスペースを空けて家具を置いているのか、コートニーはわからなかった。
 「んでは、夕方までゆっくり寝かせていただこうかしら……」
 静かに呟くと、コートニーはゆっくりと目を閉じた。
 ジードの夢が見られますように……。


    to be continued
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